原発事故以来13年間、時が止まっていた福島県大熊町の小学校。避難した時のままとなっている私物の持ち出しが行われ、当時の児童たちが訪れ再会を喜んでいた。一方、この学校に通っていた娘を亡くした父親…東日本大震災・原発事故発生から2024年3月で13年、震災を風化させないという思いが重なった。

帰還困難区域の小学校

福島県大熊町の帰還困難区域にある熊町小学校。震災当時、333人の児童が通っていた。震災・原発事故からまもなく13年が経つなか、子どもの姿が消えた校舎は老朽化が進んでいた。

福島県大熊町 帰還困難区域にある熊町小学校
福島県大熊町 帰還困難区域にある熊町小学校
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同級生との13年ぶりの再会

2024年2月2日~4日の3日間、大熊町が企画したのが13年ぶりとなる「私物の持ち出し」だった。この日訪れた柳田明徳さん、伏見茉夏さん、尾内梨穂さんの3人は、震災当時小学2年生。かつて共に学んだ教室で、13年ぶりに再会した。

当時・小学2年生だった3人も私物の持ち出しに訪れる
当時・小学2年生だった3人も私物の持ち出しに訪れる

尾内梨穂さんは「この教室で会うことは、特別感があるかなって思います。当時のことを思い出して。私結構人見知りなんですけど、久しぶりにあった人とこんなに話せると思わなかった。ここ(熊町小)の力かなと思いました」と話す。

教室での再会に特別な意味を感じる
教室での再会に特別な意味を感じる

残したいこと

黒板に書かれた日付や付箋だらけの辞書。すべてがあの日のまま、残されていた。「その時のまま止まっているので。震災があった時のまま止まっているから、もう十何年動いていない、ここだけ時間が動いてないみたいな感じなので、残していきますここに。僕がいた証を」と柳田明徳さんはいう。

老朽化が進む校舎 僕らがいた証を残したい
老朽化が進む校舎 僕らがいた証を残したい

伏見茉夏さんは「震災を思い出したり、知らない人もこういうのがあることで、知っていけたりするのはいいことかなって思います」と話した。

震災の記憶・記録を残していきたい
震災の記憶・記録を残していきたい

亡き娘を思う父

木村紀夫さん。父の王太朗さんと妻の深雪さん、そして、当時・熊町小学校の1年生だった次女の汐凪さんを津波で亡くした。

亡き娘の教室へ向かう木村紀夫さん
亡き娘の教室へ向かう木村紀夫さん

避難先の長野県から大熊町に通い、行方不明だった汐凪さんを自らの手で探し続けた。遺骨が見つかったのは、震災から5年以上が経った2016年12月だった。

行方不明だった娘を探し続けた木村さん
行方不明だった娘を探し続けた木村さん

娘を感じられる場所

当時、汐凪さんが使っていた机に残された絵と本。父・木村紀夫さんは「おそらく13年前の3月11日の昼間これ読んでたんだろうと思うんですよ、図書館から借りてきて」とつぶやく。

娘の机に残された絵と絵本 思いを馳せる
娘の机に残された絵と絵本 思いを馳せる

木村さんは「津波を見ているわけでもないし、流されているところを見てるわけでもないので、突然いなくなったみたいな感じ。自分の中では、こういう形で、汐凪が生きていたころの状況がわかる形で残っているというのは、やっぱりここをこのまま残してほしいと思う」と話す。

教室は娘を感じられる場所
教室は娘を感じられる場所

震災遺構として残してほしい

大熊町は校舎を残す方針だが、活用方法については検討が続いている。
娘を亡くした木村紀夫さんは「できるだけ自分事にして、震災を自分事にして考えてほしい。ある意味、他人事。福島県外から来る人たちにとっては他人事で、ここが自分事として考えてもらえる場になっていくと思っているので、ぜひ遺構として残してほしい」と話した。

(福島テレビ)

福島テレビ
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