鹿児島が生んだサッカー界のスーパースターがピッチを去るとの情報は突然もたらされた。
鹿児島出身でJリーグはもちろん、日本代表としても活躍した遠藤保仁選手。記者会見はなく、引退の情報は2023年1月9日、本人のYouTubeで発表された。

「今季限りで引退すると決めた」実家にも報告

遠藤保仁選手の引退の情報は2023年1月9日、本人のYouTubeで発表された。

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「私、遠藤保仁は、2023シーズンをもちまして現役引退させていただくことになりました」オフということもありラフな服装の遠藤選手はこう切り出した。

遠藤保仁選手は1980年1月28日、鹿児島・桜島の出身。高校サッカーの名門・鹿児島実業高校から1998年に当時の横浜フリューゲルスに入団し、J1、J2合わせて776試合に出場した。2023年、Jリーグ30周年を記念して行われたJ30ベストアウォーズではMVPに輝いた。

そんな遠藤選手。2023年の大晦日、桜島の実家に「今季限りで引退すると決めた」と電話をしてきたという。

明けて2024年1月2日、実家に帰省した遠藤選手は両親と2人の兄(長兄・拓哉さん=第69回全国高校サッカー選手権準優勝、次兄・彰弘さん=横浜F・マリノスなどでプレー。1996年アトランタ五輪代表)を前に、現役を退くことを告げた。

父親の武義さんはその時のことをこう振り返った。

遠藤選手の父・武義さん:
渡り歩いたチームの中でもそれそれ貢献してタイトルも貢献することができて、また個人的なタイトルも積み重ねて実績も上げてきたということで、「ここまで26年間、本当によくやった、ご苦労さんでした」と、そういうふうに言ってやりました。

日本代表として歴代最多の国際Aマッチ152試合に出場。ワールドカップも3大会連続で代表に選ばれ、名実ともに日本を代表するプレーヤーの一人となった遠藤選手。

父・武義さんは国際舞台での活躍を「我々も当初はJリーグに入っただけでも満足でしたけども、代表歴も長かったし、代表でもそれなりに実績も上げたんじゃないかなと思って、そういう面では、よくやってきたなあと、誇りに思いますね」とたたえた。

子どもたちからも慕われている遠藤選手

母校、鹿児島実業高校のサッカー部員にとっても、26年間第一線で活躍してきた姿は支えになっていた。

現役の部員らは「遠藤選手のプレーを見た影響もあって鹿児島実業に入った。(遠藤選手が)同じグラウンドでプレーしていたと考えると、落ち込んだときも自然と頑張ろうという気持ちになれた」「目指していた選手が遠藤選手で、自分の目標みたいな存在でした。サッカーをしている人みんなに感動と勇気を与えてくれた。お疲れ様でしたと伝えたい」と語った。

遠藤選手はたびたび鹿児島県内の子どもたちを対象にサッカー教室を開いた。2022年に鹿児島市で行われたサッカー教室では「面に当てて強くボールを蹴ることを意識して、止めるときもしっかり次のプレーがしやすいところに置いて蹴る」と、実演をまじえて指導した。

約2時間の指導を終えた遠藤選手は報道陣を前に「地元に帰ってきて子どもたちと楽しくボールを蹴って僕自身も楽しかったですし、ここから日本を代表する選手が出てきてくれたらと思います」と語っていた。

指導者としての活躍も期待

今後は古巣・ガンバ大阪のトップチームコーチとして指導者の道を歩む遠藤選手は「将来は監督をやる」との決意も家族に語ったという。

父・武義さんは「自分の決めた道だから次の目標に向かって頑張れ。そして指導者として地元の皆さんにもファンのみなさんにも恩返しができるように頑張れよ」とエールを送っていた。

引退表明のYouTubeは「楽しいサッカー人生でした。皆さんまたどこかでお会いしましょう。バイバイ~」と遠藤選手らしいおおらかなコメントで締めくくられていた。

指導者としての活躍に期待したい。

(鹿児島テレビ)

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