63年前の宮森小学校ジェット機墜落事故で頭に大けがをした幼稚園児は、身体と心の傷を抱えながら60年あまりを過ごしてきた。
園児の担任だった女性も、教え子の痛みを思い続けていた。
心の傷を抱えながら「記憶」と「記録」に向き合う
事故から63年となるのを前にした2022年6月27日。取材班を自宅に招いてくれたのは、ジェット機事故の当時、宮森小学校の2年生だった平田小枝子さん。
当時宮森小学校の2年生 平田小枝子さん:
今だからこそ、こういう証言の大切さとか、忘れちゃいけないとか、わかったような気がするんです
事故の時、平田小枝子さんの兄2人と、幼稚園教諭の義理の姉も宮森小にいた。
その幼稚園の教員だった伊波怜子先生が過去に証言として語っていた、事故で大けがをした園児、佐藤節子さん。
高校を卒業後、東京で暮らしていた節子さんは2021年、沖縄に戻った。事故の後から、今でもひどい頭痛に悩まされる中で、節子さんは2022年6月27日、当時の「記憶」と「記録」に向き合った。
久高会長:
(節子さんが)病院にいた時の写真があるんです
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
私は、見たい
石川・宮森630会が入手したアメリカ軍の報告書には、節子さんの治療の記録が残されていた。事故後の意識はなく、頭蓋骨は複雑骨折。壊死した脳が手術で切除され、大腿部からの筋膜移植、頭蓋骨の欠損部分にはプレートが固定された。このプレートが今も埋まっているため、2017年にくも膜下出血を発症したとき、節子さんは手術を受けることができなかった。
節子さんの叔母 宮城ヨシ子さん:
手術できたら言語障害はなかったかもしれない。手術ができなくてね
小学校の頃は、けがの後遺症のため、体育の授業や運動会に参加できなかった。
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
みんなで一緒にやりたかった
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
女の子だから、恥ずかしい
つらい記憶を辿りながら言葉を紡ぐ節子さん。支えてくれた存在と胸に刻んでいる恩師がいる。
「先生が好きだった」「ずっと会いたいと思っていました」
久高会長 :
怜子先生が写っているでしょ
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
きれい
節子さんの幼稚園の担任、怜子先生。
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
私はずっと先生が好きだった。ずっと会いたい、会いたいと思ってました
会いたい気持ちは先生も同じだった…
節子さんの幼稚園の担任 伊波怜子さん:
会いたかった
やっと記憶を取り戻して…「抱き着いて泣いた」
怜子先生は事故の後、子どもたちの安否を確認するため各家庭を回った。
節子さんの幼稚園の担任 伊波怜子さん:
せっちゃんは一晩中探してもどこにもいない
節子さんは陸軍病院に運ばれ、手術と治療を受けていた。
節子さんの幼稚園の担任 伊波怜子さん:
私は、せっちゃんのベッドに行ったら記憶喪失、何もわからない。それから私は毎日通って、せっちゃんに話をして、3カ月くらいしたときに、ある日突然「先生」って言うの。私はあなたに抱き着いて、泣いて。やっと記憶を取り戻したと、せっちゃんは何も知らないはずね
航空機の騒音でよみがえる記憶 教え子を心配する日々
節子さんの幼稚園の担任 伊波怜子さん:
沖縄は基地がいっぱいあるでしょ。私は飛行機が低空で来るたびに、もう今日で終わりだと、そういう悩みを抱え込んで
事故のあと、怜子先生は航空機の騒音を聞くたびに事故を思い出し、節子さんは元気かと心配してきた。
節子さんの幼稚園の担任 伊波怜子さん:
でも、せっちゃんに会えてよかった
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
わたしも会いたかった
退院後も頭の傷を気にしていた節子さん。怜子先生は学芸会のとき、クラス全員が頭に大きな花飾りをつけることを提案するなど、節子さんの傷が見えないように気にかけてくれたそうだ。
初めて出席した慰霊祭 静かに手を合わせ…
当時宮森小学校の2年生だった平田小枝子さん:
ジェット機事故のことはつらい、悲しい思い出もあるけど、そういった中にも、こういった再会がうれしいことに変わったりということもあるので、本当にきょうはよかった
記憶をたどる節子さんに、優しく寄り添った小枝子さん。きょう、初めて会った2人だが…
当時宮森小学校の2年生だった平田小枝子さん:
きょうを機会に友達だから、すぐ行くよ
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
うれしい。みんなにありがとう
節子さんは2022年6月30日の朝、小枝子さんに迎えてもらい慰霊祭に向かった。
当時事故で大けがをした園児 佐藤節子さん:
東京にいるときも、ここに来たかったけど、でも(来たいと思って)50年なってしまった。出席してよかった
63年前、生死の境をさまようような大けがをした節子さんは2022年6月30日、初めて慰霊祭に参列。事故で亡くなった人たちの御霊をなぐさめる仲良し地蔵に、静かに手を合わせた。
(沖縄テレビ)