今と昔の部活動にはどんな違いがあるのか。
2月26日放送の「ジャンクSPORT」(フジテレビ系)では、ツラい学生時代を過ごしたアスリートたち、バレーボール・栗原恵さん、野球・鳥谷敬さん、陸上・福士加代子さん、サッカー・松井大輔さん、相撲・元豊山、サッカー・ROLANDさんらが登場。自身が経験したエピソードなどを明かしてくれた。
鹿児島実業・帝京…厳しかったことは?
スポーツの強豪校には監督やコーチなど、厳しい指導者がいた。
サッカーの名門・鹿児島実業高校出身の松井大輔さんは試合中にミスが続くと「ハーフタイム中に正座で丸刈りにされた」と明かす。
「前半にあった髪が後半になくて、後半は誰だかわからない」と、松井さんにも“丸刈り”経験があるという。
この記事の画像(8枚)「インターハイの2回戦で負けた時です。2回戦で負けるのは鹿実ではありえなくて。優勝するのが当たり前なので。部員170人以上いて、全員が丸刈りになっていくんです。僕1人だけ残っていて『絶対にしない』と抵抗した」
その理由は試合が終わったあとに卒業アルバムの撮影があり、伸びている髪の姿で写真を撮りたかったからだそう。しかし最終的に監督から「お前やらへんかったら、どうなるかわからへんぞ」と言われ丸刈りになり、卒業アルバムもその姿での撮影となった。
帝京高校サッカー部出身のROLANDさんは、「鹿実と帝京と国見は高校サッカーで三大厳しいで有名だった。僕らもちょっとミスしたら丸刈りってことがあって、髪を伸ばせるのがうらやましくて、その反動で今、こんな感じ」と笑う。
そのROLANDさんは、伝統の「地獄の浜合宿」という特訓がツラかったと明かす。
「監督の気まぐれで『おい!明日行くぞ』と言われて行くんです。3泊4日で、サッカー部なのにボールを持っていかない。砂浜を早朝・朝・昼でとにかく走るという帝京の名物があって、めちゃくちゃキツかった」
すると「3泊4日は短い!」という松井さんが「僕らは行くぞ!と言われたら、どこに行くかわからない。バスに乗って途中のサービスエリアで『何県ですか?』と聞いていた」と目的地も知らないまま1週間合宿に連れて行かれることもあったそうだ。
タイヤの音で機嫌がわかる?
初めて聖望学園高校野球部を甲子園出場へと導いた鳥谷敬さん。
監督は超スパルタだったようで、そんな鬼監督を恐れるあまり、「タイヤの音で機嫌がわかるようになった」と話す。
「監督が車で入ってくるとジャリ道を通って監督室の方にゆっくり曲がる。曲がる際のふかし具合やハンドルの切り方で音が変わって、今も運転したら“前の人、機嫌悪そうだな”って思う」
タイヤの音で監督の機嫌を見極め、機嫌が悪いときは「しっかりやっておかないととんでもないことが起きる」と気を引き締めたという。
また厳しかった練習は「ダービー」と言われるもので、「ノック練習で二塁に投げなきゃいけないのに、一塁に投げちゃうやつがいる。すると監督がバットを上に投げるんですけど、それが“ノックができない”という合図。するとキャッチャーが集合かけて、ホームに全員並んでセンターにタッチして、言われたタイムを切ったら終わりというものがあって。倒れる人やギブアップする人も出てくると終わるので、『今日誰か倒れてくれないかな』と思っていた」と語った。
高校時代から日本代表に選出された三田尻女子高校バレー部出身の栗原恵さん。
実力もさることながら、コート上などで見せる笑顔から「プリンセスめぐ」と称され、一躍国民的人気者に。しかし、この笑顔の裏には鬼監督のしごきがあったという。
それは「泣きながら笑顔の特訓」だった。
「バレーは点を取るたびに集まって、チームの士気を高めている。でも笑うことがすごく苦手で、無表情でバレーをしていることがあった。監督から『お前のポーカーフェイスはダメだ』と言われて、笑う練習を。練習中に突然監督が『ハイ、決まった』と言うんです。その瞬間に笑顔を作って走り回る。すごく楽しくなくてうれしくなかった」
しかし、その練習の結果、笑顔を見せることにも慣れてきたようで「自然と感情が試合の中で出てくるようになったので、“感謝はしている”と言ったほうがいいと思います」と当時の心境も思い出したのか、複雑そうな顔をして感謝を示した。
練習サボってバイト?福士加代子の学生時代
去年、大相撲を引退した元豊山。
金沢学院東高校相撲部出身の元豊山が経験したキツい訓練は、「地獄の坂道ダッシュ」だったという。
「相撲部なので走ると思ってない。でも300メートルの坂を走るんです。体重が100キロを超えているので体感で言うとフルマラソン。全然進まなくて10分以上かけてのぼった」
これまで厳しい部活動を経験したアスリートを取り上げてきたが、五所川原工業高校陸上部出身の福士加代子さんは少し違ったようで「練習サボってバイト優先していた」と語る。
「朝昼夜走る合宿も必要だと思いますけど、私の場合はなかった。6時までは走って、バイトの時間が決まっているので、バイトに合わせて終了」
その練習量で実績は残せたのか聞かれると「東北大会で優勝してインターハイ出ているので、才能があった」とドヤ顔に。
当時の顧問の先生に真相を聞くと「ほとんど練習していない。私が練習にいないときは遊んでいたみたい。一番滑稽だったのは、沖縄に県の選抜合宿で練習中に、みんなから遅れること1時間半以上経って帰ってきて、サトウキビを担いでいた。地元の農家の方に誘われて刈ったサトウキビを『お土産や』とみんなに渡していた」と明かす。
それでも試合に行くと常に自己ベストを更新し、2年生では優勝することも。そして3年生になって突然態度を改めて、一生懸命練習を始めたという。
“才能の塊”だからこそ…先輩からのジェラシー
部活動には理不尽なルールもあったようで、鳥谷さんは「マネージャーの勧誘が地獄だった」と話す。
1年生は自分たちでマネージャーを探さなければならなかったが、「どうせだったら可愛い子がいい」と、声かけた女子に「練習を見に来てくれ」と誘ったという。
しかし、「その日に限って監督の機嫌が悪くて、生徒に対しての強い愛のムチがあって、次の日から全く来なかった」と語った。
ROLANDさんは1年生時代、寮生活で朝の起床が大変で「携帯電話を靴下の中に入れていた」と振り返る。
「寮の部屋が先輩と一緒で、朝練は5時から。1年生は準備があるので4時半に起きる。アラームや目覚まし時計で30分早く先輩を起こすとめちゃくちゃしばかれる。でも起きないとしばかれる。1年生同士で話し合って編み出したのが、携帯をマナーモードにして靴下の中に入れてバイブで起きる。でも携帯がめちゃくちゃ臭くなって、僕香水とかでいい匂いと言われるんですけど、その憧れはこの経験から」
1年生時代「才能の塊だった」という松井さんは、先輩からのやっかみで悩んだという。
「1年生から試合に出ていたりするので、補欠の先輩を中心に自分への風当たりが強くなる。そうなると大変なことになる。先輩の試合中、1年生は体育座りで真夏に帽子なしでいるんですけど、僕はちょっとだけ寝ちゃった。絶対に先輩は見逃さないので、終わったあとにキツいご指導があった」
栗原さんも1年生から「才能の塊」だったため、先輩からのやっかみを受けた経験があると明かした。
U−18日本代表の合宿後、部活動に戻ると、先輩が「アテネ調子に乗ってるよね」「アテネむかつかない?」という言葉を耳にしたという。
栗原さんが参加した合宿がアテネ五輪を目指した合宿でもあり、先輩の言う「アテネ」は栗原さんを指していたようで「最初は何を言っているのかわからなかったんですけど、明らかに自分だった」と苦笑し、「アテネの次が北京だったので、北京よりはアテネでよかった」と振り返った。
(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)