部活動で地獄のような学校時代を過ごしてきたアスリートたち。
2月12日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では「二度と戻りたくない」「楽しい青春はなかった」と今の部活動では考えられない経験をしたアスリートが、当時を再現した制服を着用して登場した。
体育館裏でボールを蹴る先輩がサッカー部だった
出身は神奈川ながらも、島根県の高校に通っていたという元サッカー日本代表の岡野雅行さん。
島根出身のネルソンズ・青山フォール勝ちさんも「島根の中で異色な高校。地元の人がいかない高校でした」と語る。
この記事の画像(10枚)岡野さんは自身の出身校、松江日本大学高校(現在は立正大学淞南高等学校)を「全国のヤンキーを集めて正しい道に進ませる高校で朝は団体訓練があって…」と話すと、厳しい学校生活を送ってきた番組MC浜田雅功さんも「うちもあった!」と飛びつく。
また「寮から学校まで行進して、1時間目は不動の姿勢という授業で2時間目は作業で建物を作っていた」と振り返る。
そんな岡野さんの過酷な学校生活は入学した日から始まり、「入学式が特攻服だらけだった」と明かす。
「入学式のときにほとんどが特攻服を着ていて。僕はサッカーが大好きな普通の少年でした。神奈川は高校の数も多いんですけど、島根は少ないので選手権に出るチャンスがあるかと思っていた。サッカー部に入るつもりが、サッカー部がなくて。あるって聞いたから行ったんですけど。
で、聞いたら『ありますよ。体育館裏の方でやっているんじゃなか』と言われて見に行くと、1人だけ壁にボールを蹴っている先輩がいて『サッカー部ですか?』と聞いたら『そうだよ』と。その先輩とサッカー部をつくりました」
人をかきあつめてサッカー部がつくられるが、デビュー戦では「キックオフと同時に跳び蹴り」という事件が発生した。
練習試合を申し込むも断られることがほとんどで、ようやくできることになった1校を訪れると、岡野さんも驚くほど荒れた高校だったという。
「行ったら相手がいなくて遠くで制服着てサッカーしている人たちがいて。その人たちが制服のまま並ぶんです。イヤな予感がしたんですけど、笛と同時に先輩が跳び蹴りしました。そこから大乱闘で初めての試合でボールが1回も動いていない」
乱闘の結果は勝利し、先輩たちは喜んでいたようだが、岡野さんは大泣き。「やめます」と言ったという。すると翌日先輩から呼び出されて謝罪を受け、「そこから真面目にやってくれた」と話した。
ただサッカー経験者は岡野さんしかいなく、選手兼監督も務めていたため、経験者のスカウトもしていたという。
その結果、入学してくれたのが「最強にして最狂の後輩ムカデ」だったと明かす。
触らない、鳴らさない!寮生活独特の起床ルール
「サッカー経験者でサッカー部に入りたいと入学してきたんですけど、1年生なのにパンチパーマ。暴走族の総長だった、って言うんです。練習試合で合宿した際にムカデの家に泊まったんですけど、あいさつしたお父さんもただものじゃなく。お兄ちゃんは“真面目”と言っていたんですけど、夜特攻服着て帰ってきて…」
そんな学校生活を送りながらもサッカー部は着実に伸びていき、「スカウトできてくれた子もいたので、県のベスト4までいきました」と語った。今では全国大会の常連校にもなっている。
「地獄の1年生時代」を送ったというのは、野村忠宏さん。オリンピックで3大会連続金メダルを獲得した柔道界のレジェンドだ。
天理高校柔道部出身の野村さんが過ごした1年生の日常は「『絶対に起こせ!』ただし『絶対に触るな!』」だったという。
寮生活の中で1年生の役割の一つが先輩を起こすこと。「朝5時に起きて掃除をしたあと、3年生を起こしに行くんですけど、起こし方の作法がめんどくさい」と眉間にしわを寄せる。
その作法をスタジオで実践してもらった。まず静かに入室して寝ている先輩の足元に近寄り小声で「起床のお時間です」と声をかける。これで起きる先輩は手や足を上げるなど反応をするが、それでも起きない先輩は枕元に近寄って起きるまで声をかけ続ける。
ただ起きるまで声をかけると「うるさい」と怒られることもあれば、二度寝してしまって寝坊した先輩に怒られることもあり、理不尽だったと振り返る。
PL学園野球部出身の福留孝介も、「『絶対に起きろ!』ただし『目覚ましは鳴らすな!』」というルールがあり、朝に苦労したという。
「先輩もいる大部屋の寮生活で、1年生は早く起きていろいろ準備をしなければいけない。昔の目覚まし時計は針がそろうまでに一瞬カチッと音が鳴る。目覚ましを鳴らさずにその音で止めないといけない。鳴らしてしまうとダメなので、朝ヤバいと思った時は洗濯物を干す乾燥室があって、最初からそこで寝ていました。(持っていた)目覚ましが鳴るのか鳴らないのか知らないんです」
また野村さんは「1年生ナンバー1パシリ」だったという。
「重量級が多くて夜に腹減って、門限のあとに誰かがコンビニとかに走る。すばしっこくて周りからバレないってなったら、一番小さい私に。先生や柔道部ってこともバレないように買いに行って。寮で生き残る道も先輩に気に入られることが一番なので、毎日パシリとマッサージ」
「イヤだ」と言えず気に入られたい一心で、毎日を生きていたという野村さんは「柔道強くなるだとか最初の思いなんてどっかいってる。早く2年になる日がこないかな」と思っていたと明かした。
父親の特訓でプロゴルファーに
2022年、三菱電機レディスで11年ぶりの優勝を果たしたプロゴルファーの金田久美子選手。
ゴルフ強豪校に入学したが、「いろいろあって3カ月で自主退学になりました」と明かす。
ゴルフは部活動ではなく父親から指導を受けてたたき込まれ、その特訓のおかげでプロゴルファーになれたと話す。
そんな父親については「ゴルフ以外は優しいのにゴルフは本当に厳しくて、スコアが80切ったらド突かれる。しょうもないボギーしたり、OBでド突かれる」などしごかれたという。
父親がバスケのコーチを務め、自身もバスケ部だったという桜井日奈子さんは、金田選手との違いに驚く。「うちは家に帰ると(父から)『ピヨッチ』と呼ばれていて、それくらい溺愛されて育ったので考えられない」と語る。
金田選手は「あまり褒められることはなかった」ようだが、「ゴルフ以外は甘かった」という父親。
トレーニングをこなすとスタンプが集まり、お金がもらえるというシステムだったようで、「小学校の頃からお財布に数万円入っていました。すごいお金持ちでした」と話し、試合で勝つとブランドものを購入したり、「ゴルフ以外で歩くのが苦手だったので家から駅まで数百メートルのところをタクシー呼んでいた」と明かした。
バレーボールの名門・八王子実践高校で1年生からレギュラーだった狩野舞子さん。
常に先輩や後輩がいる環境だったため、匂いや足音で誰が通ったかわかったと語る。
1年生のときは「レギュラー部屋があって、1年生はレギュラーが私1人。他の先輩の洗濯物を1人で全部やらなきゃいけなかった。練習終わったらずっと洗濯をしていました。名前とか書いていない先輩のとかがあると覚えなきゃいけないので」と、名前のない洗濯物に苦労したという。
また食事も大変だったようで「1年生はお釜で炊いたご飯を残しちゃいけないルールがあって、でも多めに炊いているんです。2、3年生は絶対におかわりしないので、1年生が残りのご飯をおかずもないのに全部食べなきゃいけない。毎日体調管理をされていて、体重を書き出されるんですけど、毎日ご飯ばかり食べるから1年生は太り続ける。でも太ると怒られるので、すごい理不尽な中で毎日食べていました」と振り返った。
(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)