1945年の8月6日、広島に原爆が投下され、大勢の人が亡くなった。その爆心地のすぐそばで、人々や街が“復興”する姿を見守り、「広島大仏」と親しまれた大仏があった。
しかし、いつのまにか行方不明になり、なぜか今、奈良のお寺に安置されている。
奈良・安堵町のお寺の住職の思いで始まった、10年がかりの一大プロジェクト“「広島大仏」の里帰り”に密着した。

原爆投下から77年…広島で「大仏」法要

8月6日、原爆投下から77年。広島の平和記念公園で黙とうが行われた。
鎮魂の祈りに包まれた広島の街。

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爆心地のすぐ近くにある「おりづるタワー」で、ある法要が営まれた。
そこに安置されている大きな仏像。かつて「広島大仏」と呼ばれていた。

奈良県・極楽寺 田中全義住職:
現在の平和があるは、復興者の雨だれ石をうがつ努力によるものなり。いつかは里帰りさせたいと発願し11年

法要で言葉を述べているのは、奈良・安堵町にある極楽寺の田中全義住職(36)。
広島の人々とともに、特別な思いで”この時”を迎えていた。

奈良の寺になぜ広島大仏が…偶然立ち寄った古本屋 大仏の意外な” 過去”

奈良・安堵町は、人口約7000人。
この町にある「極楽寺」。田中さんは、この寺の住職をつとめている。極楽寺のシンボルは、大仏さん…高さ3メートルの阿弥陀如来像だ。先代の住職をつとめた田中住職の祖父が、17年程前に知人から譲り受けたそうだ。

極楽寺 田中全義住職:
(祖父は)広島から来た大仏って言ってましたね。「広島から来たんや」って

田中住職は仏像の由来について調べたが、“広島から来た”としか分からなかった。
しかし、その後、偶然立ち寄った古本屋で”意外な過去”を知ることに。

極楽寺 田中全義住職:
何気に手に取った一冊が、この本(「ヒロシマの記録 被爆40年写真集」)だった。こちらの写真が広島大仏です。仏さまを水牛が引いて、やぐらのようなものに(大仏さんが)花飾りされて。広島市が行った復興パレードの真ん中に大仏さんがいる。
なんとなく仏さんの顔が「あれ?」っていう感じやって。なんか(極楽寺の大仏に)すごい似てるんです、どう考えても

住職が専門家に鑑定してもらったところ、傷などの特徴が一致し、極楽寺にある仏像がかつての「広島大仏」であることが判明した。
戦後まもなく、原爆ドームの近くに建てられた寺に安置されていた広島大仏。
原爆で何もかもを失った町での“復興のシンボル”として、市民の心の拠り所となっていた。

極楽寺 田中住職:
食べるご飯ですら、なかなかありつけなかった人もいる戦後の状況で、あれだけのお堂が建てられたというのは団結していた気持ちがある。きっとみんな一人一人が、ちょっと無理をしてできたお堂である。”みんなで手を取り合う”というこのエネルギーは、日本人の誇りやなって思いますね

しかし、1955年に別の寺に譲渡されて以降、行方が分からなくなり、人々の記憶からは忘れ去られていた。
広島大仏とともに復興をめざした歴史を伝えたいという思いから、田中住職は大仏を広島に「里帰り」させようと、10年前から動き始めた。
そして、新型コロナや資金面の壁を乗り越え…2022年、ようやく実現できたのだ。

400キロの巨体が300キロ離れた広島に…田中住職「喜んでおられる」

広島大仏が運び出される前日に、極楽寺では広島大仏の出発を祝う法要が営まれた。

多くの人が参列し、手を合わせていく。地元の小学生たちも折り鶴を手に訪れた。
広島大仏が極楽寺を離れるのは初めてのことだ。

法要が終わった夜、大仏をじっと見つめる田中住職の姿があった。

極楽寺 田中住職:
もう、うれしいですね。ここで「寂しいです」って言いたいんですけれど、今はもう10年(里帰りを)目指してきたので…不安な気持ちは一切ないです
(Q.今、大仏さんのお姿見てどうですか?)
笑っておられますね。なんか笑っているように。大仏さんも仏さん。仏さんって言っても人間と一緒で、心を持っているので。久しぶりに故郷に帰るのは絶対うれしいですから、喜んでおられると思います

いよいよ運び出しの日を迎えた。

「はい回します ゆっくり~」

胴体を布で包んだ大仏が、ゆっくりと回る。

大仏の重さは約400キロだ。
そして、大仏を後ろに慎重にゆっくりと倒し、頭と胴体を離す。

頭と胴体と足の3つの部分それぞれを布で包み、運び出していく。
そしてトラックに積み…約300キロ離れた広島へと出発した。

67年ぶり”里帰り”…「心の支えだった」当時19歳女性と久しぶり再会も

平和法要には、里帰りに賛同した僧侶が宗派を超えて集まった。
広島大仏が広島で原爆の日を迎えるのは67年ぶりだ。この日、広島大仏をひと目見ようと訪れた女性がいた。

広島大仏と“再会”した梶本淑子さん:
あ~!わ~懐かしいですね。本当にお久しぶりですね

大仏の前で手を合わせているのは、広島で被爆した梶本淑子さん(91)。

梶本さん:
やっぱりこれや、これ

広島大仏がいた寺の前で撮影した1枚の写真に写っていた少女だ。当時19歳だった。

梶本さん:
悲しかったり、腹が立ったり、怒られたりしたら、あそこにいって泣いて帰ったり、時には(大仏殿に)あがっていって「来たよ~」とか言ったりして。身近に”大仏さん”というような感じだった。私にとってはすごく親しい感じ

梶本さんは、14歳の頃、爆心地から2.3キロ離れた工場で被爆した。
今は「語り部」として、あの日に経験したことを伝えている。

梶本さん:
目の前で「水、水」と言いながら、いっぱい亡くなっていく人を見たんです。みんな後悔しました。こんなに早く死ぬなら、一口だけでも水をあげればよかった。広島(市)の人口35万人いたんですね。それが年末までに14万人亡くなった。14万と言って一束にされてはいけない。ひとりひとりに名前があって、家族があって、一生懸命生きていました

目の前でたくさんの人が亡くなっていく現実。
そんな状況だったからこそ、「広島大仏」は心の支えだった。

田中住職と梶本さんが、大仏を前にして話していた。

極楽寺 田中住職:
つらい思いをされた方は大勢いると思うんですよ。この中にも

梶本淑子さん:
みんなですよ

梶本さんが当時、「広島大仏」に抱いていた思いを話してくれた。

梶本さん:
ここに来ると優しくなれる。親もいないから、頼る人もいない。大仏さんがなぐさめてくれたり、生きる力も下さったと思います

戦後、多くの人々にとって心の拠り所となっていた「広島大仏」。奈良から300キロ離れた故郷・広島にようやく帰ってきた。
67年ぶりに広島の街を見つめる。

※「広島大仏」はこの後、約2カ月間、広島各地を巡り、奈良に戻る予定

(2022年8月8日放送)