新宿・靖国通りにあるおしゃれなカフェを経営するサキさん(34)には、もうすぐ2歳になる子供がいる。結婚歴はなく、未婚のシングルマザーだ。

私たちザ・ノンフィクション取材班がサキさんと出会ったのは、コロナ禍の2020年7月のこと。まだ母にはなっておらず、当時は昼のカフェ経営の傍ら、夜は歌舞伎町のキャバクラで働いていた。

コロナ禍で激減した売り上げを少しでも補填するため、過酷なダブルワークに勤しんでいた彼女を、私たちは「コロナ禍で頑張る飲食店経営者」として追いかけるつもりだった。

しかし、取材を始めてまもなく、私たちの取材プランを変更しなければならない事態が生じる。突然、サキさんから妊娠していることを告げられたからだ。しかも、父親である男性は認知を拒んでいるという。

それでもサキさんは言い切った。

「ひとりでも産みます」

そんなサキさんの覚悟を知り、私たちは「コロナ禍で頑張る飲食店経営者」から「未婚の母の現実」に取材テーマを変更し、彼女と子どもの生活を追うことにした。

なぜ、“ひとりでも産みたかった”のか

東京生まれ、神奈川育ちのサキさんは、5人家族3兄妹の長女。幼いころから朗らかで優しく、マイペースな子だった。

中学時代は宝塚音楽学校への入学を目標に、ダンスや歌など様々なレッスンに明け暮れていた。美容室を営んでいた両親は、決して裕福ではない中、多額のレッスン料を支払ってくれた。しかし、宝塚音楽学校の入学試験は残念ながら不合格となった。

経営するカフェで働くサキさん
経営するカフェで働くサキさん
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ただ、その後に入学した医療系専門学校卒業後にパティシエの仕事にハマり、昼夜ホテルの厨房でケーキ作りに明け暮れる日々を送る。

忙しくも充実した日々だったが、突然、ショッキングな出来事に見舞われる。体調不良で訪れた病院で「子宮頸がん」を告知されたのだ。

23歳の時だった。

その後、幸いにもがんは寛解したが、医師から「妊娠するのは難しい」といった趣旨の話を聞き、それ以来「もう子供は産めない」と諦めるようになった。いつかは結婚し、出産することを夢見てきたサキさんにとって、「もう子供は望めないのかもしれない」と考えることは、がん告知以上のショックだった。

しかし、サキさんに諦めかけていた夢が舞い降りてきたのは、それから7年後の2021年夏のことだった。

子供を持つことが夢だったサキさんにとっては、奇跡のような出来事だった。ただ、妊娠が分かったのは、数カ月だけ付き合った男性と別れた後のこと。男性に妊娠を告げたものの、認知はされなかった。当初は養育費を求めることも考えたが、相手の家庭環境や経済状況が厳しいことも知っていたサキさんは、結局、法的な手段などをとらなかった。

それでも、もう二度と授からないかもしれない「小さな命」を産まないという選択肢はサキさんにはなかった。

未婚で産むときの選択肢

産むと決め、まず問題となったのは出産前後の費用の確保だった。

サキさんは自営業者。休めば、その間の収入はない。お金のことを考えると、できるだけ働きたい。

調べてみると、公務員が産休を取得できる期間は、出産予定日の8週間前からだということがわかった。「少なくとも妊娠8カ月までは働けるんだ」。そう考えた。

健診を受けるサキさん
健診を受けるサキさん

とはいえ妊娠初期は、ひどいつわりに悩まされ、キャバクラへの出勤はもちろん、日中のカフェの仕事もできない日が増えた。

区役所に相談に訪れると、ケースワーカーから生活保護の受給を提案された。しかし、「稼ぐ術は身についている」という自負もあったし、ただただ自宅で安静にして過ごすことにストレスも感じると思った。何よりも、社会との関わりがなくなるのではないか、自信を失ってしまうことが先々の育児にも影響するのではないか、という恐怖感があった。

将来の為のネオン街

赤字補填のために始めた歌舞伎町のキャバクラでの稼ぎは悪くなかった。しかし、妊娠後は、出勤するたびに男性スタッフから「まだ堕ろしていないのか」という心ない言葉を浴びせられ、苦しかった。

「歌舞伎町より稼げて、お酒を飲まなくても働けそうな場所はないだろうか」

そう考えたサキさんが向かったのは銀座だった。

銀座のクラブで働くサキさん
銀座のクラブで働くサキさん

強力な伝手もあって、有名クラブの面接に合格。すると「独り身で出産」の先輩でもあるママに気に入られ、まだ目立たないお腹をドレスで包んで働き出した。

お酒を飲まなくても許される環境で、銀座で働けたのは2カ月ほどだったが、すぐに指名客も付き、結果的に生活保護を受けるより稼ぐことができ、産後のための貯金もできた。

しかし出産直前、新たな問題がサキさんの前に立ちはだかる。

予定日の1カ月前に、当時、暮らしていた1Kのアパートから退去するように言われたのだ。不動産業者に聞くと、近隣住民との騒音トラブルを避けるため、「赤ちゃんお断り」とする物件は珍しくないというが、まさか自分がそんな目に遭うとは思わなかった。

幸いカフェに近い場所で「赤ちゃんOK」のアパートを見つけることができ、そこに移り住んだが、七畳一間の部屋は、それまでより随分と狭く感じた。

人手不足。分かってはいたものの…

2021年の春。サキさんは子供を帝王切開で出産したが、まもなく子供が仮死状態に陥り、NICU(新生児集中治療室)に入った。無事回復したが、「妊娠中にムリしたことが原因だったのではないか自分を責めた」という。

退院後、母子二人の暮らしがワンルームのアパートで始まったが、とにかく「いつから働けるのか」ということが不安だった。

子供の将来のためにも早く仕事に復帰して稼ぎたかったが、預け先の保育所は、どこでもいいわけではなかった。職場とできる限り近い場所を選ばなければ、ワンオペ育児の時間を確保できないためだ。

ところがサキさんが希望した保育所は倍率が高く、しばらく抽選待ちの状態に悩まされる。

カフェの人手が足りず、急遽出勤するときは一時保育で預けたいところだったが、その一時保育も抽選制で有料。かろうじて空きがある認可外託児所は家から片道30分弱かかった。しかも割高。でもそこに預けざるを得なかった。

せっかく無理して産前に貯金したのに、このままでは家計はひっ迫していってしまう。負のスパイラルにも陥りかけていた。

出産前は、「出来るだけ早く仕事と育児を両立させる」という理想や目標を描いていたサキさんだが、いざ出産してみると上手くはいかない現実に直面した。

子供を預け、働く。

このとてもシンプルなことに悪戦苦闘する日々だった。

子供がもたらした家族関係

そんなサキさんのピンチを支えたのは、家族と周囲の人たちだった。

子供が生まれて一番大きな変化は、不仲だった母・マリコさんとの関係だった。マリコさんは初孫の世話をするため、午後9時過ぎに神奈川県の新百合ヶ丘駅の職場から約1時間かけて通ってくれた。子供を挟んで、母と向き合う時間も増えていった。

そして、マリコさん以外にも、サキさんが幼少の頃から家族付き合いがある女性や、カフェの共同経営者など、様々な人がサキさんを支えてくれた。

苦労があっても嫌な顔ひとつせず、常に周りの人々にほがらかに接するサキさんの人柄と、ひたむきに息子へ愛情を傾け続ける姿勢が、周囲の人たちを動かしたのかもしれない。そして、そんな周囲の人々の温かさに、出産前は人の世話になることを極力避けていたサキさんも、自然と周囲の人々に頼るようになっていった。

育児をしながらカフェで働くサキさん
育児をしながらカフェで働くサキさん

サキさんがカフェに復帰したのは出産から3カ月たった頃。

依然として保育所は決まらなかったが、カフェではアルバイトの数が足りなくなる事態が生じていた。応募をかけ、面接をする時にはサキさんが対応しなければならない。

アルバイトが無断欠勤をした時など、急遽、赤ちゃんをおぶって店に出る事もあった。

出産から8カ月たった頃には、カフェの人員不足も危機的状況になったため、一時的に割高な認可外保育園に入園し、人手の穴を埋めた。0歳児クラスの入園は特に倍率が高く、結局、出産からおよそ1年経ってようやく認可保育園に入園したのだった。

ワンルームでのワンオペ育児

かつては昼も夜も逞しく稼ぐサキさんだったが、現在はカフェ1本に絞っている。「子供と過ごす時間を確保して、育児を疎かにしたくない」からだ。幸いにもカフェはコロナ禍を乗り切り、黒字の月も増え、貯金もできるようになった。

午前7時に起きると、子供にご飯を食べさせる。「納豆ご飯が大好きで、そればかり。偏りがちなのが気になる」という。

保育所に送るのは午前9時ごろで、その後にカフェを開店させる。忙しく働いていると、あっという間に夕方だ。午後6時までには迎えに行かなければならない。

節約のため夕食は買いだめしたインスタントラーメン
節約のため夕食は買いだめしたインスタントラーメン

買い物をして帰宅し、夕食を食べさせる。お風呂に入れ終えると午後8時を回っている。寝かしつけに時間がかかるのが悩みで、いったん部屋を暗くして、ようやく寝息を立てるのは午後9時過ぎ。七畳ワンルームが真っ暗になるので、この間、他のことは何もできない。

その後も、起こさないようにキッチンの電球だけを灯し、朝食や夕食用の作り置きのおかずを作る。薄暗い中、大きな音を立てないようにしながらの作業は、思っていた以上に時間がかかってしまう。

午後11時ごろに、ようやく自分の夕食。節約の為に買いだめしたインスタントラーメンを静かにすすってようやく1日が終わる。

しかし子供が順調に成長し、元気に歩き回るようになってくると、家の狭さが気になってきた。今年こそ引っ越しをしたいと考えている。希望するのは区が設ける“子育て住宅”。そこに移り住めれば、今よりも広々として生活しやすくなるはずだ。

母子2人だからこその未来

この春、男の子は2歳の誕生日を迎える。出産時に無酸素状態に陥ったことで、後遺症を心配してきたが、今はその不安もない。

母子2人だからこそ育まれた絆がある
母子2人だからこそ育まれた絆がある

電車のおもちゃとおしゃべりが大好き。ママの見よう見まねか、最近は自分で食べた後のプレートを流しに持っていくこともあるという。

「ふとした時に、私の頭をヨシヨシしてくれるんです。その時が最大の癒し」とサキさんは笑顔を見せる。

一方で、仕事も順調で、カフェに新商品も誕生した。「養育費捻出のために」とサキさんが半年かけて開発した缶クッキーだ。

まだ売り出したばかりだが、品切れが続くほどの人気商品となっている。サキさんにとってカフェは「もう一人の子供」のような存在。働いている時は、ストレスとは無縁だという。

ある時、サキさんに「結婚は?」と投げかけてみると、少しだけ考えた後、「したくありません」と答えた。

理由を尋ねると、「過剰に気を遣いがちな性格だから、結婚したら夫に気を遣い過ぎてストレスを抱えてしまうかもしれない。そんなストレスを抱えていたら、子供に悪影響が及ぶのではないか」という。

「お金は勿論大事。でも子供との接し方が一番大事だと思っているんです。だから一人でも育てられるようにお店をしっかり盛り立てていく。クッキーもたくさん売って、養育費を稼ぎます」

おっとりとした表情ながら、まっすぐに語るサキさんは「母子2人」だからこそ育まれた絆を強く感じているようだった。そんなサキさんを見て、私たち取材班も、これからの二人の生活に明るい兆しが見えたような気がした。

この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。
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2011年の東日本大震災から、何かが変わった。その何かがこの国の行方を左右する。その「何か」を探るため、「ザ・ノンフィクション」はミクロの視点からアプローチします。普通の人々から著名人まで、その人間関係や生き方に焦点をあて、人の心と社会を描き続けていきます。