イギリスに残る様々な肩書

ワシントンに赴任した20世紀も終わる直前、筆者に“Sir=サー”付きで話しかけて来るアメリカ人が結構居たのには違和感を覚えた。何故ならば、筆者は“Sir=サー”でもなんでもない単なる”Mr.=ミスター“だからである。

相手は丁寧な言い方をしただけなのだが、元々、“Sir”はイギリスの正式な肩書である。
しかも、階級の無いアメリカでは大統領にだって呼び掛ける時は”Mr. President“である。だから、“Sir”と言われて居心地がちょっと悪かったのである。

“Sir”の肩書の詳細は省く。が、因みにイギリスで“Sir”を使って、“Sir”の肩書を持つ御仁に呼び掛けをする場合は、例えば“Sir James”とか“Sir Paul”というように、ファーストネームを使う。“Sir McCartney”というように姓では呼ばない。

王室と貴族制度が今も残るイギリスには、実に様々な肩書が存在する。

イギリス国王 チャールズ3世(EPA=時事)
イギリス国王 チャールズ3世(EPA=時事)
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例えば現在の国王・チャールズ三世は、エリザベス二世の国葬の際、ネットで見つけただけなのだが、以下のように言及されたという。
“the Most High, Most Mighty and Most Excellent Monarch, our Sovereign Lord, Charles III, now, by the Grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of His other Realms and Territories King, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith, and Sovereign of the Most Noble Order of the Garter”

覚える必要など全く無いが、訳してみるとこんな感じになる。
「最も高貴で、最も強く、最も優れた君主で、私たちの統治者であるチャールズ3世は、神の恵みにより、今や、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国とその他の領土および領土の王、イギリス連邦元首、信仰の擁護者、そして最も高貴なガーター騎士団の主権者であります」

その他にもチャールズ三世は、the Duke of Lancaster=ランカスター公爵でもある。
国王に公爵の地位など不要と言えば不要なのだが、このランカスター公爵には、広大な領地・資産が付随している。重要なのだ。政府には、担当大臣さえ置かれている。

イギリス ウイリアム王子(AFP=時事)
イギリス ウイリアム王子(AFP=時事)

The Prince of Wales=皇太子であるウイリアム王子は、the Duke of Cornwall=コーンウォール公爵を兼ねている。こちらにも広大な領地・資産がある。

イギリス王室は明らかに資産を持ち過ぎという批判があるのだが、これは本題から外れるので触れない。

イギリス スナク首相
イギリス スナク首相

では、表題の“The First Lord of the Treasury=ザ・ファースト・ロード・オブ・ザ・トレジャリー=第一大蔵卿”という古めかしい役職名が誰を指すのか?というと、実はイギリス首相のことである。というより、首相の元々の役職名なのである。

ダウニング街10番地のイギリス首相公邸の玄関ドアに輝く表札は、この第一大蔵卿の表札である。Prime Ministerとは掲げられていない。

イギリスで閣議を主宰するのは、最も重要な閣僚とされたこのThe First Lord of the Treasury=第一大蔵卿であったという。そこからPrime Minister=筆頭大臣=首相という言葉が生まれ、現在の形になったという。

第一大蔵卿が存在するならば第二大蔵卿も当然存在する。公邸は首相公邸の隣、ダウニング街11番地である。表札は無いようだが、そこがThe Second Lord of the Treasury=第二大蔵卿、現在の財務大臣の公邸である。

このイギリスの財務大臣の正式名称は、“the Chancellor of the Exchequer=ザ・チャンセラー・オブ・エクスチェッカー”という。“The Minister of Treasury=ザ・ミニスター・オブ・ザ・トレジャリー”ではない。
しかし、財務省という役所は正式には“HM Treasury”という。“HM”は“His/Her Majesty‘s=ヒズ/ハー・マジェスティーズ”の略で、要するに国王陛下の財務省である。ややこしいのである。

注意が必要なのは、同じ“the Chancellor”でもドイツでは首相を指すことだろう。覚えておいて損はない。

イギリス議場では「他議員の名前を口にしない」不文律が…

もう一つ表題に掲げた“Rt. Hon.”もややこしい。これも肩書というか敬称なのだが、“Rt. Hon.”は“Right Honourable=ライト・オノラブル”の略である。直訳すれば、”とても高潔な“という意味になるが、まあ”閣下“或いは”先生“という程度に理解しておけば良いだろう。

ただし、正式には伯爵以下の貴族や閣僚、指定された主要都市の市長など限られた範囲に対してのみ使われる。例えば下院議員としてのスナク首相は、” the Rt Hon Rishi Sunak MP”である。“MP”は“Member of Parliament=メンバー・オブ・パーリャメント”の略語だ。つまり、リシ・スナク議員閣下ということになろうか。

詳しく調べると、議員ならば全員にこの”Rt Hon”の肩書が付くというわけでもないらしいのだが、イギリスの下院議会の討論中継をみていると、この“Right Honourable”という言葉を実に頻繁に耳にする。

曰く“the Right Honourable Gentleman”とか“the Right Honourable Lady”、“my Right Honourable Friend”といった言葉が飛び交うのだ。時には、例えば“the Right Honourable Lady from Battersea”といった言い方も聞く。

説明すれば、“the Right Honourable Gentleman”は反対党の男性議員、“the Right Honourable Lady”は反対党の女性議員、“my Right Honourable Friend”は同じ党の同僚議員、“the Right Honourable Lady from Battersea”はロンドン市内のバタシ―選挙区選出女性議員を指す。具体的に誰を指すかは、その場の討論を聞いていれば分かる。ただし、不偏不党とされる議長は“my Right Honourable Friend”を使わないと理解している。

何故、こんなまどろっこしいことになるのかというと、どうやらイギリスの議場では他議員の名前を口にしないという不文律があるかららしい。議論が沸騰した時に、不要なエスカレートを避ける為という。嘘か本当か知らぬが、イギリス下院の議場真ん中にある通路の幅は、かつて、万が一、剣を抜き合うことがあっても、互いの剣先が触れ合わない距離になっていると聞いたこともある。

議会制民主主義の母国には不思議な慣習があるものだ。

そのイギリス議会で、時の首相が答弁に立つのは、原則、週に一度、水曜昼の45分間だけだ。
明確な三権分立制のアメリカで、大統領が議会で答弁することは無い。年に一度の一般教書演説を合同議会でするだけだ。

国会で答弁する岸田首相(時事)
国会で答弁する岸田首相(時事)

翻って我が国の場合はどうか?

総理が予算委員会に縛りつけられる時間が余りにも長く、多いと思うのは筆者だけではないだろう。議会答弁を軽視するつもりは毛頭ないが、タイム・パフォーマンスがこれほど重視される現代社会に於いて、あれでは政策遂行に支障をきたすのではないかと心配したくもなる。時代遅れであるのは明白だ。もう少し考えるべき時はとうに来ていると思う。

【執筆:フジテレビ解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。