開園20周年を迎えた、北九州市の「到津の森公園」。
世界から集められた約90種類の動物が飼育され、市民の憩いの場となっている。

北九州市の「到津の森公園」
北九州市の「到津の森公園」
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前身の到津遊園から勤務し、名物園長としても知られる岩野園長が、3月末で引退。
約50年にわたる園への思いを取材した。

到津の森公園の名物園長が引退

到津の森公園の岩野俊郎園長は、豊富な飼育経験を持つだけでなく、時にはイベントに「かぶりもの」姿で登場するなど、ユニークな名物園長として知られているが、3月31日、ついに園長引退の日を迎えた。

到津の森公園の“名物園長” 岩野俊郎さん
到津の森公園の“名物園長” 岩野俊郎さん

到津の森公園・岩野俊郎園長:
(入社間もなくの写真を見て)白黒写真…。これは僕が(園に)入ったばかりのころ。到津遊園に入ったとき、まだ毛が多いですね(笑)

岩野園長が園で働き始めたのは、50年前の1972年。

到津園で働き始めたころの岩野さん
到津園で働き始めたころの岩野さん

到津の森公園の前身、到津遊園に獣医師の資格を持った飼育員として採用され、1997年に園長に就任。

しかし、それまでに積み重なっていた赤字のため、2000年に閉園へ追い込まれた。
その後、北九州市に運営が移り、到津の森に生まれ変わった2002年に再度、園長に就任。
市民に愛される園へのアイデアを次々に実行してきた。

到津の森公園・岩野俊郎園長:
(無機質なオリを見て)前はこういうふうな小さなオリで飼ってて、緑も何もない。でもこんな所って、いまでも多いよ

獣舎は、味気無いオリではなく、植物や水辺を配置し、動物本来の生活の様子や季節を感じられるように変更。

さらに、夜の動物の姿を楽しめるナイトサファリなど、これまでの子どもだけを意識した動物園から、大人も楽しめる場所へと先頭に立って取り組んできた。

そんな岩野園長、長年の到津勤務で忘れられないことも多々あると話す。

到津の森公園・岩野俊郎園長:
やっぱり死んだ動物。(生き延びた動物より)死んでしまった動物の方が、僕なんかは自分のミスで死んじゃったっていうのがあるので、それが一番大きいかな

獣医師でもある岩野園長。
忘れられないと語る動物の姿が、テレビ西日本の映像ライブラリーに残っていた。

到津の森公園・岩野俊郎さん(1989年当時のインタビュー):
湿度や温度を十分に管理するのは難しい

33年前、岩野園長はワラビーの赤ちゃんの人工保育に挑んでいた。
当時、国内ではまだ珍しかったワラビー。試行錯誤で取り組んだものの、大きく育てることはかなわなかった。

到津の森公園・岩野俊郎園長:
ある程度大きくなっても、やっぱりダメだった…。袋の中にも入れたけど、やっぱり親みたいにはかなわないと思った

人工保育の難しさ
人工保育の難しさ

動物たちに「ここでよかったと思ってほしい」

思い入れのある存在はここにも…案内されたのは、一般の人が入れないバックヤード。
そこにいたのは、1979年にスリランカからやってきた2頭のゾウ。
来園後、市民からの公募でサリーとランと名付けられたが、園長はいまもスリランカにいた当時のままの呼び方で2頭を呼ぶ。

到津の森公園・岩野俊郎園長:
マリーは、ご飯中やん。おいで、おいで。なんもないけど、おいで

岩野さんの声に応じて、近づいてくる象。

岩野さんの声に応じて近づいてきた象のマリー
岩野さんの声に応じて近づいてきた象のマリー

(Q.来てくれましたね)
到津の森公園・岩野俊郎園長:

この子はなんかね、ずっと覚えているんですよね

2頭が来園してから40年。
当時から続く園長と2頭の信頼関係は変わらない。

また2頭のほか、ほとんどの動物は到津遊園時代から、ともに時間を過ごしてきた動物ばかり。

到津の森公園・岩野俊郎園長:
多分、彼ら、彼女らは忘れないんだろうなって思う。本当にこの中で、ここ(到津)でよかったと思ってほしい。そのために、僕らはとても手をかけないといけないと思う。だから残された人たちは、そういうふうに考えてやってほしいかな

園にいる命と向き合いながら、到津一筋で50年を過ごしてきた岩野園長。
今後について聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

到津で動物と向き合って半世紀
到津で動物と向き合って半世紀

到津の森公園・岩野俊郎園長:
できればパン屋。ぼくパンが好きだから、パン屋をやってみたい(笑)。パンは動物園に卸してもいいかな

市民に愛される園を誰よりも願いながら、ひとつの区切りの日を迎えた岩野園長。
4月1日からは名誉園長になる。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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