私もダンナにビンタしてほしい
今年のアカデミー受賞式は強烈だった。僕はこの中継をよく見るのだが、感動のシーンより、どちらかと言うとジョークをハズしてしまったコメディアンとか、とんでもなく変なドレスを着てきた女優とか、そういう人たちを見る方が楽しい。しかし今年のウィル・スミスには参った。
スミスが妻の病気をからかったコメディアンのクリス・ロックにビンタした映像を見て「俺でもビンタした」「私もダンナにやってほしい」と思った人はいたと思う。

だが米国での反応はスミスに対し極めて厳しい。米国俳優組合は「暴力は容認できない」と非難し、主催者の映画芸術科学アカデミーは「正式に調査を開始し、法に従って対応を検討する」と発表した。各メディアも批判一色で処罰を求めるところもある。スミス本人も謝罪したが、このままではハリウッドから永久追放されそうな勢いだ。
たけしの事件を思い出した
日本人にとって不思議なのは、暴力の少ない日本ではビートたけしが講談社に殴り込んでも許されたのに(彼は執行猶予付きの有罪判決を受け、しばらく謹慎したがその後テレビに復帰した)、暴力が「すぐそこにある」欧米ではビンタしただけで永久追放かという極端さである。暴力はいったん解き放たれるとコントロールが難しいのだろう。
それにしてもロックのスミスの妻に対するジョークはシャレになってなかった。彼はああいう芸風なのでしょうがないし、ビンタくらいされても平気なのだろう。もちろんいくらロックの言葉が暴力でもそれを肉体的な暴力で返してはいけない。でも僕はある事件を思い出した。

この2つを並べるな!と叱られるのを承知で書くが、2015年にフランスの風刺週刊誌がイスラム教預言者ムハンマドの風刺を繰り返し行ったことに対し、イスラム過激主義者が出版社を襲い12人を殺害した事件があった。テロは許されないが、ムハンマドを繰り返しバカにされたイスラム過激主義者があのような行動に出たことに衝撃を受けた。
英国ではテレビや新聞が政治家だけでなく王室を執拗に小馬鹿にする。彼らはそれにじっと耐えている。風刺であり、批判なのだが第3者が見ていても結構辛い。政治家はともかく王室(皇室)をあそこまでバカにすることは日本ではありえない。
傷ついた人たちはどう反撃すればいいのか
欧米で生活すると日本に比べて「表現の自由」が厳重に保護されていることがよくわかる。同時に暴力は許されない。だから表現の自由を暴力で封じるという事は絶対にあってはならない。それは素晴らしい事なのだが、他人の「表現の自由」によって傷つけられた人はどう反撃すればいいのか。
欧米スタイルにのっとって考えると、スミスがやるべきだったことは、
(1) 自分の主演男優賞受賞のスピーチの時にジョークでロックをバカにする
だったのだろう。あるいは、
(2) 自分のスピーチで、ガチで静かにロックに抗議する
も、ありだ。もしかしたら、
(3) ロックに近づいてもビンタはせず、紳士的に「やめろ」と言い席に戻る
というのもクールだったかもしれない。
だがスミスは理性を失ってビンタしてしまった。欧米の価値観ではアウトであり、ハリウッドを永久追放されないにしてもオスカー剥奪とか、厳しい社会的制裁を受けることになりそうだ。ただそのことにモヤっとする人もまた多くいるに違いない。
【執筆:フジテレビ 上席解説委員 平井文夫】