死刑判決から半世紀以上たち、裁判のやり直しが決まった袴田巖さん87歳。最初に裁判のやり直し決定を出し、袴田さんの釈放という決断を下したのが静岡地裁だった。その静岡地裁での審理を指揮した元裁判官が、袴田さんの支援者集会に出席した。語ったのは長年 胸に秘めていた思いと覚悟だ。
支援者集会に招かれた元裁判官
この記事の画像(17枚)2023年5月19日、袴田巖さんの支援者が開いた集会に、巖さん・姉のひで子さんとともに招かれたのは村山浩昭元裁判官だ。約10年間、胸に秘め続けた思いを語り始めた。
村山 浩昭 元裁判官:
袴田さんの年齢を考えると、できるだけ速やかにきちっとした審理をして判決をしてもらいたい
指摘した“捜査機関によるねつ造”
1966年、当時の静岡県清水市(現・静岡市清水区)でみそ会社の専務一家4人が殺害され、当時・従業員だった袴田巖さんが逮捕されたいわゆる「袴田事件」。
2014年、静岡地裁は裁判のやり直しを認める決定を出した。その根拠の1つとされたのが犯行着衣。一度、警察が捜索したはずのみぞタンクから1年2カ月後に見つかった。
死刑判決の最大の根拠とされた5点の衣類について「捜査機関によるねつ造の疑いがある」と指摘した。
袴田事件弁護団・西嶋 勝彦 弁護団長:(2014年)
地裁の決定は「疑わしきは罰せず」という原理原則を忠実に生かした決定だと思います
袴田事件弁護団・小川 秀世 事務局長:(2023年2月)
弁護団側からしっかり捏造の偏見が消えたのは、やっぱり静岡地裁がああいう形で、はっきりと警察による捏造の可能性があると言ってからですよね。裁判所が言っている。大きいですよね
当時・静岡地裁で審理を指揮していたのが村山元裁判官だった。
村山 浩昭 元裁判官:
1年ちょっと経って、みそ樽の中から血染めの衣類が出てきたというのは偶然ではありえない。論理的には真犯人がやったか、捜査機関がやったか、どっちかなんですが、真犯人がそんな危険なところに近づくとは思えないですよね。私は常識論として“ねつ造しかない”と思いました
さらに、死刑の執行停止と拘置の停止という決断を下し、袴田さんは48年ぶりに釈放された。
村山 浩昭 元裁判官:
袴田さんは健康状態が非常に危ぶまれていました。あとでどういう批判を受けようと、私たちとしては釈放するしかないという結論になったということです
「勇気いること」変わり始めた司法
元検察官の若狭勝弁護士は2014年、これまでの裁判と変わり始めた状況について、こう話していた。
若狭 勝 弁護士:(2014年)
これまでは確定判決の重み・威厳というものに価値を相当置いていたんですよね。確定判決がコロコロ変わるようであると、裁判そのものに対する国民の信頼が失われてしまうと。確定判決は維持しなければいけないということがまず大きな価値としてこれまで動いてきたんですが。最近は裁判員裁判(2009年)が始まって、司法は国民の目線で考えるという動きになってきました。となると、確定判決に誤りがある可能性があるのであればそれを正すのが正義でしょう、それが国民の素朴な感情でしょうと
それでも、過去の裁判官の判断、判決を取り消すことは極めて大きなことだ。
村山元裁判官は、2023年3月、再審開始決定を出し証拠の「捜査機関のねつ造の疑い」に言及した東京高裁の判断について、「勇気のいること」と話す。
村山 浩昭 元裁判官:
5点の衣類がねつ造ではないかと言及したのは、正直 こうした言及をするのは勇気がいることではあるんですよね。なぜなら、それを書くと検察官を敵に回すことははっきりしている。今回の高裁の決定については、その姿勢と中身を含めて、大変すばらしい審理と決定をされたと思っております
命の危機 捜査機関と司法に責任
村山元裁判官は一日も早い袴田さんの無罪判決を望むとともに、「再審法」の問題点を指摘している。
村山 浩昭 元裁判官:
袴田事件にかかわってから改正が必要だと真剣に悩み始めた、考え始めた。裁判官を退官するころには確信を持っていました。現在は確信がさらに強まっているというのが実情です
集会に先立ち、袴田巖さんと初めて対面。ひで子さんは、村山元裁判官に対し「命の恩人です」と感謝を伝えた。
記者:
ひで子さんから「命の恩人です」と言葉をかけられたことについては。
村山 浩昭 元裁判官:
とんでもないです。それは違う。命の危機にさらしたのは捜査機関であり検察官であり裁判所です
袴田さんが有罪か無罪か、再び審理が始まる時、決着がつく日を村山元裁判官は待ち続ける。
(テレビ静岡)