今から20年後には、日本から「サラリーマン」が消滅する。

国際経営コンサルタントで弁護士の植田統さんはそう考察する。

日本の労働市場の現実は厳しく、どこかの会社の「課長」「部長」としてしか生きていけない人、専門性がなく何もできることのない人は、淘汰されてしまうという。

変化が激しい激動の時代、ビジネスパーソンはどう生き抜けば良いのか。今後20年における雇用の変化に仮説を立て、生き抜くヒントを記した著書『2040年「仕事とキャリア」年表』(三笠書房)から一部抜粋・再編集して紹介する。

競争力低下の理由は「メンバーシップ型雇用」

年功序列、終身雇用、新卒一括採用、定期異動によるジェネラリスト育成、定年退職という強制解雇システムを取る「日本株式会社」の雇用慣習は、とっくに限界を迎えている。

昨今、富士通、日立製作所、KDDI等の日本を代表する大企業においてすら、メンバーシップ型雇用を廃止し、「ジョブ型雇用」を導入しようという動きが活発になってきた。

このような流れの理由は、大企業が競争力低下の理由をメンバーシップ型雇用にあると考え始めたからだ。

激動の時代を生きていくために、私たちは周到な準備が必要なことは言うまでもない。しっかりとしたキャリア・ビジョンを持ち、それに向かって日々懸命に努力していくことが必須になる。

「サラリーマン」生活に慣れてしまった私たちにとって、特に重要なことは「サラリーマン」マインドから、「プロフェッショナル」マインドへの切り替えなのだ。

ジョブ型雇用で大切なのは「スペシャリスト」であること

アメリカ企業で採用されている「ジョブ型雇用」は、そのジョブに就く人に高い専門性を要求する雇用制度だ。

基本的に、そのジョブに就くと、転職する時も、同じジョブに就く。労働者からすると、自分の持つ専門性を深掘りしていくことが可能となるのだ。

当然、深掘りしていくことで、その人の価値も高まり、昇給を獲得することも可能になる。

前の会社でリストラにあったとしても、専門性は、企業、業種横断的に有効なため、比較的容易にジョブを見つけることができる。

肩書よりも「専門家」であることが重要(画像:イメージ)
肩書よりも「専門家」であることが重要(画像:イメージ)
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笑い話として、日本のサラリーマンは「部長ならできるのですが」と転職エージェントに話す、ということが言われるが、ジョブ型雇用の社会では、「○○会社の誰か」は重要ではなく、「○○専門家」というのが重要になる。

そのため、「○○専門家」として次のジョブを探して行けばいい。

たとえば、経理の専門家で、IT企業で働いていた人がリストラにあったとする。この人は経理の専門家なので、次の会社が航空会社であろうと、鉄鋼会社であろうと、自動車ディーラーであろうと、必ず経理専門家がいるため、そのポジションに空きがあれば、そこへ転職できるのだ。

なぜ日本で「スペシャリスト」が育たない?

一方、日本で主に採用されている「メンバーシップ型雇用」は、企業の「メンバー」となりうる人物を雇い、一旦「メンバー」の資格を得た人を大事にするシステム。

欧米が「はじめに職務、ジョブありき」なら、日本は「はじめに人ありき」の仕組みである。

日本企業の採用は、欧米のような欠員補充のための専門スキルを持った人の中途採用がメインではない。企業における採用は、「メンバー」として迎え入れるにふさわしい地頭の良さと潜在能力の高さを持った新卒学生を中心としている。

彼らは特定のスキルを持っているわけではないため、OJTで時間をかけて育てていく必要が出てくる。4月に一括で採用し、同期入社全員を一括で研修し、企業のメンバーとしてイロハをたたきこむ。

さらに、入社してからは、定期人事異動があり、様々な職務を経験し、「ジェネラリスト」として育てられ、専門性が育たないように人事が行なわれる。

これが、○○会社の○○部長に「あなたは何ができるのですか」と転職エージェントが聞くと、「部長ならできるのですが」という笑い話が生まれる原因なのだ。

日本の“評価”は職務ではなく会社への貢献度

こうした人事慣行が、オフィス・レイアウト、給与や人事評価に反映されている。

未経験の職務に配置される人は、個室やコンパートメントに入れられると、何もわからず何もできない状態に陥ってしまうため、オフィスのレイアウトは大部屋形式に。

給与も、職務による給与を与えることはできない。どんなに優秀な人でも、人事異動があった直後は、ずぶの素人で仕事がうまくできないため、職務の成果で評価はできない。

日本の評価は会社への“貢献度”で判定される(画像:イメージ)
日本の評価は会社への“貢献度”で判定される(画像:イメージ)

会社内での経験値が重視され、「メンバー」として経験年数が同じ同期入社社員には、基本同じような給与が支払われる。昇進、昇給も年次とともに徐々に上がっていくということになる。

それでも、数年すると同期の間でも人事評価で差がつくが、それはどの程度会社のために頑張っているかで判定される。

その頑張りは、どれぐらいの時間を会社にコミットメントしているのか、他の会社の「メンバー」と協調して仕事を進めているのか、などの会社のメンバーらしさで判断される。職務の成果ではない。

これが、長時間労働(必ずしも労働しているわけではないので長時間会社内滞在というべきだと思いますが)と忖度文化を生んでいる。

日本企業の賃金は年功による“給与設定”

メンバーシップ雇用の会社では、元々専門スキルを重視しているわけではなく、他部署の人と調整して波風立てずに話をまとめていくことが評価される。

それには、多くの部署を経験し、多くの人と一緒に仕事をしてきたキャリアの長い人が有利になる。

この結果、生まれたのが「年功序列」。会社内での経験を積めば積むほど、地位も給与も上がっていくという制度だ。

高校卒の社員の5年目の給与が、大学卒の社員の1年目となり、大学卒の社員の3年目の給与が、修士号取得者の1年目の給与となる。

もちろん、その後の昇進のスピードは、学歴によって違ってくるが、入社時には、こうして年功に基づく給与設定が行なわれている。

年代別の賃金を調べてみると、賃金は50歳前後でほぼピークに達し、その後下がっていく傾向にある。

これは、日本企業における賃金が、年功序列という枠組みの中で、生活給という点を重視したため、子どもの教育費がピークに達する50歳前後に賃金が高くなるように設計されたからだ。

そして、退社は年齢で決められている。今日でも60歳定年制を取る企業がほとんどだが、同期社員が多少の遅れはあっても、ほぼ同じように昇進昇格を繰り返していき、最後は取締役や執行役員に選ばれた者を除き、一斉に60歳で退職させられる。

なぜ、日本企業の「給与」は安いのか

それは、そこで働く労働者に専門的スキルがないからだ。

専門的スキルがなければ転職も難しく、今いる会社にい続けるしかない。社員は、会社から出ていくことができず、給与が上がらなくても我慢せざるを得ない。

それでも、転職を試みる人がいるが、よほど特殊なスキル、経験を持っていない限り、移った先の会社で冷遇されてしまう。

それは、転職した人が前の会社で15年選手であっても、転職した会社では1年選手なため、下手をすると、1年選手と同じように扱われてしまうからだ。

メンバーシップ雇用の世界は「社歴」が大事(画像:イメージ)
メンバーシップ雇用の世界は「社歴」が大事(画像:イメージ)

メンバーシップ雇用の世界では、何といっても、その会社での社歴が重要になる。社歴が長ければ、社内のいろいろな人と人脈があるため、多少の無理が言える。定期異動でいろいろな部署を経験していることで、仕事を進める時にどこの部署の誰に話を通したら、スムーズに行くのかを知っている。

転職してきた1年選手には、こうした能力が欠如している。そのうえ、日本企業から日本企業に移っても、給与は上がらない。どこの会社も年功序列賃金を取っているため、15年選手が転職すると、転職先の会社の15年選手のテーブルに入れられるからだ。

転職先の会社の年功序列賃金体系が、転職前の会社の賃金体系を大幅に上回っていれば話は別だが、そうでない限り、給与はあまり変わらない。

転職では、有名会社から無名会社へと移っていくことのほうが多いため、現実には、転職をすると給与は下がっていくというケースのほうが多くなる。

これが現実なため、日本企業間を転職して成功できる人は非常に限られている。

私は転職の相談を受けた時には、「外資系」を勧めている。外資系は社内人脈が重要でなく、本人が持った専門スキルが評価されるからだ。

外資系企業なら転職者を受け入れる時には、その企業の本国で行なわれているように、前職プラス10~20%の報酬を提示してくれる。

自分の専門スキルが活かせる、給与も上がるとなれば、外資系に行くしかないでしょう。

『2040年「仕事とキャリア」年表』(三笠書房)
『2040年「仕事とキャリア」年表』(三笠書房)

植田統
国際経営コンサルタント、弁護士、名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授。著書に『人生に悔いを残さない45歳からの仕事術』『企業再生7つの鉄則』(共に日本経済新聞出版社)、『残業ゼロでも必ず結果を出す人のスピード仕事術』(ダイヤモンド社)、『日米ビジネス30年史』(光文社)などがある

植田統
植田統

国際経営コンサルタント、弁護士、名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授。
1957年東京都生まれ。東京大学法学部を卒後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。ダートマス大学エイモスタックスクールにてMBA取得。その後、外資系コンサルティング会社ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)を経て、外資系データベース会社レクシスネクシス・ジャパン代表取締役社長。そのかたわら大学ロースクール夜間コースに通い司法試験合格。外資系企業再生コンサルティング会社アリックスパートナーズでJAL、ライブドアの再生に携わる。2010年弁護士開業。14年に独立し、青山東京法律事務所を開設。 近著は『2040年 「仕事とキャリア」年表』(三笠書房)。