特定危険指定暴力団「工藤会」控訴審。「北九州地区暴力団犯罪捜査課」の初代課長、藪正孝氏の独占手記。弁護団を一新したその裁判戦略とは…。

証人出廷した元漁協組合長事件実行犯

今回の控訴審で弁護側は、工藤会幹部を中心として、新たに数十人の証人を申請したようだ。その中で唯一認められたのが、元漁協組合長事件の実行犯の1人、中村数年受刑者(77)だ。

中村受刑者は2002年に逮捕されたが、一貫して犯行を否認し続けてきた。中村受刑者は最高裁まで争ったが、2008年、最高裁は上告を棄却し無期懲役が確定、服役中である。報道等によると、今回、弁護側が最初に提出した控訴趣意書では、中村受刑者は引き続き、自らの犯行、野村・田上被告の関与を完全に否定していた。

藤井進一組長
藤井進一組長
この記事の画像(11枚)

今回新たに、事件を主導したのは工藤会・藤井進一組長だと言い始めた。藤井組長は、これまでも事件への関与が認定されている。

さらに今回の控訴趣意書で中村受刑者は、新たに実行犯の1人として藤井組ナンバー2のK幹部の名を挙げていた。ところが、実行犯とされたK幹部は、事件当時、収監中だった。

2023年6月、検察側の指摘を受け刑務所に駆けつけた弁護人に対し、中村受刑者は自らが実行犯で、もう1人は当時、田上被告の配下だったN幹部だと供述を一転させた。藤井組長(2008年6月死亡)、K幹部(2011年8月死亡)、N幹部(2011年7月死亡)、いずれも既に病死している。死人に口なしで、彼らは事件への関与を認めることも否定することもできない。

当初の控訴趣意書で弁護側は、田上被告が関与していれば、被告の右腕とも言えるN幹部が関与しているはずだ、中村受刑者の新証言でN幹部の無実は明確だと主張していた。中村受刑者の「自白」の一転により、今回、田上被告の関与はより明確となった。

一般論として、被告人にしろ、被害者、参考人等の事件関係者にしろ、事件直後の証言の方が、事件から四半世紀も経過した後の証言よりも正確だ。その意味で、事件後25年以上も「無実」を主張していた中村受刑者の新たな証言の証拠価値は極めて低い。しかも重要な内容が二転三転している。

報道では、今回これまでの主張を改めた理由について弁護人から聞かれた中村受刑者は、「関係のない総裁と会長が自分のために事件の主犯だと思われているから。申し訳ないと思っている」と証言したという。ならば、なぜ野村・田上被告の第一審で証言しなかったのだろうか。そして、なぜ大事な内容をころころ変えたのだろうか。

「犯行」を認めた田上被告らに新たな不利益は生じない

今回、突然に一部事件について自らの犯行を認めた田上被告、菊地被告、中村受刑者だが、だからといって彼らがより不利益を被ることはない。刑事訴訟法第402条では「被告人が控訴をし、または被告人のため控訴をした事件については、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできない」と規定されているからだ。

元漁協組合長事件以外の事件では、事件の実行犯を含め、多くの工藤会幹部・組員に有罪判決が下され、中には控訴が棄却され有罪が確定しているものもある。

彼らは、工藤会トップ・野村被告やナンバー2の田上被告らの指示について明確に知り得る立場にない。だが彼らの多くは、女性や直接関係のない歯科医師を襲撃したことを後悔し、菊地被告やその指示を受けた幹部の関与について明確に認めている。菊地被告も控訴しているが、彼自身、そして弁護側も有罪を免れないことは覚悟しているはずである。

田上・菊地両被告に対する一審判決は無期懲役。懲役刑の最高刑である。元漁協組合長事件では被害者が亡くなっているが、その他の組織的殺人未遂事件は未遂に止まっており、その点からも死刑判決は考えられない。何よりも刑事訴訟法の規定により、一審判決より重い刑を科せられることはあり得ない。

元漁協組合長事件・歯科医師事件に関する重要証言

歯科医師事件について、今回の控訴審で田上被告は、「知人を漁協幹部にしようとしたが、歯科医師の父親であるY氏から排除されたことの仕返し」だったと主張しているようだ。何よりも今回、田上被告が歯科医師事件の原因と主張した「知人」のU氏は、一審で明らかになったように、田上被告から命じられY氏への伝言役を務めていた。当時はまさに工藤会親交者だった。

このため、漁協幹部の選挙直前に逮捕、勾留されている。その間に、港湾工事の利権には全く無関係にも関わらず、おいである歯科医師に対する事件が発生した。その前年、2013年12月には、叔父である上野忠義氏が射殺された。

一審判決でも明らかにされているように、歯科医師事件について警察から聞かれたU氏は、当初、一切知らない旨供述していた。実際には、漁協幹部選挙前の2014年3月、U氏は田上被告から「忠義(上野忠義氏)があんなになっとるのに分からんのか」「危害を加えたくないが、俺の考えだけというわけにはいかない。会の方針や」「(歯科医師の父親Y氏に)言うとけ。脅しやないぞ」と告げられている。

そして、歯科医師事件後に保釈となったU氏は田上被告と直接会って、田上被告に事件のことを聞いている。すると田上被告は「(Y氏が)分からんのやけ、息子をやるしかないやろ」と歯科医師事件への関与を認めている。田上被告とU氏の通話記録等も残されていることなどから、田上被告はU氏と会ったことは認めている。もちろん事件に関する話は一切否定している。

U氏は以前から工藤会と関係し、その恐ろしさも十二分に理解していた。また、田上被告とは緊密な関係を持っていた。だから田上被告はU氏を漁協幹部にしようとしていた。悩み抜いた結果、U氏が意を決し、田上被告ら関係について証言してくれたのは、野村・田上両被告が逮捕され、しばらく経過した後のことである。

元漁協組合長事件・歯科医師事件の背景

裁判においては、あくまで提出された証拠のみによって判決が下される。だが、この2つの事件、さらには野村・田上被告の立件に至らなかった他の2事件には共通した背景が存在する。それは、大型港湾工事への影響力を有すると言われた元漁協組合長や、その一族が、工藤会の不当要求を拒否し続けたことだ。

上野忠義組合長射殺事件(2013年12月)現場
上野忠義組合長射殺事件(2013年12月)現場

元漁協組合長事件当時から工藤会との関係を拒否し続けて来た漁協組合長・上野忠義氏は、2013年12月、何者かから射殺された。さらには歯科医師事件後の2014年7月、北九州市八幡西区のマンション駐車場で帰宅した女性が工藤会組員から刃物で刺され、全治約2週間の傷を負った。

上野忠義組合長
上野忠義組合長

実行犯は当時、工藤会会長代行だった工藤会本田組・本田三秀組長配下の組員だった。事件を命じたのは本田組長だった。本田組長は最後まで否認を続けたが、同組ナンバー2の若頭らは本田組長の指示があったことを認めた。

彼らの供述によると、歯科医師事件直後の同年5月末から6月上旬ごろ、本田組長から被害女性を刃物で傷つけるよう命じられた。6月中旬頃、本田組長から計画が中止になってと告げられたが、7月上旬、「うちですることになった」と告げられ、事件を敢行したことが明らかとなった。被害者女性は元漁協組合長である息子Y氏の知人で、以前はY氏の経営する会社にも勤めていた。

歯科医師事件後、Y氏やご家族に対する警察の保護対策はより強化されていた。また、本田組長らは元漁協組合長やY氏らとの接点は全くなく、動機も存在しない。

工藤会本田組・本田三秀組長
工藤会本田組・本田三秀組長

本田組長は、活動拠点を八幡西区に置いていた。また名目上、当時の工藤会では総裁、会長に次ぐ会長代行の地位にあった。「うちですることになった」という発言からも、より上位者から命じられたことは間違いない。それを命ずることができるのは野村総裁、田上会長の2人しかいない。

被害女性がなぜ狙われたのか明確になっていないが、被害者の学生時代の同級生に、工藤会による一連の襲撃事件に深く関与した田中組幹部の男がいる。

あくまでも推測だが、Y氏やご家族に対する保護対策がより強化される中、Y氏らに関係のある者なら誰でもよかったのではないだろうか。野村・田上被告らが検挙されることがなければ、Y氏やその関係者に対する卑劣な事件は続いたはずである。

本田組長は、一審で懲役6年の判決を受け控訴したが、2021年3月、福岡高裁は一審判決を認め控訴を棄却した。

元警部事件等への菊地被告の関与

今回の4事件については、いずれも工藤会田中組幹部・組員が深く関与している。

野村総裁は三代目田中組長、田上会長は四代目田中組長、菊地理事長は五代目田中組長であり、菊地理事長の親分が田上会長、田上会長の親分が野村総裁である。

菊地敬吾被告
菊地敬吾被告

控訴審において、弁護側は元警部事件については、菊地被告の個人的恨みから事件に及んだと主張している。

工藤会対策に長年従事してきた元警部に対する組織的殺人未遂事件を敢行することによって、工藤会への取り締まりがより強化されることは、3人とも十二分に認識していたはずである。第一審の被告人質問で田上被告は、決してやるべき事件ではないことを認めている。

2014年9月の「頂上作戦」
2014年9月の「頂上作戦」

元警部事件後、警察庁は福岡県警に対し全国から機動隊員を応援派遣し、さらには捜査員の応援派遣も行った。

ついには野村・田上被告、そして菊地被告ら工藤会主要幹部の検挙、さらには厳しい一審判決と、工藤会に大打撃を与えた。

そのような重大事件の動機として弁護側は、元警部が現役当時、菊地被告を逮捕し、それ以降、菊地被告が恨みを募らせたと主張している。事件は、元警部退職後1年以上経過して発生している。その間、菊地被告との接触はなく、恨みを募らせる理由はない。

これらの事件では、実行犯等の関係組員の証言等により、一審で菊地被告の指示が明確に認定されている。菊地被告の有罪は揺るがないが、野村・田上被告への追求を少しでも免れるため持ち出したのが、この「動機」だろう。

親分を守るのがヤクザ、暴力団の姿

今回の控訴審で弁護側は、暴力団による個々の事件は、それぞれ個人の判断で行い、上位の者が関与することはない、などと主張している。そんなものは組織でも何でもない。

暴力団は「ヤクザ」を自称するが、ヤクザは博奕(ばくえき)を生業(なりわい)とする博徒を指す。本来、博徒社会ではトップである総長の下、貸元、代貸と呼ばれる博奕場の責任者が置かれる。万が一、警察の摘発を受けても、貸元、代貸で止め、親分を守るのがヤクザ社会の伝統である。

その意味で、特に野村被告は無関係とする弁護側主張は、ヤクザの伝統にのっとった主張だ。そして今回、自らの犯行を認めた田上会長らは、まさにヤクザ社会の「模範」と言えよう。

ただ、賭博開張がそうであるように、親分の意を受けて行動するのが、ヤクザを自称する暴力団の本来の姿である。

看護師事件について、一審で野村被告は「世話になっとる看護師を。通り魔以下の事件です。許せんです」と人ごとのように証言している。これに対し検察側が、実行犯らが処分を受けていない点を追及すると、「処分については、私はどうせいこうせいと言う権限はありませんし、収容されてどうすることもできん。執行部が考えると思います」と発言している。

同様の発言を田上被告も行っているが、一審判決後、2人とも執行部とも接見可能となった。だが、菊地被告を含む襲撃事件に関与した組員らが処分されたという話は聞かない。

そして、今回控訴審で田上被告は、元警部事件など様々な許し難い事件を「独断」で行った菊地被告に対し、看護師事件を命じたと主張し始めた。

殺意はないとの弁護側の主張

一審に続き控訴審においても、元漁協組合長事件を除く3事件で弁護側が一貫して主張しているのが、「殺意」はなかったとの主張である。

この弁護側の主張に対しては、正直怒りを覚える。今回弁護側は、田上被告は看護師事件や歯科医師事件で「ちょこっと刺してやれ、大事はするなよ」「大きなけがはさせるなよ」等と指示していたと強調している。刃物や拳銃で市民を襲うことは、全身麻酔で意識を失った患者に対し、専門の医師が手術でメスを加えるのとは全く訳が違う。刃物や銃を向けられれば、逃げよう、被害を避けようとするのが当然だ。

弁護側が主張するように、黙って傷つけられるような者などどこにもいない。そして、逃げようとしたり抵抗したりすれば、加害者側の「意図」とは異なった結果を生じてしまう。

歯科医師事件では、実行犯の工藤会幹部は、被害者の胸部、下腹部、左大腿(だいたい)部、背部など8カ所を突き刺し重傷を負わせている。間もなく救急隊が到着し応急措置を行ったが、致命的状態と認められ、ドクターカーの医師が駆けつけ治療している。

女性看護師事件でも、実行犯は被害者の左耳上を突き刺し、頬を切り裂こうとしたようだが、驚いた被害者が頭を下げたため、被害者の左眉毛上部方向を切り裂いた。さらに逃げようとする被害者の右前腕部、左腰を突き刺し逃走した。看護師である被害女性は、左側頭部を自分の手で止血し、間もなく救急搬送された。しかし、大量出血により出血性ショックに陥っており、病院搬送が遅れれば間違いなく死亡する状況だった。

元警部事件で使用されたのは、イタリア製の25口径自動拳銃だ。だが、同口径の拳銃が、やはり工藤会幹部による餃子の王将社長射殺事件(2013年12月発生)で使用されている。積極的に殺そうとするならば、元漁協組合長事件のように犯人はとどめを刺す。その意味で、確実に殺そうとまでの意思はなかったのかもしれない。

だが、殺人の故意、殺意がなかったというのなら、被害者が抵抗した段階で犯行を中止すべきである。それにも関わらず、執拗(しつよう)な攻撃を加え、かつ命に関わる重傷を与えている。殺意はなかったという主張は、控訴審でも決して認められないだろう。

控訴審は始まったばかりだが、弁護側が請求した工藤会幹部や元組員ら工藤会側の「証人」の採用は、中村受刑者以外には認められなかったようだ。二転三転した中村受刑者の新「直接証拠」についても、恐らく「新証拠」として採用されることはないだろう。まずは、今後の控訴審の動きを見ていきたい。

福岡県警時代の藪正孝氏
福岡県警時代の藪正孝氏

■藪正孝(やぶ・まさたか)
1956年、福岡県北九州市戸畑区生まれ。1975年、福岡県警察官を拝命。41年間の警察人生のうち16年間、暴力団対策部門に携わる。
2008年、工藤会取締りを担当する「北九州地区暴力団犯罪捜査課(通称・北暴)」の初代課長に就任。2016年、県警本部地域部長を最後に定年退職。その後、ノンフィクション作家として活動を開始。代表作は「県警VS暴力団刑事が見たヤクザの真実」(文春新書)、「福岡県警工藤會対策課~現場指揮官が語る工藤會との死闘~」(彩図社)。新著に「暴力団捜査極秘ファイル初めて明かされる工藤會捜査の内幕」(彩図社)がある。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
テレビ西日本

山口・福岡の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。