2023年、ジャニー喜多川氏の性加害問題が大きく取り上げられた。
この問題が社会で多くの人の心を動かす中、グルーミングや小児性愛着障害の本質に触れられていないことに違和感を持ったのが、精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんだ。
斉藤さんは20年以上、ソーシャルワーカーとしてアルコールやギャンブル、DV、痴漢や盗撮、小児性犯罪など、さまざまな依存症の問題に携わってきた。
著書『子どもへの性加害 性的グルーミングとは何か』(幻冬舎新書)では、これまでの経験をもとにどのような手口で小児性犯罪が起こるのか、被害者の実態から加害者臨床における再発を食い止める治療プログラムなどに迫っている。
今回は1つの事例をもとに、なぜ子どもが性犯罪に巻き込まれてしまうのか、その根底にあるものについて一部抜粋・再編集して紹介する。
塾講師から「英語の勉強」を口実に誘われて
クリニックに来院している人で子どもへの性加害を繰り返してきた人は、診断基準に照らし合わせるとほぼ全員に「小児性愛着障害」という診断がつきます。
小児性愛着障害とは、通常13歳以下の子どもに対して性的関心を持つ精神疾患で、嗜癖(しへき)行動(行為依存)としての側面もあります。そして子どもと信頼関係を築き、関係性を巧みに利用して性的な接触をする行為を性的グルーミング(性的懐柔)といいます。
これから紹介する事例は、面識のある関係でのグルーミングの例です。
<事例>人気塾講師が「英語の勉強」を口実に自宅へ誘う
個別指導の英語塾で講師を務めるD(30代男性)は、学生時代に海外留学の経験があり、英語の発音はネイティブ並み、さらに細身でスマートなルックスも相まって女子生徒からの人気が高かった。
当時Dが担当していたなかに、中学校1年生の女子生徒がいた。彼女は精神疾患のある母親を持ち、家事やきょうだいの世話を一手に担っていた。
父親は「家事は女がやるもの」と強く主張し、ときに女子生徒が勉強や部活で疲れ切って寝てしまうと、「長女なのになぜ家事をやらないんだ」と日常的に叱責し、女子生徒は次第に家での居場所がなくなっていった。
ある日、女子生徒が「どうしたら先生のように英語を話せるようになるんですか?」と英語の勉強法について講師室にいるDに相談。
Dは英語で日記を書くようにアドバイスをし、その日記を添削してあげると約束。このことがきっかけで、女子生徒はDと個人的に話す機会が増えていった。
さらにDは女子生徒の家庭についての相談にも乗るようになった。それまで周囲の大人や友達に家庭の話をしても「大変だね」「頑張って」と言われるだけだったが、Dは具体的なアドバイスを施したことから、女子生徒はDに対して親近感を抱いたという。
次第にDは、英語の勉強と称して塾の外で女子生徒とふたりきりで会うようになっていった。公園や喫茶店で過ごし、さらに自宅にも招き入れるように。
自室では自分が留学していた頃に撮影した写真を女子生徒に見せていたが、そのなかには女性のヌード写真も含まれていた。怪訝(けげん)な顔をする女子生徒に対してDは「芸術作品だから」と語り、繰り返し性的な写真を見せるようになった。
ついには女子生徒が中学校を卒業すると、Dは自宅に泊まりに来るように誘い、その夜に性行為に及んだ。
性行為はそれきりで、ふたりは二度と会うことはなかったものの、女子生徒はやがて不特定多数との性行為を自傷行為的に繰り返すようになった。
カウンセラー顔負けの傾聴力で懐柔
これは機能不全家族、ヤングケアラー(本来は大人の役割と想定されているような、家事や家族の世話などのケアを日常的に行う18歳未満の若者)、父親の男尊女卑的価値観、性依存症、そしてグルーミングと複数の問題が絡み合ったケースですが、ここではグルーミングの加害者の手口に焦点を絞って論じていきます。
まず特筆すべきは、Dのカウンセラー顔負けの傾聴力です。
「受容・傾聴・共感」の3要素を総動員しながら話を聴いています。家庭での悩みを抱えながらも、なかなか周囲の大人たちに相談できず、友達に相談しても「大変だね」と片づけられてしまう。
当時は「ヤングケアラー」という言葉すらなく、女子生徒自身も自分の置かれた状況が公に相談すべき問題であるという認識すらありません。
そんな寄る辺ない女子生徒にとって、自分の話を否定せずに最後まで聴き、具体的なアドバイスもくれるDがとても心強い存在になったのは想像に難くありません。
狙われるのは「孤立した子ども」
顔見知りによるグルーミングでカギとなるのが、子どもの孤立感です。
加害者は、孤立している子どもを巧妙に狙います。家庭で日常的に「お前はダメだ」と叱責されていたり、ほかの子どもと比べられて「ありのまま」であることを否定されている子どもは、自己肯定感が著しく低下しています。
そのような場合、子どもたちは「こんな自分は価値のない人間だ」などと自らを否定し続けていきます。この女子生徒も、父親から男尊女卑的な価値観を押しつけられ、そこから外れるような行動をしたときに激しく𠮟責されていました。
そんな孤立した状態の彼らの前に、自分の話を否定せず聴いてくれるやさしい大人が現れたらどうでしょう。この場合、Dはよき理解者であると同時に、女子生徒にとって英語を流暢(りゅうちょう)に操れる「憧れの人」でした。
家にいたら家事やきょうだいの世話をしなくてはならない。少しでも家事を怠ると父親から𠮟責される。そんなつらい現実から逃げたい一心で、女子生徒は中学卒業後、すぐにDとの性行為に応じたといいます。
加害者の目的は、子どもをカウンセリングすることでも、家庭に居場所がない子どもに寄り添うことでもありません。あくまで性を使った加害行為を達成することが目的です。
その目的を遂行するためには、彼らはターゲットを慎重に選びます。まるでピラニアが血の匂いを嗅ぎ分けるかのように、加害者は孤立した子どもを鋭敏に察知し、狙いを定めていくのです。
性的コンテンツに触れさせて“あいまい”に
もしも子どもが親に悩みや不安をすぐに相談できるような良好な関係なら、小児性犯罪者のターゲットにはなりにくいといえます。
万一被害にあっても親に相談し、すぐに加害行為が発覚するからです。小児性犯罪者がもっとも恐れているのは、加害行為が発覚することです。
彼らは第六感ともいえるセンサーで、すぐに加害行為がバレてしまうような相手はターゲットから除外していくのです。
家庭で親と十分にコミュニケーションを取れず、誰にも相談できない孤立感を募らせた子どもほど、グルーミングのターゲットにされやすい。これはなんとも残酷な現実です。
この事例の加害者Dは「芸術作品だから」と言いながら、女子生徒にヌード写真を見せています。
これには子どもに性的なコンテンツにあえて触れさせることで、境界線をあいまいにし、感覚を麻痺(まひ)させていく意図が含まれています。加害者にとっては、自分がこれから行う行為を「被害」と認識させないためのプロセスなのです。
ちなみにこの女子生徒のように、手なずけられる形で性行為に及んだ場合、それを“同意がある行為”だと思い込まされることは少なくありません。
そのため、被害が発覚しても「(加害者とは)付き合っている」「これは恋愛なんだ」と話すこともあります。
また、グルーミングによって「自室についていった自分が悪かったんだ」などと思い込まされたことにより、何年も経ってからようやく「あれは性暴力だったのだ」と被害に気がつくケースは少なくありません。
さらに、性暴力を受けた被害者が、のちに自傷行為のような強迫的性行動を繰り返すようになることは、臨床ではよく見られます。このメカニズムについては拙著『セックス依存症』(幻冬舎新書)で詳しく述べています。
本来子どもにとって安全であるべき家庭や学校、塾という場所でもグルーミングは行われます。
このことが知識として多くの人に広まれば、周囲からの効果的な介入など、未然の防止策を社会全体で築いていくことができるのだと思います。
斉藤章佳
精神保健福祉士・社会福祉士。大船榎本クリニック精神保健福祉部長。大学卒業後、アジア最大規模といわれる依存症回復施設の榎本クリニックでソーシャルワーカーとして、アルコール依存症をはじめギャンブル、薬物、性犯罪、児童虐待、DV、クレプトマニア(窃盗症)などあらゆる依存症問題に携わる。専門は加害者臨床で、現在までに2500人以上の性犯罪者の治療に関わる