「世界屈指のLGBTQタウン」とされる新宿二丁目。同じく新宿のディープな繁華街、歌舞伎町と比べても、どこか淫靡(いんび)で謎めいた雰囲気に覆われている。
元々は新宿三丁目の一角にゲイバーが数軒あったのだが、1968年に新宿二丁目にニューハーフのショーパブがオープンすると、次第に女性厳禁の飲み屋が増加。当時の週刊誌が「男たちが集まる隠れ家」として取り上げると、一気にゲイが集まり現在のような街となった。
およそ300軒あるといわれる飲食店はほとんどが個人店。店主たちはバラエティに富み、その店ならではのルールが存在するところも多い。
しかし、その魅力を知るとついまた足を伸ばしたくなってしまう。
そんな街の個性あふれる店主たちが一目も二目も置いている存在が、深夜食堂「クイン」の名物ママ・りっちゃん(78)。
しかし、2023年9月末、「この街の“住人”ほとんどがお世話になっている」という「二丁目の母」がある決断をした。クインの53年の歴史に幕を閉じたのだ。
日付が変わった午前0時に開店する深夜食堂「クイン」の魅力とは?
「チンチンチーン」
りっちゃんのビール瓶を栓抜きで叩く乾杯の音頭は、この店お決まりの儀式。この音を聞くためだけにビールを頼む客も少なくない。

りっちゃんとビールを酌み交わすと、次第に酒盛りが始まる。ツマミとなるのは、仕事や人間関係の悩み。りっちゃんからは優しいアドバイスだけでなく厳しい叱咤激励も飛んでくる。
また、40年来の常連客は「スマホもアプリもなかった時代、新宿二丁目の中心に位置するクインは街の情報源だった。飲み代が払えず、お金を貸して欲しいと泣きついてきた客に『出世払いだ!』とりっちゃんが気前よく立て替えていたこともあったよ」と教えてくれた。
そんな姿から、りっちゃんはいつしか“二丁目の母”と呼ばれる存在になった。
もちろん、お腹を空かせた客に振る舞われる温かい家庭料理もクインに人が集まる理由だ。
りっちゃんの夫、孝道さん(78)が作る料理はどれも美味しい。客たちは「飾らない味でどこか懐かしさがある」と口を揃える。
そして、これらの料理の値段は「この街に夢を追いかけて訪れた若者たちを応援したい」という夫婦の思いから、実に30年以上にわたって据え置かれた。
安くて美味い孝道さんの料理の味を、お金がなくて苦しかった時期の「青春の味」と記憶している人も少なくない。
53年目ついに閉店を決断
しかし、そんな新宿二丁目の名物店にもその日はやってきた。
1970(昭和45)年のオープン以来、二人三脚でこの街に流れついた人々の心を癒してきた昭和の名残を残すクインが、2023年9月末で53年の歴史に幕を閉じることになったのだ。
理由は、夫婦の体力の限界だ。
記録的猛暑となった2023年8月のある日、孝道さんが倒れて救急車で病院に運ばれて、数日間、臨時休業を余儀なくされたことがあった。元気そうに見えるりっちゃんも、実は坐骨神経痛を患っていて、足腰が日に日に悪化していた。
常連客たちは「辞めないでほしい」と声を上げ、中には涙する人もいた。しかし、りっちゃんの決意は固かった。
「役者は舞台に上がると痛いだの辛いだの言わず役をまっとうしてるだろ。それと同じ。俺にとってお店は舞台。クインのママを演じなきゃいけない。普段の『律子』とクインの『りっちゃん』。同じだけど、別なんだ」
世界のホームラン王・王貞治さんは引退した年にも良い成績を残したが、それでも自分が描くホームランを打つことができなくなったという理由で引退を決めたという。もしかしたら、りっちゃんも同じなのかもしれない。
周りがなんと言おうとも、自分が理想とする「ママとしての振る舞い」ができなくなったと感じたのではないだろうか。
街の繁栄とともに深夜食堂に…
福岡の小倉で育ったりっちゃんは、ひと足先に上京していた9歳上の姉に誘われ、18歳で東京にやってきた。その姉が営んでいた喫茶店の常連客だったのが孝道さんだ。

23歳で結婚すると、25歳の時にクインをオープンした。オープン当初は午前11時〜午後8時までの営業。客のほとんどはビジネスマンだった。
新宿二丁目はかつて、「新宿遊廓」という色街だった。しかし1957年(昭和32年)に売春防止法が施行されて以降、夜は人気のないゴーストタウンのような場所になっていたという。
しかし、「賃料も安く敷金・礼金・仲介手数料もゼロ」という不動産屋の謳い文句に飛びついた人々が小さい飲み屋を開くと、1968年に華やかなショーを売りにした女性厳禁のショーパブ「白い部屋」がオープン。
時代がバブル景気を迎えるころには、新宿二丁目は一気に賑やかな街へと変貌していた。
しかし、そんな賑やかな街に足りなかったのが深夜に食事を提供する店。クインは常連の人の出前注文を受けていたが、そのことが次第に口コミで広がったため、営業時間を昼間から深夜へとシフトすることにしたのだという。
1年半取材した中で一番 大盛況となった最後の夜
2023年9月30日。
クイン最終日には、翌日有給をとった会社員や自分の店を抜けてやってきた店主や店員など多くの常連客が、りっちゃんと孝道さんを笑顔で送り出そうと小さな店に詰めかけた。
年齢も職業も性別もバラバラな人たちだが、客同士の距離は近く、一緒になって飲んで笑っている様子はまるで同窓会のようだった。

普段であれば米2キロ、ビール70本で足りるところが、この日は米5キロ、ビール120本が5時間で完売。酒屋に追加注文をかける事態となった。
りっちゃんと孝道さん。二人が築き、長年守ったクインという小さな場所は、知らない人同士がつながることができ、それぞれが人生を紡いでいく上で一休みできるオアシスだったことがよくわかる光景だった。
そして、たくさんの常連客に惜しまれつつ、クインは閉店した。
やりたいことは全てやったからこそご縁を大切に生きていきたい
閉店から2ヶ月ちょっと経った12月のある日。りっちゃんはクインがあった場所を訪れていた。
新たに開店するピアノバーのマスターを激励するためだ。
バーの店内には、クインの面影はもはやない。そんな空間にいるりっちゃんはどこか寂しげにも見えたが、「婆さんが長居すると、店の雰囲気を壊すな」といつものりっちゃん節で言うと、颯爽と店を後にした。

クインが閉店してからのりっちゃんと孝道さんは、週に1度、夫婦で体操教室に通い、孫とのショッピングを楽しんでいる。そして現在も月に数回、クインの常連客だった人たちの店に足を運んでは、大好きなモスコミュールを嗜む。
「新宿二丁目は人生の楽しみが溢れた街」
りっちゃんはそう語る。そして、言葉通り、今も新宿二丁目で人生を謳歌している。
この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。
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