「温泉宿のベテラン女将は、想像以上に瞬時に客の表情を読んでいる――」。最新の研究で、“おもてなし”のプロが思わぬ能力を発揮していることが明らかになった。

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自然科学研究機構・生理学研究所(愛知県岡崎市)の柿木隆介名誉教授らのグループは同県蒲郡市と蒲郡市観光協会の協力を得て、市内にある温泉宿の女将さんらの脳波を測定する実験を実施。この中で世界で初めて「おもてなし」を客観的に解明したと発表した。

実験では、50~60歳のベテランを中心に20~70歳の女将さんら女性21人の「おもてなしグループ」と、全く接客業をしたことがない同世代19人の「コントロールグループ」に、“無表情”“笑った顔”“怒った顔”の3種類の画像を見せて脳波を計測。さらに、それぞれの画像が「好ましい」と思ったかのアンケートを実施した。

なお、人間の脳は「人の顔」を見てから約170ミリ秒(0.17秒)後に「N170成分」という脳波が大きくなり、さらに見た表情によって変化することから、これまで表情を読み取るのはこの「N170成分」が特に重要だと考えられていた。

ところが実験では、両グループに「N170成分」の有意な違いは見られなかったという。

おもてなしグループ(左)とコントロールグループ(右)に有意な違いはなかった(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)
おもてなしグループ(左)とコントロールグループ(右)に有意な違いはなかった(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)

女将は0.1秒で客の表情を素早く判断

一方で、人間の脳は「どんな画像」を見ても約100ミリ秒(0.1秒)後に「P100成分」という脳波が大きくなり、「N170成分」ほどではないものの見た表情で変化することが知られていた。

この「P100成分」を調べると、女将さんらの「おもてなしグループ」の方が有意に大きくなることが判明したのだ。

特に「無表情」と「怒った顔」を見たときが大きかったという。このことから、女将さんのようなおもてなしに長けた人は、「N170成分」より速い「P100成分」で素早く表情を読み取っているとしている。

おもてなしグループ(左列)のほうが反応が大きい(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)
おもてなしグループ(左列)のほうが反応が大きい(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)

また、表情の「好ましさ」に関するアンケート調査では、全体的に「おもてなしグループ」の点数が低く、特に無表情の顔を見た時に、その評価が有意に低い(好ましくない)と判断。おもてなしに長けた人は、相手の表情をより正確に読み取り、シビアに評価していると考えられるとのことだ。

(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)
(出典:自然科学研究機構・生理学研究所)

研究チームは「今回の結果から、おもてなしを行うためにトレーニングや接客を行っている人たちは、顔ならび表情の情報処理が一般の人とは異なることが示された」としている。

また、この研究結果は、対人コミュニケーションが苦手な人などのトレーニングへの応用が期待されるという。

女将が「笑い顔」にあまり興味を示さなかった理由

今回の実験では、素早く表情を読み取るだけでなく、女将に大切な別のおもてなしスキルも示されたという。そもそもなぜ「女将」の脳を調べようと思ったのか?

自然科学研究機構・生理学研究所の柿木隆介名誉教授に聞いた。


――そもそもこの研究に取り組んだ理由は?

「おもてなし」を脳科学的に解明したいというのが一番大きな研究目標でした。おもてなしの場合、まずは客の様子を見ることから始まると思いました。僕は「顔認知」の専門家で、文科省の大型研究の代表者を務めたこともあり、表情認知がおもてなしに非常に重要だと思いました。


――女将さんらはなぜ「笑い顔」にはあまり興味を示さなかった?

笑顔のお客さんには特別の注意を払う必要が無いからだと思っています。注意が必要なのは、楽しませるべき温泉旅館に来たのに、無表情あるいは怒った顔のお客さんなので、一般の人よりも非常に鋭敏に反応するのだと考えています、ただし、この判断はほとんど無意識に行っています。

ベテラン女将は0.07秒で心を抑制

――「P100成分(0.1秒後)」には差があったが、「N170成分(0.17秒後)」は違いが見られなかった。この理由は?

0.1秒の段階で鋭敏に反応したのですが、それを持続しては、心の動揺が表面に出てしまいます。それを見せないために、非常に短い時間のうちに(約0.07秒)、心に抑制をかけるために反応が小さくなったと考えています。


――コロナ禍はマスクを着用しているが、表情を読む「おもてなし」にも影響は出ている?

女将さんたちは、目元で表情を十分に読み取れるとおっしゃっています。実際、これまでの研究でも顔認知には目が極めて重要だとされています。


――ちなみに柿木先生や研究者の方々は蒲郡温泉がお好き?

蒲郡温泉を選んだのは、研究所に最も近く、全国的にも有名な温泉郷だからです。女将さんたちの結束も固く、蒲郡市も非常に協力的でした。蒲郡温泉以外の場所を選ぶという選択肢は皆無でした。もちろん、僕も蒲郡温泉が好きで、家内としばしば湯治に出かけています。

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楽しめていないお客さんの表情を瞬時に察知するが心の動揺は出さない。
おもてなしのプロによる“表情の読み取り”のすごさがわかった今回の研究だが、どんなコミュニケーションのトレーニングが今後考えられるかを聞いたところ、現段階では「ヒミツ」とのことだった。