トルコの最大都市イスタンブール旧市街で、ひときわ目をひく壮大な建築物、アヤソフィア。537年にキリスト教の大聖堂として建立され、1453年にはコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を征服したオスマン帝国のメフメト2世がモスクに改修。

そして現在のトルコが建国されると、政教分離(世俗主義)を掲げた「建国の父」アタチュルク初代大統領のもとで宗教的に中立な博物館となった。「共存の象徴」と呼ばれるゆえんだ。1985年にはアヤソフィアを含むイスタンブール歴史地区がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に指定され、今に至る。

「共存の象徴」

外観も圧巻だが、特筆すべきはその内部だ。2つの宗教の礼拝施設だったことから、キリスト教のモザイク画や、アラー(神)などと書かれた大きな円盤が掲げられている。外光が差し込むステンドグラスも美しい。メフメト2世はコンスタンチノープルを征服した直後、真っ先にアヤソフィアに入り、あまりの美しさに息をのんだという。その魅力は何世紀経った今も色褪せることはない。

キリスト教の壁画とイスラム教のカリグラフィーが「共存」 (博物館当時のHPより)

司法判断が追い風に

そんなアヤソフィアに7月10日、歴史的な出来事が起きた。トルコの最高行政裁判所がアヤソフィアを博物館とした1934年の閣議決定を無効と判断したのだ。イスラム色の強い与党・公正発展党を率いるエルドアン大統領は、1994年のイスタンブール市長時代、「アヤソフィアを再びイスラム教徒のためのモスクにする」と述べた。これが最初の「モスク化発言」だとされている。

ただ、その後はモスク化への方向性は否定しないものの、時期尚早だとして決断を見送ってきた。だが、今回の司法トップの判断が出たことでエルドアン大統領は一気に動いた。直ちにアヤソフィアをモスクに戻す大統領令に署名し、その証書の写真はSNSを通じて瞬く間に拡散された。

エルドアン大統領は直ちにアヤソフィアをモスクに戻す大統領令に署名

文化観光省も「アヤソフィア・モスク」と題した動画をSNSに投稿。ドローンによる空撮など、まさにこの日のために用意されていたものだった。そしてエルドアン大統領はその日のうちにテレビ演説を行った。

テレビ演説するエルドアン大統領

演説でエルドアン大統領は「人類の共通の遺産であるアヤソフィアは、新たな地位によりこれまでよりも誠実かつ独創的な方法で全ての人を受け入れ続ける」と述べた上で、「全ての人に我が国の司法機関の決定を尊重するよう求める」として、アヤソフィアのモスク化は内政問題であることを強調。度を超した反論は主権侵害になりうるとけん制した。

モスクとなったアヤソフィアを早速訪れてみると、警戒にあたる多くの警察官とともにバリケードが設置され、物々しい雰囲気で近づくことさえできなかった。既に博物館ではなくなったのだと実感した。イスラム教とキリスト教の「共存の象徴」とされる雰囲気は、早くもかき消されていた。

モスク移行準備のため入場禁止に(11日)

米欧などが反発

これまでモスク化への懸念と批判を強めてきた隣国ギリシャは即座に反発した。ミツォタキス首相は10日、「(モスク化の)決定を最も強い言葉で非難する」との声明を発表。「トルコにとって、ギリシャだけでなくEUとの関係にも影響を及ぼす」と批判した。アメリカ国務省のオルタガス報道官も10日、声明で「トルコの決定に失望している」と表明するなど、キリスト教徒が多い国からの批判が相次いでいる。

世界遺産を管轄するユネスコのアズレ事務局長も声明で「事前協議が無い決定で非常に遺憾だ」とした上で、ユネスコと速やかに対話を開始することを求め、世界遺産委員会の次の会合でアヤソフィアを取り上げる考えを示した。ユネスコは、世界遺産条約に基づく規則に違反する可能性があるとの認識も示している。

国内でも賛否両論

トルコ国内の反応はどうだろう?

アナドル通信(国営):
「最高行政裁判所のアヤソフィアに関する決定は喜びを持って受け入れられた」

サバハ紙(大手紙・右派):
「歴代政権の夢をエルドアン大統領が実現した」

一方、一部の識者やメディアには反対を訴えるものもいる。

トルコのノーベル文学賞受賞者 オルハン・パムク氏:
 「モスクに戻すということは、残念ながら我々はもう世俗主義ではないと世界に向けて発信することだ」

ジュムフリエト紙(左派):
「困ったときの神頼みは古い伝統だ。エルドアン政権は内政外交で行き詰まり、もはや神頼み以外に方法がなくなってしまったのだ」

トルコ旅行ガイド協会取締役 アーデム・ビチェル氏:
「アヤソフィアは寛容と豊かさのシンボルだった。トルコだけでなく世界的傑作だ。しかし今回の決定でトルコのイメージが文明や信仰の衝突の代名詞になってしまうのではないかと不安を感じている」

アヤソフィアの「主」グリがお出迎え

モスク化決定の前日、私は偶然にも別取材でこの「博物館」を訪れていた。世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響で、観光シーズン真っただ中にも関わらず客はまばら。本来であれば入場券を求めて長い列ができ、館内も大勢の人でごった返しているはずなのだが、まさに閑古鳥が鳴いていた。

アヤソフィアの「主」 グリ

そんな中、アヤソフィアの主ともいわれる猫、グリが出迎えてくれた。かれこれ15年ほどアヤソフィアに住みついている猫で、アメリカのオバマ前大統領が訪問した際になでられたり、こわもてのエルドアン大統領も頬を緩めたりするほどの人気者だ。アヤソフィアが博物館だった最後の15年間を見てきた歴史の証人ならぬ「証猫」だ。あらゆる国々からのあらゆる宗教の人々を出迎えてきたグリは今、モスク化に何を思うのだろうか。

キリスト教の壁画の扱い

エルドアン大統領は、7月24日の金曜礼拝からモスクとして開放することを発表した。所管は既に文化観光省から宗教庁に移行され、礼拝に向けた準備が行われている。焦点となるのは、壁に描かれているキリスト教のモザイク画の扱いだ。

キリスト教の壁画を隠す? (博物館当時のHPより)

イスラム教では偶像崇拝が禁じられている。宗教庁は14日、「(キリスト教の)絵は礼拝の妨げにはならない」とした上で「礼拝中に限り絵を隠すか暗くするだけで十分だ」との見解を示した。また、「礼拝の時間以外であればあらゆる訪問客を受け入れる」としているが、アヤソフィアの雰囲気は一変するだろう。いや、変わってしまうのは雰囲気だけだろうか?

トルコはどこへ向かうのか?

1923年の建国以来、トルコは政教分離(世俗主義)を貫いてきた。だが、オスマン帝国時代の栄光を愛してやまないエルドアン大統領は、トルコのイスラム回帰を強めている。エルドアン大統領が言うように、たとえ世界遺産だろうと自国内の博物館をモスクにするのはトルコの権利であり、他国が口出しするのは内政干渉なのかもしれない。

とはいえ、これまで宗教を問わず世界の人々がトルコに魅力を感じ、トルコの文化に興味を持ち、東西文化が融合するイスタンブールを訪れたいと思ってきたのは「共存の象徴」とされるアヤソフィアの存在が大きかったからではないだろうか。アヤソフィア1500年の歴史の中で、今まさに歴史が動いている。建国以来保ってきたその共存の象徴としての「魅力」が今回のモスク化で少しでも失われるとすれば、その代償は大きいかもしれない。

【執筆:FNNイスタンブール支局長 清水康彦】