KTNに残るアーカイブ映像とともに長崎の歴史を振り返る「タイムトラベル長崎」。
古くから交通の要であり、様々な機能を担ってきた長崎港周辺にスポットを当て、長崎港の変遷を半世紀以上にわたり見つめてきた男性とともに振り返った。

生活の足そのものだった“交通船”

長崎港の一角、長崎市元船町を案内してくれたのは元船町自治会長・中川進吾さん(71)だ。
60年以上、街の移り変わりを見つめてきた中川さんにとって、強く印象に残っているのは交通船の利用者のラッシュアワーだという。

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長崎市元船町自治会 中川進吾会長:
(長崎)市営交通船の中でも三菱重工の行き帰りの船もここで乗っていたので、その時間帯、朝夕は大変な混雑だった

朝夕は大変な混雑だったという長崎市営の交通船
朝夕は大変な混雑だったという長崎市営の交通船

長崎市営の交通船は1924年に運航スタート。周辺の道路整備が進んでいなかった当時、人々の生活の足そのものだった。

長崎市元船町自治会 中川進吾会長:
当たり前みたいに人がどっと来る。それが当たり前だったが、ある時期からまちが様変わりして色々なものがなくなったりしたときに、車は多くなったが、人通りがなくなってしまった

長崎・稲佐地区など港周辺の道路整備が進んだ1969年、45年にわたり親しまれた市営の交通船は廃止された。

より生活に近い存在へ 再開発も加速

長崎港周辺は、より市民の生活に近い存在へと変化していった。

官民一体でとりまとめた「ナガサキ・アーバン・ルネッサンス構想」からは、長崎水辺の森公園や長崎県美術館などが誕生した。

元号が「平成」となった年、長崎港のシンボルのひとつ「魚市場」は、75年の歴史にひと区切り。長崎市三重地区に移転し、当時の高田知事や漁業関係者などが再スタートを祝った。

その翌年の1990年には、松が枝国際観光埠頭などで「旅 -海と心と2001」をテーマに「長崎旅博覧会」が開かれた。
初日には、徹夜組を含む観光客や市民約1000人が列をつくり、開場されると、次々とお目当てのパビリオンなどに向かった。
94日間での総入場者数は188万人と、目標の150万人を大きく上回った。

「旅博」のシンボルは、回転しながら登っていく展望台「スカイタワー」だ。「旅博」終了後も9年にわたり、観光スポットとなった。

2000年代に入ると、長崎港周辺の再開発が加速する。

「ストップ・ザ・天神」を掲げて先陣を切ったのは、大型商業施設「夢彩都(ゆめさいと)」。2万3000平方メートル、県内最大級の売り場を誇った。
大型スーパーのほか、長崎初登場の輸入ブランドショップや大型書店などが並び、オープン1カ月で訪れた人は166万人にのぼった。

そのすぐそば、海に面した場所には「出島ワーフ」が誕生した。地元の21社が共同出資し、飲食店や雑貨、美容室など16店舗が入った。

さらに、JR長崎駅横には「アミュプラザ長崎」がオープン。ファッションや映画館などで20代から40代の幅広い年齢層から人気を集め、開業から10年、2010年には予想より1年早く入館者数が1億人を突破した。

進化が続いても大切なのもの…「まずは人」

こうした町の変化を地元の人たちは受け入れ、支えてきた。
長崎市元船町自治会の中川会長は、マンション建設などで町内の人口が増えているとした上で、これまでと変わらず大切にしたいと話すのが「顔が見えるコミュニケーション」だ。

「顔が見えるコミュニケーションを大切にしたい」と語る中川会長
「顔が見えるコミュニケーションを大切にしたい」と語る中川会長

長崎市元船町自治会 中川進吾会長:
まずは人ですね。お金よりも、人との関わり合いを否が応でもとっていくための作業をしていきたい

長崎港エリアに長崎県庁も移転し、交通の要所としてだけでなく、多くの人の日常を支える場所へ。長崎港周辺の進化がいまなお続いている。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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