国民的人気グループ「ザ・ドリフターズ」のメンバー・仲本工事さん(81)が、10月19日午後10時すぎ、急性硬膜下血腫のため亡くなった。

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仲本さんは18日午前9時ごろ、横浜市・西区の道路を歩いて横断しようとしたところ、直進してきた車にはねられた。現場に信号はなく、歩行者は横断禁止の場所だった。

事故直後に撮影された写真には、救急車の周囲に隊員が集まり、物々しい雰囲気に包まれている様子が写っている。

仲本さんの救護に手を貸した男性は、当時の様子をこのように証言する。

救護にあたった男性:
意識はもうないような状態で、動いてはなかったですね。大丈夫ですか?とかそういうのは言ったと思いますけど、反応はなかった

仲本さんは頭から出血するなどの重傷で病院に搬送され、緊急手術を受けたものの、帰らぬ人となった。

事故現場にはファンからの献花が相次ぐ

一夜が明けた現場には、花を手向けに訪れるファンの姿があった。

献花に訪れた人:
もう本当にドリフ世代で、子どもの頃の(当時)8歳とか9歳とか。ハガキを出して渋谷公会堂に直接見に行っていたんですよ。本当に

献花に訪れた人:
ちょうどドリフターズさんの時代で、毎週見させていただいたんですね、子どもの頃。本当にもう悲しいです。

献花に訪れた人:
8時だョ!全員集合は小さい頃から見てました。(仲本さんは)優しい体操のお兄さんみたいな。すごく悲しいです。寂しいです。

現場のすぐ近くには27歳年下の妻で、演歌歌手の純歌さんが経営する店があるという。

事務所の関係者は「奥さんに話があるので会いに行った。会う前に事故にあった」と説明している。

昭和を代表する人気グループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーがまた一人旅立った。

所属事務所のホームページでは「弊社所属タレント仲本工事が令和4年10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため満81歳で死去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と伝えられた。

仲本さんは、11月には舞台への出演が決まるなど、精力的に仕事に取り組んでいた。

故・志村けんさんとの思い出

「志村けんの大爆笑展」を2021年10月仲本さんが訪れたときの映像では、志村さんとの思い出をこう振り返っていた。

仲本工事さん(2021年10月):
志村の言うことは分かるから。ツーと言えばカーで。失敗というのはなかったよね。(志村さんの“バカ殿”の人形を見ながら)ね?殿そうだよね?何えらそうにこの野郎(笑)

仲本さんは、いかりや長介さん、志村けんさん、加藤茶さん、高木ブーさんらとともに、人気番組「8時だョ!全員集合」などに出演し、昭和のテレビ黄金期をリードした。

志村さんとのネタで、一番印象に残っているものをこう明かしていた。

仲本工事さん(2021年10月):
一番印象に残っているのは、じゃんけん決闘かな。あれがなんか盛り上がって、やってても楽しかったな

11月から始まる舞台にも出演予定だった

1941年、東京に生まれた仲本さん。学習院大学卒業後の1965年にザ・ドリフターズに加入。トレードマークは“黒縁メガネ”だった。

1966年、ビートルズの日本武道館公演では前座としてステージに上がり、仲本さんがリードボーカルを務めた。

1969年に8時だョ!全員集合が始まると、中学・高校時代に体操選手だった経験を生かし、一躍人気者に。いかりや長介さん、高木ブーさんとの“雷様”コントでも視聴者の心をつかんだ。

晩年は俳優としても活躍し、2022年10月7日には、11月から始まる舞台の制作発表に出席。演じる予定だったのは「貧乏神」の役だった。

仲本さん(2022年10月7日):
貧乏神の役でどうやって見せたらいいのか分かりませんが、とにかく私自身もドリフがみんないなくなって、だんだんいなくなって。仕事もなくなって、お店もうまくいかないで、だんだん貧乏になっていきます。だから素のままでいきたいと思ってます

仲本さんの突然の死で、ザ・ドリフターズのメンバーは加藤茶さんと高木ブーさんの2人だけとなった。所属事務所によると、2人は共に大きなショックを受けていて、コメントなどの対応は後日になるという。

(「イット!」10月20日放送より)