子どもは親から褒められる時、「頑張ったね」と努力を評価されると、「えらいね」と言われるより、将来自立心や安心感が高まる。
また叱られる時は、「次は頑張ろうね」と励まされると、「どうしてできないの」と叱責されるより、将来自立心や安心感が高まる。
このような興味深い研究結果を、神戸大学と同志社大学の研究チームが10月26日に発表した。
神戸大学計算社会科学研究センターの西村和雄特命教授と、同志社大学経済学部の八木匡教授は、子ども時代(3歳~17歳ぐらい)に親から受けた“褒め方”と“叱り方”のあり方が、成人になった後の“自己決定度”(=自立心の度合い)や“安心感”などに与える影響ついて、アンケート調査を実施。
調査は2021年3月8日から3月11日に行い、対象は全国の20歳以上70歳未満の男女で、1307人から得た回答を分析した。
その結果、“褒め方”では「頑張ったね」と努力を評価する言葉が、「えらいね」と能力を評価する言葉や、結果に対して「褒美」をもらうことより、ポジティブな影響を残していることが判明。
親に褒められた場合、「頑張ったね」と努力の過程を認められた人の“自己決定度”と“安心感”がともに最も高く、「褒美をもらった」人の“自己決定度”が最も低かった。また「えらいね」というほめ方は、「頑張ったね」と比べると“自己決定度”が低かった。
一方で“叱り方”では、「次は頑張ろうね」と励ます言葉が、「どうしてできないの」と叱責したり、「罰」を課すことに比べて、より良い影響を与えていることが分かった。
親に叱られた時に「次は頑張ろうね」と励まされたことを記憶している人は、「どうしてできないの」と叱られた人よりも、“自己決定度”と“安心感”が高かった。「罰を与える」ことは不安感を増すという意味で、良い結果を生まなかったとしている。
さらに、叱る時に「罰を与えること」と褒める時に「褒美を与えること」は、「次は頑張ろうね」や「頑張ったね」と言われるのと比較して、“長期的な視点で物事を考える習慣”や“倫理的行動”を低下させるという結果が得られた。
「褒美が良くないのは本当か、調査しようと思った」
子どもは、親から褒められる時には「頑張ったね」と努力を評価されると、叱られる時には「次は頑張ろうね」と励まされると、自立心や安心感が高まる。非常に興味深い研究結果ではあるが、この理由は何なのか? また、この研究結果は、どのようなことに生かされるのか?
神戸大学計算社会科学研究センターの西村特命教授に話を聞いた。
――このような調査を行った理由は?
子育てや学校教育に関して「とにかく褒める」ことを推奨する人がいる一方、研究者の中には「褒美は良くない」と言う人もいます。
すると、まじめな保護者ほど、この点に迷うと思います。罰を与えたり、叱ったりすることがいけないというのは、ともかく、「褒美が良くないの」は本当なのか、本当だとすれば、どのような問題があるのか、実際に調査をしてみようと思いました。
――「子ども時代」というのは、何歳ぐらいを想定している?
3歳から17歳ぐらいです。
――“自己決定度”と”安心感”はそれぞれ、どのようなことを指している?
“自己決定度”は、自分のことを自分で決める相対的な度合いを表します。自己決定度が低い場合は、周りの人の意見で、自分のやることが左右されていく度合いが高くなります。“自立心”の度合いと言っても良いです。
“安心感”は、日常の生活で、不安を感じずに生活する度合いです。安心感が高いほど、将来について悩んだり、人生について悩んだり、眠れないという度合いが少ない(あくまでも相対的)ということになります。
「頑張ってね」「次は頑張ろうね」が良い影響を与える理由
――“褒め方”では「頑張ったね」がポジティブな影響を残していることが分かった。この理由としては、どのようなことが考えられる?
「褒美をもらった」「えらいね」というのは、結果に対するもので、大人が子どもを上から褒める“縦の人間関係”を意味しています。
「頑張ったね」というのは、結果ではなく、相手の努力の過程を評価する言葉です。“言う者”と“言われる者”の関係を同等に位置付けています。
いつも、結果を褒めていると、結果を褒められない時に不安を覚えるようになります。また、「自分がどうしたいか」ではなく、「大人はどう思うか」「先生はどう思うか」を基準に行動して、「自主性」も失います。
「頑張ったね」の場合は、そういうことがないので、より良い影響を与えたのだと思います。
――“叱り方”では「次は頑張ろうね」が良い影響を与えていることが分かった。この理由としては、どのようなことが考えられる?
「罰」を与えることや「どうしてできないの」には、結果に対しての上の立場からの怒りが含まれています。
“縦の上下関係”においては、「大人はどう思うか」「先生はどう思うか」を基準に行動して、「自主性」を失って育ち、不安も感じます。「次は頑張ろうね」には怒りは含まれず、“対等な横の関係”の「勇気付け」なので、安心感、自立心を損ないません。
――「“長期的な視点で物事を考える習慣”や“倫理的行動”を低下させる」について。これらはそれぞれ、どのような状態を指している?
“長期的な視点で物事を考える習慣”については、「今、勉強をするか、ゲームをするか」という選択を考えましょう。
短期的な視野で、今の喜びを重視すると、ゲームを選ぶことになります。長期的な視点で物事を考えると、将来の大学合格を見据えて、勉強することになります。ダイエット中の人が、今、ケーキを食べるか、1年後に痩せた自分を見たいか、における選択も同じです。
“倫理的行動”としては、正直さの例をあげましょう。
その場しのぎにうそをつくことは、短期的な視野から促される行動です。長期的には信用を失って、決して自分のためになりません。嘘をつくか否か(非倫理的か倫理的か)は、視野が短期的か長期的かと関係してきます。
「罰」や「褒美」は長期的な視点で物事を考える習慣を損なう
――「罰を与えること」と「褒美を与えること」は、「次は頑張ろうね」や「頑張ったね」と言われるのと比較して、長期的な視点で物事を考える習慣や倫理的行動を低下させるという結果が得られた。この理由としては、どのようなことが考えられる?
すぐ結果を出さないと罰せられる、あるいは褒美をもらえないとするならば、子どもは、早く結果を出そうとするようになり、遠い将来に向けた努力を軽視するようになります。
「罰」や「褒美」は、長期的な視点で物事を考える習慣を損なうのです。今、得をしたい気持ちが強ければ、長い期間では決して、得ではなくとも、倫理に反する行動をとりがちになります。
「罰」や「褒美」は、視野を短期的にして、非倫理的行動をとりやすくします。
――つまり、子どもを褒めるときは「頑張ったね」、叱るときは「次は頑張ろうね」という言葉をかければ良いということ?
基本的にはそうです。実際は、いつも、そういう言葉だけをかけるのは難しいでしょう。
一度でも褒美を与えてはいけないということではなく、結果を重視して褒美を与えてばかりいると、弊害が出てくると理解した上で、「頑張ったね」と過程を評価することも意識的に行うと良いと思います。
同じように、叱ることも、いつも罰を与えたり、叱っていたら、弊害が出てきます。そのことを念頭に置いて、「次は頑張ろうね」と励ます言葉を意識的に使うことが、より良い結果を生むと思います。
メリット、デメリットを理解しているだけでも、極端に偏った対応にならず、より良い、声のかけ方になると思います。
――今回の調査結果、どのように受け止めている?
賞罰(褒めることと罰すること)を使ったコントロール、結果重視の動機付けに終始すれば、子どもの自主性や安心感が失われることを再確認しました。
心理学者の理論と、おおむね矛盾しない結果が得られたことに驚いています。
たとえ、「褒美」を与えたり、「えらいね」と褒めることがあったとしても、「頑張ったね」「次は頑張ろうね」など、対等の関係での励ましを意識的に交えることで、バランスをとるのが現実的と思います。
企業の働き方改革にも参考になる
――今回の調査結果、どのようなことに生かされる?
家庭教育だけでなく、学校教育にも生かせると思います。スパルタ教育には弊害があること、そして、過度におだてたり、褒美をやることは控えたほうが良いということは参考になるでしょう。
また、企業の働き方改革にも参考になります。すぐに結果を出さなければいけない“成果主義”よりは、自主性に任せて、やらせてみる方が、働き甲斐が生まれるのかもしれません。
――やってはいけない褒め方や叱り方はある?
研究者には、「褒美をやること」「えらいねと褒めること」「罰を与えること」「怒りをもって叱ること」に否定的な人もいます。私達は、どれがいけない、あるいはどれを推奨するというつもりはありません。
褒め方や叱り方が、何に、どのように影響するかを調べただけです。
やってはいけないということではなく、どういうメリット、デメリットがあるかを理解する。その上で、極端に走らないようにバランスよく接することで、弊害を少なくすることが大切だと思います。
子どもを褒めるときには「頑張ったね」、叱るときには「次は頑張ろうね」という言葉をかければ良い。子どもの褒め方、叱り方に悩んでいる方は、この研究結果を参考に、子どもに声をかけてみてはいかがだろうか。