ウクライナの街・ブチャに、ロシア軍に虐殺された501人の名前が刻まれたモニュメントが設置された。中には、殺害された日付がわからない人や、ロシア軍の狙撃兵がわざと狙って殺害された市民も。知人の名前を探しに来た女性は、ロシアへの怒りをあらわにした。

ブチャにできた追悼モニュメント
ブチャにできた追悼モニュメント
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「侵攻から500日を前に、ブチャに追悼モニュメント」

ロシアがウクライナに軍事侵攻してから、7月8日で500日が経過。

それを前に、多くの市民がロシア軍に虐殺されたブチャに、追悼のためのモニュメントが設置された。

モニュメントに訪れる多くの人々
モニュメントに訪れる多くの人々

設置されている場所は、ブチャの公園の入り口で、モニュメントを見つめる多くの人の姿があった。

「虐殺された遺体が見つかっても亡くなった日付がわからない人も」

モニュメントには、亡くなった市民や、この地域を守っていた人の名前とともに、生まれた日付と亡くなった日付が刻まれている。

亡くなった日付がわからず、ウクライナ語で「3月」と刻印
亡くなった日付がわからず、ウクライナ語で「3月」と刻印

一方で、亡くなった日付の場所にウクライナ語で「3月」とだけ記されている方も。これは、遺体で見つかったものの、いつ虐殺されたかわからないため、このように記すしかないという。

モニュメントに刻まれているのは、501人。
しかし、いまだに身元がわかっていない遺体があり、実際の犠牲者の数はもっと多いという。

「戦争を求めなかった平和な一般市民の人生が刻まれている」

亡くなった知人の名前を、モニュメントで探していた方に話を聞いた。

亡くなった知人の名前を探しに来たブチャ市民
亡くなった知人の名前を探しに来たブチャ市民

亡くなった知人の名前を探しに来たブチャ市民:
Zhannaは、ブチャの有名なボランティアで、うちの娘の友達だった。戦争の前、動物に餌を与えたり、負傷した鳥を治療したり、困っている人を支援する活動をしていました。侵攻が始まったあとは、車で負傷した人や体の不自由の人を避難させていました。しかし、その車が撃たれて殺害されました。中に2~3人のボランティアがいて、半年後に発見されました。

もう1人の友達は、家族と一緒に線路に沿って避難していました。彼女、彼女の夫と20歳の娘がいたが、狙撃兵は、彼女の額を狙い撃った。いたずらに親切なブチャの女性を殺した。

モニュメントには、誰かの母親、娘、孫…。戦争を求めなかった平和な一般市民の人生が刻まれていると、全世界に伝えてほしい! ただの鉄の板ではないと! 現代にこういう蛮行が起こるとは…。(ロシアは)罰せられなければならない。

 
 

ウクライナ軍がブチャを奪還してから、1年以上が経過したが、ブチャの市民の心が癒えることはない。

加藤崇
加藤崇
国際取材部
国際取材部



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