車内に調理設備を備えるだけで開業できるキッチンカー。その手軽さから毎年約3000台以上が営業許可を取得しており、実店舗を持つ飲食店が参入するケースも増えている。
稼ぐキッチンカーは平日のランチ帯だけで1日15万円以上を売り上げ、月収200万円を得る人もいるという夢のある世界だ。
2024年春、私たちはそんな世界に挑戦しようとしていた二人の25歳に出会った。
1年半前に三重県から上京してきた康法(やすのり)さん(当時25歳)は、六本木のキャバクラで黒服バイトをして貯めた自己資金150万円で勝負を掛けようとしていた。メニューは故郷の母が考案したオリジナル料理「タマネギカツレツ」。
一方、実業家の交際相手と同棲しながら準備を進める愛香さん(当時25歳)は、闘病の末に亡くなった交際相手の母の「中華粥」を広めたいと意気込んでいた。
夢がある一方で、「開業から1年以内に辞めてしまう人が半数以上」という厳しい世界。
二人の若者は成功をつかめるのか。その挑戦を追った。
開業までの道のり…容易ではなかった出店までの現実
月額10万円でキッチンカーをリースしている「ケータバンク」(杉並区)の松本聡人社長によると、現在、納車待ちに3カ月以上かかるという。二人とも、この「キッチンカーを借りる」という形態での開業を目指した。
2024年3月上旬。ケータバンクで車を借りた康法さんだが、納車までは6カ月を要した。それまでの間はポスティングのアルバイトをしながら食いつないでいたという。

キッチンカー開業は納車後にやることが山積みだ。
すぐに出店できるわけではなく、まずは最寄りの保健所へキッチンカーの営業許可申請を提出。その後、看板やタペストリーなどキッチンカーを装飾するものを準備して、キッチンカー全体の写真撮影をする。これに売り出すメニューの写真と合わせたものが、名刺代わりのプロフィールとなる。
さらに、それらを出店したい場所の管理者に提出。応募者の中から選ばれて、ようやく出店に漕ぎ着けることができる。
納車から初出店まで平均1カ月は掛かるという。ただし、稼げそうな出店場所は、経験や実績のあるライバルたちと熾烈な“場所取り競争”を勝ち抜かなければならない。
康法さんは、初期費用を抑えようと、キッチンカーに貼る看板シールもネットで発注した。
しかし、まさかのサイズの発注ミス。結局、再発注となり想定より倍近くの費用がかさんでしまった。
さらに電源確保のために必要な発電機の購入や保冷庫、包装紙、調理器具など、まだ何も始まっていない段階で出費はすでに50万円を超えた。
しかも、出店場所の管理者には場所代として売り上げの平均10%以上を支払うため、売り上げの見込めないキッチンカーが選ばれることはほとんどないのだという。
そのため、実績がないキッチンカーが出店できるのは、儲けが見込めない場所やイベントしか残されていないという厳しい現実もあった。
それでも康法さんが勝負を掛ける「タマネギカツレツ」は変わり種メニュー。
一見、普通のハンバーガーだが、ツナと鶏の挽き肉、タマネギを合わせたパテを米油で焼いた、食べやすくてヘルシーな一品。
損益のラインでもあった1日4万円以上の売り上げが見込める場所に10数件応募し、まずはその返答を待った。
もう一人の25歳…周囲にあえて甘えた挑戦
康法さんと同じ頃にキッチンカー開業を目指していたのは、愛香さん(当時25歳)。
交際5年の実業家・裕輝さん(当時31歳)が店長を務める銀座の高級中国酒の販売店でアルバイトをしながら、文京区にある裕輝さんのマンションに住んでいた。
ここには2023年春まで裕輝さんの母も一緒に暮らしていたが、闘病の末、がんで他界。その母が作ってくれた干しエビや干し貝柱のスープで米を煮込んだ中華粥の味が忘れられず、この味を広めたいと開業を決意した。

裕輝さんの支援には頼らず、自分の貯金と、無利子で銀行から借りられる文京区の起業支援制度も合わせた約200万円を自己資金にした。
さらに、出店場所も自力では限界があると判断し、売り上げの15%を支払う仲介業者を頼ることに。
そのため、納車後は都内のオフィス街など週3日の出店場所をすぐに確保できた。
明暗分けた初出店…リスク最小限での思わぬ結果
2024年4月上旬。康法さんはなかなか初出店の場所が決まらないでいた。
仲介業者に頼めば出店場所は確保できるが、手数料は払いたくないと思い、自力で探すことにこだわった。
そんな中、ネットで見つけたのが町田市にある大手自動車販売店の駐車場。仲介業者が関わっておらず、しかも場所代が無料と分かると、3日間連続の出店に康法さんは飛びついた。

デビュー戦となる初日は、完売してようやく損益ギリギリのラインとなる30食を準備。ところが平日は通行人の数もまばら。しかも小雨混じりで全く売れそうにない状況だった。
そんな中、康法さんは注文が入っていないにもかかわらず、タマネギカツレツを何枚も焼き始める。
そして雨が止んだタイミングで車から降りると、路上で試食販売を開始した。
この試食作戦が功を奏し、ちょうど幼稚園や小学校から帰宅する親子連れを中心に足を止める客が次々と現れる。
そして、その効果はその日だけにとどまらなかった。
翌日、前日に試食した近所の客を中心に「タマネギカツレツ」が売れ始めたのだ。
そして、ついに3日目。その日用意した30食が完売。売り上げも3万円を超えた。
「どっかのタイミングで(売り上げが)跳ねるだろうなという確信はありますね」
そう話す康法さんの顔には、「自分がやってきたことに間違いない」という自信が浮かんでいた。
迷いながら進む25歳の二人…そこで知った理想と現実
康法さんが開業して、まもなく2カ月となる2024年5月下旬。
この日は墨田区と大学が運営する交流広場で開催されたイベント「こどもわくわくフェスティバル」に出店した。10台以上のキッチンカーが集い、どの店も行列ができていた。
康法さんのキッチンカーも販売開始からすぐに行列ができた。用意した50食は数時間で完売し、売り上げは過去最高の6万円を記録した。

一方、同時期に愛香さんは江東区・東陽町の住宅街で出店していた。
この日は気温30度に迫る夏日で人通りもまばら。熱々の中華粥を売る愛香さんにとっては分が悪い戦いだ。そこで手を打つ。目立つ場所に「かき氷」のメニューを貼ったのだ。
かき氷は売れたが、結局、この日売れた中華粥は5食のみ。売れ残った20食近いおかゆは自宅に持ち帰ることに。
ここまで週3日以上、夕食は売れ残りの中華粥だった。もう食べ飽きた味に裕輝さんは苦笑しながらつぶやく。
「一生懸命あがけばいいんじゃないかなと思っています」
商売の難しさを知る実業家の言葉にうなずく愛香さん。
「今、この瞬間は甘えて、その代わり、ちゃんと自分でも結果を出したい」
思い通りにいかないのが商売だという言葉を散々聞かされていただけに、その目は、まだ死んでいなかった。
決断と新たな道、そして、それぞれの現在
2024年6月中旬。康法さんが開業して4カ月が過ぎていた。
来月にはリースの満期の6カ月となる。再延長するかどうか、決断の時期が迫っていた。そんな時、彼から驚きの言葉が発せられた。
「僕、辞めようと思って、キッチンカー」
彼なりの言い分はこうだ。
「『時間とお金を両立させたい』って思って始めたのに、1日5万円を売ろうと思ったら、5月のイベントみたいなことを出店のたびにしなきゃアカンわけじゃないですか。それで週5日やとしても、結構きついなって思って。それで、やっと僕が六本木で黒服やっとった時の給料と一緒ぐらいやと思ったら、『いや、ちょっとなあ』ってなるじゃないですか」
思うように稼げる場所やイベントなどそうそうないという現実を、わずか4カ月の間に嫌というほど経験していた。
こうして康法さんの挑戦は終わった。
廃業から半年が経過した2025年1月、私たちは久しぶりに康法さんの自宅を訪ねてみた。
廃業後はガソリンスタンドでのアルバイトを経て、3カ月前から水道メンテナンスの会社に就職していた。外食を控えた自炊の節約生活も続けており、キッチンカー事業で負った150万円近い借金もほぼ返し終わったという。
「『嫌だったから辞める』とかそういうんじゃなくて、シンプルに可能性はなかったと思うんですよ。そこで頑張っても、僕がその後に思い描いていたようなことはできなかったと思いますし。今はお金を貯める実力を蓄えたい」
そう語る康法さんの机には、電気工事施工管理技士の国家資格を取るための参考書があった。
康法さんを訪ねた翌日の午前6時半。板橋区にある商店街の朝市に愛香さんのキッチンカーがあった。日の出とともに明るくなっていく中、キッチンカーの前にはすでに7、8人の行列ができていた。
商店街で青果店を営む朝市の実行委員の男性店主が「少し前、彼女のおかゆを食べておいしくて。この朝市に誘ったんです」と教えてくれた。
この日は1時間半だけの営業にもかかわらず、55食の中華粥が売れた。「冬こそ勝負」と言っていた愛香さんの我慢が徐々に報われ始めているようだ。
二人の明暗を分けたもの
二人の25歳の明暗を分けたのはいったいなんだったのだろうか。
大きいのは、売り上げが見込める出店場所にこだわったかどうか、だったように思う。
好条件の場所はすでに実績のあるキッチンカーが独占しており、そのほとんどは仲介業者が管理している場所。そこへ出店するためには、月日を掛けて、仲介業者の信頼を勝ち得ていく必要がある。
そんな中、康法さんは売り上げが見込めない場所は捨て、仲介業者も頼らず、自力で売り上げにつながる場所を開拓しようと懸命に模索した。しかし、そんな場所は存在しないという現実を徐々に知ることになった。

一方、愛香さんは仲介業者から提示された身の丈にあった場所で地道に出店を続け、現場で出会った同業者たちとのネットワークを築いていった。
特に板橋区・高島平にあるキッチンカーコミュニティーとの関係性は強く、あまり売り上げが見込めないイベントにも出店して信頼を深めていった。そんな高島平のコミュニティーとつながっていたのが、板橋区の朝市の実行委員だった。
愛香さんはリース期間終了後の3月からは、販売価格200万円ほどの中古のマイカーを購入して営業していくという。
「今、借りている車、買い取ると300万円掛かるので……。これからもキッチンカーを続けていきたい」
そう語る、愛香さんの目は輝いていた。
(取材・記事/中村篤人)