アメリカの国防予算・Defense Budgetは日本語では国防権限法と呼ばれるNational Defense Authorization Act、略してNDAAによって毎年度定められる。最終的に決めるのは連邦議会で、大統領の署名を経て成立するのだが、様々な理由により新年度までには決まらず、若干ずれ込むことも珍しくない。

軍人事にも影を落とす党派対立

アメリカの会計年度は10月に始まるのだが、来年度のNDAAもすんなり決まるかどうかは未知数である。御多分に漏れず党派対立が影を落としているからだ。

アメリカ国防総省
アメリカ国防総省
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現在も審議が続いているNDAAについては、野党・共和党の保守強硬派議員が軍関係者の中絶費用の一部を国防予算で補助することや性的少数派を保護する措置等に反対し、共和党優勢の下院でこれらを制限する修正を加えた法案を通した為、民主党優勢の上院がこれを拒否、今後、両院の協議が続く見込みだ。最終的にバイデン大統領の署名を経て成立するまでには、まだまだすったもんだすると見られている。

党派対立は軍の人事にも影を落としていて、煽りで次の海兵隊総司令官等の幹部人事も決まらず空席になっている。

デビッド・バーガー氏が任期を終え海兵隊総司令官が不在に(2023年7月)
デビッド・バーガー氏が任期を終え海兵隊総司令官が不在に(2023年7月)

国の安全保障に直結する国防予算の成立や司令官の任命が、中絶問題など国内の社会問題の煽りで滞るというのは理解に苦しむばかりである。そのせいで軍備が遅れたり、士気が落ちたり、軍人のリクルートに悪影響が出たりすると、それはアメリカ一国の問題に留まらない。大袈裟かもしれないが、ウクライナ戦争や同盟国の安全保障にも悪影響を与えかねないからである。ほくそ微笑むのは専制国家や独裁国家だけであろう。

たった1人の議員の抵抗でストップ

何故こんなことになるのかというと、アメリカの連邦議会、特に人事の承認権を握る上院は、良く言えば少数意見を尊重せざるを得ないシステムになっているからだ。逆に言えば、多数派の横暴を許さないシステムでもあるのだが、軍幹部承認手続きで横になっている上院議員はたった1人、大使人事も別の理由で別の議員がやはりたった1人で抵抗していてストップしている。物には限度というものがあると思う。このままだと9月に退任するミリー統合参謀本部議長の後任人事にも支障をきたす。これではアメリカの対外的威信は傷つくばかりである。

原子力空母「ロナルド・レーガン」に駐機する各種戦闘機
原子力空母「ロナルド・レーガン」に駐機する各種戦闘機

さて、その国防予算・Defense Budgetは、成立すれば2024年度、約880Billion=8800億ドル規模になる見込みである。日本語と英語の数の単位は万以上になると違ってくるのでピンと来ないが、1ドル=130円で換算すると114兆円を軽く超える。仮に1ドル=100円で計算しても88兆円になる。

これには核開発に関わるエネルギー省の予算も、一部だけと想像するが含まれているし、非公開部分には情報部門の予算も、やはり全てでは無いと思われるが含まれているらしい。余りにも膨大で内容的にも非常に多岐にわたるので、専門家でも全てを完全に把握するのは簡単ではないと思われる。門外漢の筆者などは端から諦めている。

世界2位から10位の総計よりも多い

ただ、理解し忘れない方が良いのは、1ドル=130円で114兆円超、1ドル=100円でも88兆円という、そのサイズ感である。実感は湧きにくいが、日本の23年度一般会計が過去最大で114兆円超、22年度の税収総額が約71兆円であるのと比べるとアメリカの国防予算がとんでもない額であるのだけはおわかりいただけるだろう。

会見するコリン・パウエル米元国務長官(2008年11月)
会見するコリン・パウエル米元国務長官(2008年11月)

かつて統合参謀本部議長や国務長官を務めたコリン・パウエル氏は「アメリカの力の源泉はマーケットである」旨述べたことがある。アメリカの市場規模・経済規模は一時ほどの優位を保てていないが、国防予算だけでこんな支出が可能なアメリカの国力は依然群を抜いている。単純に比較することにどれ程の意味があるのか分からないが、世界各国の軍事予算2位から10位までの9か国の予算の総計よりもアメリカ一国の方が多いらしい。

筆者がワシントンに駐在していた頃、毎年やって来る春の国防予算審議開始の時期になると「一体どうしてこんな国に本気で戦争を仕掛けたのか…」と知り合いの駐在武官と毎年のように悲嘆しあったのを思い出す。予算一つとっても彼我の差はそれ程大きいのである。

今、そのアメリカに経済力でも軍事力でもチャレンジしようとしている専制国家が我が国のすぐ近くにある。これも我々は忘れてはならないと思うのである。

【執筆:フジテレビ解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。