豪雨のように降りそそいだ爆弾で、子どもからお年寄りまで多くの尊い命が犠牲となった福山空襲。あの日から77年、福山市で慰霊式が行われた。

「福山空襲を心にとめて平和を学ぶ」高校生の誓い

8月8日夕方、福山市の中央公園で行われた慰霊式。コロナ禍の影響で2022年も規模を縮小して実施された。

福山市の中央公園で行われた慰霊式
福山市の中央公園で行われた慰霊式
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慰霊式には遺族のほか、地元の高校生などが参列し、折り鶴や花を慰霊碑前にささげた。

慰霊碑前に折り鶴をささげる参列者
慰霊碑前に折り鶴をささげる参列者

松脇汐音さん(16):
福山空襲を心にとめ、平和を構築する一員としてこれからも恒久平和を願い、平和について学び発信します

一般住民をねらった無差別爆撃だった

福山市は、広島県東部にある中核市。人口約47万人を擁し、中国地方で4番目の都市に発展した。

展望台から一望した福山市街
展望台から一望した福山市街

この景色が、77年前の夏の夜、アメリカ軍の襲撃で火の海だったとは…。1945年8月8日午後10時25分、91機のB29が襲来。18万発以上の爆弾を落とし、街は壊滅的な被害を受けた。

福山市上空に襲来したB29
福山市上空に襲来したB29

アメリカ軍の資料によると、福山市には大きな軍事基地や爆弾の原料を製造する軍需工場、そして住宅密集地域があったことが標的となった理由とされている。

しかし、実際はどうだったのだろう。福山市人権平和資料館に、戦災の様子を示す地図が展示されている。赤色はアメリカ軍の爆撃で破壊された場所だ。

福山市人権平和資料館・寺地靖仁 副館長:
この地図を見ると、アメリカ軍の目標がどこに設定されていたのかがよく分かります。第四十一連隊の兵舎は、赤色が集中しているエリアより下側です。さらにその下が、三菱電機の航空機の部品組み立て工場。薬品工場があった場所にも、ほとんど赤色はありません。
軍事施設ではなく一般住民をねらった無差別爆撃だったことが、この地図から一目瞭然です

福山空襲の被害は​死者355人、重軽傷者864人、焼失家屋数1万179戸。市街地の約8割が焼失した。

「空襲を経験した人がだんだん少なく…」危ぶまれる記憶の風化

被災者や遺族は、「あの日」を忘れたことは一日もない。

遺族(86):
逃げ遅れた祖母と叔母は家の前で丸焼けになって、小さくなって転がっていた。戦争は絶対にだめですね。戦争して何かいいことがあるんでしょうか。戦争は一般の市民が犠牲になりますからね

遺族(84):
祖母が子どもをおんぶしていて、その子どもが亡くなった。福山空襲を経験した人がだんだん少なくなっていますからね。平和な世の中が続くように祈りました

空襲の記憶を風化させないこと、そして反戦への誓いを新たにした。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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