表題の“彼”とは勿論、かのトランプ氏の事である。御年77歳にして権力欲を今なお煮えたぎらせ、エネルギッシュに活動を続ける“彼”にはある意味驚く他ない。
2020年の大統領選挙の結果を覆そうとした容疑や機密保護法違反の容疑、さらには資産を水増して計上した疑い等で“彼”が抱える訴訟案件は刑事・民事合わせて90を超えるらしい。普通ならこれだけで参ってしまうはずだが、“彼”は全くめげない。「魔女狩りだ」「選挙妨害だ」と声高に主張し、自らのキャンペーンのアピール材料にさえしてしまう。
この記事の画像(8枚)“彼”の陣営は、2024年の大統領選挙投票日前に始まる予定のトライアル(事実審理)をテレビ中継するよう求めていると報じられている。公判さえ選挙戦に利用するつもりなのだ。
激戦州でバイデン大統領を若干リード
硬い岩盤支持層にも支えられ、“彼”は共和党の大統領候補指名レースを独走中である。それどころか、最新の世論調査は、“彼”が現職のバイデン大統領を打ち破り、返り咲きに成功する可能性さえ示している。
ニューヨーク・タイムズ紙の調査では、前回2020年の大統領選挙でバイデン氏がいずれも僅差で制した激戦州6州の内5州で“彼”は若干リードしている。
President Biden is trailing Donald Trump in five of the six most important battleground states one year before the 2024 election, new polls by The New York Times and Siena College have found. https://t.co/hRPns2Kxct pic.twitter.com/lFwZlUbxNl
— The New York Times (@nytimes) November 5, 2023
勿論、2024年の本選の結果がこの調査通りになるとは限らない。だが、同調査によれば、伝統的に民主党支持者が圧倒的に多い黒人層やヒスパニック層の支持を“彼”が伸ばしている点や、間もなく81歳になるバイデン大統領の“アキレス腱”の高齢問題を危惧する有権者が70%にも達している点などに民主党関係者がやきもきしているのは間違いない。
4年に一度、11月の第一月曜日の翌日の火曜日にアメリカ大統領選挙は投票日を迎える。合衆国憲法の規定である。故に2024年のその日は11月5日になる。一寸先は闇の政界にあってはまだ1年も先の事、現時点でその結果を断定的に予言する専門家は一人もいないはずである。実際、投票日前に裁判の展開次第で状況が激変する可能性もある。
しかし、“彼”が奇跡のカム・バックを果たしたらどうなるかという頭の体操をしても、鬼は笑って許してくれるかもしれない。そんな情勢なのである。
新政権人事は混乱…予算審議も難航
そこで考えてみたい。もしもそうなった場合、まず想像できるのは新政権の人事の大混乱である。
アメリカにおいては閣僚や連邦省庁の局長級以上、及び、軍主要幹部等の任命には上院の承認が必要である。その数は4000人にも達するといわれる。大統領選挙と同じ日に3分の1の議席が改選される連邦上院議員選挙の結果次第ではあるものの、現在のように民主党が上院の多数派を維持すれば、“彼”の新政権は主要閣僚人事でさえ全く滞る恐れがある。
マニアックになるのを覚悟の上でさらに付け加えれば、上院には「フィリバスター」と呼ばれる議事進行を徹底的に遅らせる手法が存在する。これを打ち破るには、定数100の上院で過半数の50を優に超える60の議席が必要である。共和党がこの60議席を確保し、“彼”の“第二期政権”の高官人事を遅滞なく承認・任命できる可能性は限りなくゼロに近い。
これは党派対立だけが原因になるとは限らない。“彼”の新政権には、与党・共和党の穏健派や実務派のテクノクラートの多くがそっぽを向く可能性が高いからで、例えば2020年の大統領選挙は「盗まれた」という“彼”の主張や“彼”のトップ・シークレットの扱いに賛同・同調する人物なら別として、まともな“大人“が“彼”に積極的に協力しようとするとは考えにくいからである。
第一次トランプ政権には初代のケリー首席補佐官やエスパー国防長官、バー司法長官、ムニューシン財務長官ら“大人”が居て、時に応じて、“彼”の手綱をコントロールしようと努力したはずだが、そういう“大人”がどれくらい“彼”の“第二期政権”に馳せ参じるか疑問があるのである。
“彼”自身も自分の意に染まぬ人間は“彼”の“第二期政権”からパージし、政敵や一期中に自分に逆らった人物を訴追する考えさえ何度となく示している。
また、選挙結果を覆そうとした“彼”の行動に協力し同調した弁護士や共和党関係者、1月6日の連邦議事堂襲撃事件の参加者の多くが既に起訴されたり懲役に服している。“彼”の主張や指示に従うことは、こういうリスクを負う事だという覚悟を持って付いていくまともな“大人”はそんなに多くないはずである。
2022年の中間選挙で共和党が事前の予想に反して振るわなかったのは、トランプ派の候補者の“タマ”が余りに悪かったというのが一因である。仮に“彼”の新政権が誕生すると、“彼”に指名される主要幹部がどんな御仁達になるのか当然疑問・不安が出て来る。新政権が船出さえまともに出来ない可能性は充分ある。
また、連邦予算を巡る政権と議会の争いにも拍車が掛かるだろう。大統領選挙と同日に全議席改選となる連邦下院議員選挙の結果に左右される面は大きいが、アメリカの下院には日本の衆院のような予算審議における優越は無い。現時点では全く予断できないが、仮に共和党が下院で多数派を維持しても、予算審議はスムースにいきそうにない。
25年1月に期限が来る債務上限問題も大揉めに揉める恐れがある。下手をすると連邦政府の一部閉鎖という事態になる。ただし、こちらはバイデン氏が勝っても同様かも知れない。ワシントンの政界は大混乱に陥る恐れが強いのである。
大統領選挙に加えて、上下両院の選挙でもトランプ旋風が再び吹き荒れ、共和党が圧勝すれば事情は変わる。しかし、その可能性はゼロではないが、高いとは思えない。高齢問題などが原因で不人気のバイデン大統領に比べ、民主党の政治姿勢や政策、議員達には根強い支持があるからである。対するトランプ派候補は、選挙区によるが、苦戦する傾向がある。
“ビッグ・ディール”に走るおそれも?対外政策は
続いて、アメリカの対外政策に目を向け、頭の体操をもう少し続けてみる。
ウクライナのゼレンスキー大統領は辛い目に遭う可能性が高い。何故だか確とは分からぬが、大統領在任中、“彼”はロシアのプーチン大統領には甘くゼレンスキー氏に厳しかった。
NATOにも冷たかった。所謂ウクライナへの“支援疲れ”も“彼”の支持者の間で顕著である。欧州は先行き不安になるであろう。
中東政策において、イスラエル支持は多分揺るぎないだろう。いや、その傾向はさらに強まるかもしれない。“彼”はネタニヤフ首相と関係良好だったし、娘婿はユダヤ系ということもあり、親イスラエル感情は強いはずである。ただ、“彼”は化石燃料を好む。中東の石油に釣られ、態度を変える可能性が全くないとは言えない。
いずれにせよ、現在進行中のガザでの戦争が1日も早く収まり、その後、中東和平の実現に向け、誰が合衆国大統領であろうとも、事態が少しでも前進することを願うばかりである。
対中政策には大きな軌道修正はないかもしれない。民主・共和両党に強硬論が根強いからである。それに対中融和意識は伝統的には民主党の方に強かった。元々対中強硬派の多い共和党の“彼”がカム・バックしても、そんなに変化はないかもしれない。
しかし、“彼”は“ビッグ・ディール”を自らの功績にするのが大好きである。元々ビジネスマンの“彼”が、目先の大きな経済的利益に釣られてしまう懸念はある。中国もきっとそれを狙ってくる。北朝鮮も“彼”との“ディール”を狙ってくるだろう。
“彼”の行動は予測不可能である。この点では、“猛獣使い”と言われた安倍元総理が今は亡いのが我が国には響くかもしれない。“彼”がその意見にしっかり耳を傾けた西側外国首脳は、安倍元総理だけだったとさえ言われていた。“彼”が特に対中・対北政策で功を焦り、日・韓の頭越しにとんでもない“ディール”に走る恐れ無しとは言えない。
日本政府にも難題を吹きかけて来る懸念無しとは言えない。TPPからの離脱を決めたのは“彼”だったことを忘れてはいけない。
こんな頭の体操は無用、もしくは大外れになることを筆者は願って止まないのである。
【執筆:フジテレビ解説委員 二関吉郎】
今回のコラムをもって、フジテレビ報道局に所属する記者として、筆者の最後の執筆になる見込みである。ご愛読いただいた方々に心より御礼申し上げたい。