2022年10月、79歳で亡くなったプロレスラー・アントニオ猪木さん。

「めざまし8」は、猪木さんの長女・寛子さんを独自取材。

初めてテレビ取材を受けた寛子さんは、今まで語られることがなかった、猪木さんの父親としての一面を明かしてくれました。

アントニオ猪木さんお別れの会 遺影の下にはリング

3月7日、両国国技館で行われたアントニオ猪木さんのお別れの会。

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式典は猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」で始まりました。「闘魂」と書かれた大きな文字と共に飾られた花。そして遺影の下にはリングも。

「アントニオ猪木 お別れの会」会場の様子
「アントニオ猪木 お別れの会」会場の様子

切磋琢磨した仲間や多くのファンが、10カウントで黙とうを捧げました。

娘が語る父・アントニオ猪木の素顔 親子3人秘蔵写真も

アントニオ猪木さんの娘・寛子さん
本当にパパの介護をした人たちに本当にありがとうございましたって言いたいし、最後の最後まで頑張り屋。死ぬ間際まで頑張り屋

めざまし8の取材に答えてくれたのは、アントニオ猪木さんの娘・寛子さん。これがテレビでは初めてのインタビューです。

母・倍賞美津子さん、父・アントニオ猪木さんとともに寛子さんの七五三の時に撮影した思い出の写真
母・倍賞美津子さん、父・アントニオ猪木さんとともに寛子さんの七五三の時に撮影した思い出の写真

寛子さんが見せてくれたのは、親子3人で撮った思い出の写真。母で女優の倍賞美津子さん、父・猪木さんとともに、七五三の時に撮影した1枚です。

カメラの前で初めて、家庭内での父と母の姿を語ってくれました。

――お父さんとの一番の思い出は?

寛子さん
パパがインラインスケートやろうとして、で、あの、(パパは)運動神経よくないんですよ、見てると。でも、運動神経よくないからすごく頑張る。本当に一日中インラインスケートやってました。

――寛子さんにとってはどんなお父さん?

寛子さん
はっきり言って、最低なお父さんかもしれないです。普通のお父さんみたいに送り迎えとか、学校で何かやったり、見に来てくれたり、そういうのはなかったけど、反対に人より素晴らしい人間だから、悪い父親でもその人間としての素晴らしさで…、悪いお父さんでもよかったなと思います。

そんな父の、特に印象に残っている姿が…

寛子さん
代官山に住んでいた時の思い出がすごい。いつもパパがパンツ一丁で床に寝てて、若い選手がマッサージしたり。ママがみんなのごちそうを作っている…。結構出入りが多かったので、そういう思い出がありますね。

猪木さんだけでなく、弟子の面倒も見るなど、夫を支えていた母・倍賞さん。そんな両親は、約17年で結婚生活にピリオドを打ちます。

倍賞さんは離婚後も、猪木さんのことを気にかけていたといいます。

寛子さん
(猪木さんの死について母は)結構ショックだったっていうのもあるし、私のお母さん、直腸がんもやって肺がんもやってたから、もしかしたらどっか自分の中で、私の方が先に逝くのよと思っていたのかもしれないし。あと、どこかで離婚してても電話一本で通じるなっていうのがママの中にあったみたいで。で、それがなくなっちゃった。

「つらいことがあったらパパのことを思い出して前向きに生きてほしい」

猪木さんが亡くなった今、寛子さんがファンの人たちに伝えたいことは…

寛子さん
よくパパが“猪木ツアー”というのをやっていたんですよ。ファンの人とかがアメリカに来て(一緒に)ツアーするみたいな。そこでは本当に夜遅くまで、ファンの人が悩み事とかをパパに語っていて…、パパに話すともう人が変わったような感じでみんな部屋を出て行って。ファンの人たちに言いたいのは、何かつらいことがみんなあったりしたら、できたらパパのことを思い出して…力をもらって、またその問題を乗り越えて、前向きに生きてもらいたいな。

リングの上から勇気と感動を与え続けてくれた、アントニオ猪木さん。

「お別れの会」で初めてカメラの前に立ったのは、寛子さんの次男・尚登さん。猪木さんの孫です。

寛子さん
彼はとってもすごくパパのこと尊敬しているので、特に男の子だから。

リング上で活躍する「燃える闘魂の遺伝子」を見られる日が来るかもしれません。

(めざまし8 3月8日放送より)