能登半島地震の影響で多くの職人が仕事場を失った輪島塗。何としてでも伝統をつないでいこうと職人たちは少しずつ歩みを進めている。

避難生活を送る輪島塗の職人

石川県加賀市の旅館で避難生活を送る男性がいた。「働くことばっかりだね。現在の私の頭の中には。輪島の漆器はなんとかして生き延びなければと思っている」。池下満雄さん(86)は輪島塗の木地職人。アテやケヤキの木からろくろを引いてお椀の形を削りだす仕事だ。しかし元日の地震で工房が大きく傾き、突然仕事場を失った。71年続けてきた木地作りは被災して以来、できていない。「また汚い服着て、段取りしてもの一つ作れれば楽しいね。それがしたいです。きょうもこうしてここにいても仕事のことは一切忘れないね」と木地作りへの意欲は失っていない。

池下満雄さん
池下満雄さん
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工房修復に乗り出した職人仲間

1月下旬、池下さんの工房を修復するための作業が始まった。工房修復を提案したのは家主である池下さんではなく輪島塗の塗師、赤木明登さんだった。長年、池下さんの作った木地に漆を塗ってきた赤木さん。クラウドファンディングで工事を行うための資金を募った。赤木さんは「とにかく輪島塗を続けるために木地師さんがいないと塗ることができない。できるだけ仕事を続けてもらえるように今、頑張っている」と池下さんの仕事場を再び用意できるよう動いている。木地職人の池下さんは「赤木さんにはありがたいなと思うね。私をいつ連れに来るのかそれだけやね。赤木さんは神様やな」と感謝を惜しまない。

傾いた工房の修復作業
傾いた工房の修復作業

工房には明治時代の材料も

2月、工房の工事が始まった。工事を請け負った業者は「難易度高いですね。輪島の街並みの雰囲気をできるだけ残したいという強い思いが赤木さんにあって」と慎重に作業を進めていた。一方、赤木さんは蔵に残った器の材料を持ち出していた。「この家が倒れたら取り出せなくなるんで、倒れる前に安全な所へ運ぼうと」。蔵に残っていた木地は、池下さんが祖父の代から受け継いできた貴重な材料だ。「これなんか明治時代くらいの材料ですね。明治に山で下ろしてきて、この土蔵の中で100年ぐらい乾燥させている材料」。工房は一から建て替えるのではなくかつての雰囲気を残したまま修復することに決めた。「昭和の初めに電気が来て電動ろくろを設置して以来、ずっと時間が止まったような美しい部屋だったんですね」。職人の多くが被災し輪島塗はかつてない危機に瀕している。「どんどん職人の数が少なくなっているところに最後、地震でとどめを刺されたっていう感じではないかと思うんですけど。とどめを刺されないように踏みとどまりたいなと思っています」と赤木さんは語る。

蔵から器を持ち出す赤木さん
蔵から器を持ち出す赤木さん

再び仕事場に戻る

3月26日、工房の修復が完了。出来上がりを確かめるため、池下さんが輪島に戻ってきた。地震前の雰囲気は残しながら床や柱を新調した工房。「いいよ。かっこいい」と池下さんも気に入ったようだ。おもむろに座ったのは50年以上使い続けてきたろくろの前。ろくろを回してかんなを手に取り、器を軽く削った。「まだ大丈夫やね。うん、楽しい」と久しぶりの手ごたえを嚙み締めた。木地作りの再開を心待ちにしていたのは池下さんだけではない。塗師の赤木さんは「池下さんは輪島の、日本の宝物だと思いますよ。ずっと池下さんはここの土地で先祖代々、木を使う仕事をしてきて池下さんの体の中には輪島塗のいい形がしみ込んでいる」と池下さんが再び仕事を再開することに感慨深い様子だった。工房で寝泊まりする準備が整い次第、池下さんは木地作りを再開する予定。後継者の指導にも力を入れたいと考えている。池下さんは「輪島塗のこういう作業も楽しいし、若いもん指導して頑張りたいね」と前を向く。多くの職人技が重なり合ってこそできる輪島塗。再興に向けて職人たちが手を取り合いながら歩みを進めている。

3カ月ぶりに作業した池下さん
3カ月ぶりに作業した池下さん

(石川テレビ)

石川テレビ
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