九州を代表する観光地の1つ湯布院。街を走る辻馬車は走り始めてもうすぐ半世紀を迎える、湯布院観光の顔ともいえる光景。辻馬車が走り始めるきっかけは町を襲った地震だったが、実は開始当時は「苦情ばかり」だったそう。いかに観光、そして日常の風景になったのか。

のどかな風景と辻馬車

多くの観光客がスマートフォンやカメラを片手に写真を撮る湯布院観光の名物・辻馬車。白い毛並みが特徴的な馬の名前は「ユキちゃん」。馬車を走らせる御者の佐藤さんと共に21年に渡って活躍する大ベテラン。

御者・佐藤宏信さん:
すごくじゃじゃ馬だったんです、最初は。そこから馬車に慣れて。全国的に見ても長く元気で無事故でやっている馬ってあまりいないらしく、リピーターも大勢いる。年に10回来る人もいるくらい。

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誕生のきっかけは町を襲った地震

現在、ユキちゃんを含めて4頭が辻馬車を引いている。今では町の名物となっている辻馬車だが、その誕生のきっかけは1975年に町を襲った「地震」だった。

由布院玉の湯 会長 溝口薫平さん:
私は観光協会長だった。(地震で)被害もありましたが、報道がもう湯布院がなくなったみたいに、これは大変だと。

湯布院ブランドの礎を作り、街づくりを牽引してきた人物の1人、溝口さん。今から50年近く前、地震による被害が実際よりも大きく報道されたことによって客足が途絶えてしまったと話す。そこで、地震からの復興のため溝口さんをはじめ街の若者たちが選んだのがヨーロッパ視察で目にした辻馬車だった。

溝口さん:
馬を買いに対馬に行く。木曽と対馬に小型の大衆馬がいるということで、すごくおとなしい馬だから、それならば素人でもなんとかなるだろうということで5頭買いました。

親しまれるまでは苦労も…

馬の調教も馬車作りもすべて自分たちの手で行い、御者も歴代の観光協会長自らが務めたという。

溝口さん:
歴代の観光協会長が馬を引くということが一つの話題。それと旅館の親父が馬を引くという話題性。だけど慣れていくまでは大変。自分の家の前に馬糞があるから掃除に来いとか、街の中で馬が駆け回って寝られなかったとか苦情ばっかりだった。街の中で認知されるまで、町民から親しまれるまで 1年から1年半は最低かかりました。

溝口さんが当時、辻馬車を引く時にはイタリア製の帽子を被っていた。

溝口さん:
こういうことは粋にハイカラにそうやらないとね、田舎のおっさんが何か麦わら帽子被っていてもかっこよくないですよ。

そして、今では観光コンテンツとしてだけではなく湯布院の日常の風景になっている。

これからも変わらない風景を

由布院温泉観光協会 会長 太田慎太郎さん:
今はシンボル。辻馬車の歩みを止めない姿は湯布院が前に向かって進んでいるという姿に近い感じがします。観光で一番苦しいのは、お客様がいらっしゃらない時。熊本地震の後にお客様がいなくても辻馬車を走らせようとか辻馬車を早く復活させようとか。コロナ禍でも止めずにやっぱり走らせようとか。カッポカッポと歩いてくれるだけで、今日も湯布院観光は生きているっていう、自分たちの生存を確認するようなツールになっています。

溝口さん:
町の風物詩として 湯布院といえば辻馬車っていうぐらいになって。時間はかかったけど良かったなぁと思いますね。

震災からの復興に向けて走り始めた辻馬車の歩みはもうすぐ半世紀。多くの困難を乗り越え、これからも変わらない湯布院の景色をつむいでいく。

(テレビ大分)

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