人権問題などで常に世界の目が注がれる、新疆ウイグル自治区。中国の外国記者協会が2021年に出した報告書で、現地への渡航や取材が「特に困難」であることが記されている。

現地取材経験のある“先人”たちからは、数々の苦難を耳にしてきた。当局者から終始尾行されたといった無言のプレッシャーはもちろん、到着した空港で渡航理由を聞かれ外に出ることもなく追い返された、撮影した映像や画像を消去させられた、さらには当局に身柄を拘束されたといった厳しい類の対応もあったという。中国政府にとっても、取材する側の我々海外メディアにとっても「超敏感エリア」なのだ。

街中の監視カメラ ウルムチだけで4万3000台以上(2019年時点)とのデータもある
街中の監視カメラ ウルムチだけで4万3000台以上(2019年時点)とのデータもある
この記事の画像(10枚)

死傷者1800人以上 14年前の大規模抗議の現場へ

超敏感たる所以の1つとして語られるのが、2009年7月5日から7日にかけて中心都市・ウルムチでおきたウイグル族の抗議活動だ。

漢族とウイグル族の民族対立を背景に、多数のウイグル族と治安当局が衝突したこの“事件”では、当局発表だけで197人が死亡、ケガ人は1700人以上出たとされている。中国政府はこの抗議活動を「ウイグル族によるテロ行為」と位置付け、当時、“被害を受けた”場所として、海外メディアに一部の現場を公開した。

しかし現場公開当日にも、身内の男性が次々に当局の手によって連れ去られたと訴えるウイグル族の女性たちが海外メディアの目の前で抗議活動を展開し、当時の取材映像は世界に衝撃を与えた。

身内の男性が当局に突然連行されたとして多数の女性たちが抗議(2009年7月7日撮影)
身内の男性が当局に突然連行されたとして多数の女性たちが抗議(2009年7月7日撮影)

あれから14年。当時の映像などを頼りに、“被害現場”としてメディアに公開された場所付近を訪れた。FNNがこうした敏感なテーマについて新疆ウイグル自治区でカメラ取材を行うのは4年ぶりのことだ。

現地に到着してすぐに見て取れたのは、都市開発が進み、様変わりしたウルムチの様子だった。14年前、車などが焼かれる被害を受けたとして公開された自動車販売店があった場所はホテルや銀行などが入る建物に変わり、ウイグル族が抗議の声を上げながら行進した道路の周辺にはいくつもショッピングモールが立ち並んでいた。

当時の記憶は完全に消えてしまったのだろうか。道路周辺には当時の面影が感じられる一角もあり、そこでインタビューを試みた。

唯一、まともに取材に答えてくれたのは19才の男性だった。彼は14年前の抗議活動について全く知らないと話し、「このあたりは、警察も多数配備されていてとても安全。今、抗議活動は起こりえない」と胸を張った。

周辺で話を聞こうとするもほとんどの人が口をつむぐ(6月23日)
周辺で話を聞こうとするもほとんどの人が口をつむぐ(6月23日)

一方で、我々が日本のメディアであることを事前に告げたからであろうか、大多数の人がそもそも“取材お断り”だった。また、当初、握手までしてきて快くインタビューに応じていたのに、14年前のことに質問が及んだ途端、表情が一変して取材の中止と映像の消去を求めてきた人もいた。月日が経ち現地の風景が変わる一方で、人々の心の奥底に当時の残像が残っていることを垣間見た瞬間だった。

10人近くによる尾行・監視…まさかの”手のひら返し”も

こうして人々が口をつぐむ中、取材班の身の回りでは不穏な空気が顕在化していた。

インタビュー中、当局者とみられる複数の人物が我々を入れ替わり立ち替わり監視している。彼らは、こちらが動きを見せるとすぐにスマートフォンを取り出して撮影したり、電話でこちらの行動を報告しているような様子も見えた。彼らからみて違法行為と解釈されるような動きをみせれば、即座に身柄を拘束されるおそれもある。

当局者とみられる人物の1人 尾行は帰りの空港まで続いた 
当局者とみられる人物の1人 尾行は帰りの空港まで続いた 

実は、こうした異変は、取材班がウルムチに入った初日から起きていた。

今回の取材では、信頼できる関係者を通じて取材用の車と現地ガイド兼通訳を紹介してもらったが、そのガイドから突如、パスポートの身分証明部分の写真を撮らせてほしいと申し向けられたのだ。一体何に使うのかと質問すると、彼は大きな声でこういった。

「公安に提出するんですよ!」

こちらにとっては身内だと思っていた人物から裏切られた格好だが、彼らにも現地での生活があるので致し方ない。ただ、公安側からはその日のうちに「しっかり現地を案内するように」との連絡があったという。一度はガイド自体を断ろうかとも思ったが、断ると公安側にいらぬ刺激を与える恐れもある。一方で、インタビューでは当然敏感な話題に話が及ぶため、取材現場での立ち合い及び通訳を頼むことはできない。移動中の会話や日本への連絡も要注意となる中、先ほど述べた集団監視がいよいよ顕在化したわけだ。

ゼロコロナ批判”白紙運動”の起点 10人死亡火災のマンションは

身辺の緊張感が一気に高まる中、我々は、別の敏感な場所も取材した。それはウルムチ市内中心部のマンション。ここでは2022年11月に火災が発生し、公式発表によると10人が死亡した。

消火活動の様子(2022年11月24日)
消火活動の様子(2022年11月24日)

当時、ウルムチは3カ月ほど事実上のロックダウン措置が取られていて、厳しすぎる封鎖措置により消防の到着や住民の避難が遅れ、被害の拡大を招いたとする批判が急速な広まりをみせた。これがゼロコロナ政策解除に向けた転機となったといわれる”白紙運動”のきっかけとなったのだ。

上海市内では「ウルムチ」の名を冠した通りやその周辺で抗議の声があがった(2022年11月27日撮影)
上海市内では「ウルムチ」の名を冠した通りやその周辺で抗議の声があがった(2022年11月27日撮影)

ゼロコロナ完全解除から半年あまり、白紙運動の起点となったマンションを訪れると、直近の通りからはっきりとみえる側の壁は補修され、かつて黒焦げになっていた部分は上塗りされていた。一方で、通りに面してない側に近づいてみると黒ずんでいる部分が残っていた他、壁の一部は剥がれた状態に。その様子をしばらく撮影していたところ、住民とみられる女性から立ち去るよう求められた。

ウイグル族の間では「犠牲者は数十人に上っている」という声もあるという (6月22日撮影)  
ウイグル族の間では「犠牲者は数十人に上っている」という声もあるという (6月22日撮影)  

いわばゼロコロナ解除の引き金となった火事のことや、その後の抗議活動の広がりをどう考えているのだろうか。周辺住民にインタビューを試みたところ、先に述べた14年前の現場の時と同様、大多数の人が口をつぐんだ。一部、取材に応じた人もいたが、「ニュースで見た程度で詳しいことは何とも言えない」といった反応だった。

「忙しくて(ニュースを)見る時間もない!」男性の心の内はいかに
「忙しくて(ニュースを)見る時間もない!」男性の心の内はいかに

また、マンション真横の区画の商店主は火事のことを知らないと語り、火事のニュースは見たのかという私からの問いには「忙しくて見る時間もない!」と強い口調で答えた。

私たちが事前に日本のメディアであると名乗っていること、その近くで当局者とみられる人物が尾行・監視していることも手伝ったのか、インタビュー現場には言うに言えない空気が漂っているように感じた。

こうした中でもさらに火災現場間近の場所で取材をしていたところ、制服を着た公安当局者から職務質問を受けた。どこから来た誰なのかという身分確認の他、何をしているのかとしきりに尋ねてくる。過去の経験上、この類の職務質問は住民などの通報がきっかけになることが多い。ただ今回は、そもそもこの時点で我々の周辺には私服の公安関係者とみられる人物10人近くが監視している状態。職務質問のやりとり自体は穏やかに進んだが、聞くまでもなくこちらの素性は把握しているはずだった。自分たちが置かれている状況をみるにつけ、これ以上、首をつっこむなという暗黙のメッセージのように思えた。

また、職務質問にやってきた公安関係者が、漢族とみられる男性1人とウイグル族とみられる男性2人の3人組だったことも印象深い。3人の間にはあうんの呼吸ともいえるような連帯感があった他、役割分担もはっきりしていた。中国政府は国内の大多数を占める漢族とウイグル族など少数民族との融和を掲げている。

イスラム教のモスクには中国語とウイグル語の表記(6月23日撮影)
イスラム教のモスクには中国語とウイグル語の表記(6月23日撮影)

中国では7月から改正スパイ法が施行され、何がスパイ行為にあたるのかどうかはっきりせず、当局による恣意的運用への懸念も広がっている。

西側諸国からみれば「抑圧と制限」、中国側からみれば「国内の正常化と民族の融和」。

最も取材が困難と言われる新疆ウイグル自治区をめぐって、相容れぬ価値観の衝突は今後も激しさを増しそうだ。

(FNN上海支局長 森雅章)

森雅章
森雅章

FNN上海支局長 20代・報道記者 30代・営業でセールスマン 40代で人生初海外駐在 趣味はフルマラソン出走