2016年に九州地方を襲った熊本地震。熊本県益城町では震度7の揺れに2度も見舞われ、住宅の9割以上が損壊するなど甚大な被害が出た。その激震地で自宅を失った、一人の高齢女性が居場所を取り戻すまでの姿をお伝えする。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を、各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第26回(2017年)に大賞を受賞したテレビ熊本の「私は私を全うする ~佐々木ばあちゃんの熊本地震~」を掲載する。

地震を受けて益城町に向かったカメラは、救出作業が続けられる中で「私が死ぬとよかった」という声を拾った。自宅を失った、佐々木君代さん(84)のものだった。前編で避難生活から「私は私をまっとうしたい」と家の建て替えを決意した佐々木さん。後編では、仮設住宅に入居した喜びと孤独、自宅の再建を実現するまでの日々に密着した。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

仮説住宅で感じた喜びと孤独

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2016年8月。佐々木君代さんは「今日はね、一歩前に踏み出すけん、お化粧したの」と話してカメラに明るい表情を見せた。その足で向かったのは、仮設住宅の説明会会場だ。

熊本地震から4カ月。避難所、テント、トレーラーハウスに続く4軒目の仮住まいである、仮設住宅に入る順番が回ってきたのだ。解体を終えた自宅を離れ、町の中心部から離れた場所に建てられた一人暮らし用の住宅に入る。

仮設住宅の玄関に上がり、部屋や水道などの状態を確認する佐々木さん。台所で料理できる環境は4カ月ぶりといい、「よすぎるばい、こら永住するばい。死ぬまで世話なし。新婚生活、パートナーがいない(笑)」と満足気。

周囲の入居者にあいさつする佐々木さん。だが新たな我が家とはいっても、体ひとつの引っ越しだ。笑ってはいるが、その眼には涙が浮かんでいた。

「(自宅が)壊れたときは泣かんだったばって、ここに来たら泣けてきたね。わからんね、なんでだろね。よそはなんでもあるけど、うちはなんもなか。夜逃げするには早か(笑)」

不安や悔しさを抱えながらの、新しい生活が始まる。

町内の仮設団地では、高齢者の孤立化を防ごうと、集会場を使ったコミュニティーづくりが行われるようになった。しかし、そこに佐々木さんの姿はなかった。

仮設住宅でひとり、紙とハサミを使って造化のようなものを作る佐々木さん。集会所や近所に行くのは、気が乗らないのだという。

「行きたくないんです私は、だから行かんとです。みんな行ってるけどね、味気なくて。空気が違うんですよ空気が。意外と神経質なんです」

外に出かけるのは誘われたとき、たまに出るくらいだという。何の花を作っているのか聞くと「わかんないよ(笑)考えたんだ、何もすることがないけ、もうやめるよ」と寂しそうに答えた。

佐々木さんは仮設住宅の中で一日を過ごす日が増えていった。早くここを出て、自分の城である自宅に戻りたい。その思いは日に日に強くなっていく。

「最後だもん、人生の」

2017年2月。佐々木さんはついに平屋の小さな家を建てることを決めた。場所はもちろん被災前に住んでいた場所だ。被災した家は地震保険に入っていなかったため、補償はない。再建費用は1000万円を超え、貯金はほぼ使い果たした。

「何パーセントか残してそれをずっと保って生きていくか、リセットボタン押してゼロから出発。それぞれの違いだろうね。1000万持っていても、やっぱりそれをゼロになることは使えんです、人間は。細々と生きてご臨終が来たとき、残してもなんならん」

ちょうどその頃、地震から1年を前に町の復興計画が明らかになった。街を走る県道を4車線に広げて、災害に強いまちづくりを目指そうというもの。今後、用地買収や区画整理が行われるため、佐々木さんのように元の場所で自宅を再建できない住民も出てくる。

建設が進む自宅を見つめ、佐々木さんは「やっとこぎつけたよ。床暖房が入るんだよ。だって最後だもん、人生の。良かった。テントからずっと来たんだけんね」とつぶやいた。

棟上げの日、佐々木さんにはお祝いの弁当を届けたい人がいた。昔の自宅の隣にあった農機具メーカーの事務所で働いていた女性。テントに水を届けてくれたお礼だ。

佐々木さんが「ありがとう。水も何もない時にね」と弁当を手渡すと、女性は「おばちゃんひとりで頑張ったね、おじちゃんがおったらよかったのにね」と涙。

カメラが当時のことを聞くと、女性は涙腺を緩ませて「昼ご飯をいただいたりとか。私が一人で事務所にいるので、よく声をかけてくださって。本当、家族みたいに接していただいて。地震の時は心配で心配で、伺ったんですけどテントにいらっしゃったので。ここにあったお水とかをお持ちしたんですけど。気丈に頑張ってらっしゃったんで…」と語った。

大工さんらと棟上げを祝う、佐々木さん。周囲からは「いいないいな、金持ちはいいな」という声もあったといい、そうした人には「すっからかんですよ」と答えたという。

「金がもったいなかって、金は使わんでどうしますか。私は運よくこれたけど、人生は見極めか踏ん切りをつけんなら、惰性で終わるとね。ここに建てられんでも城だけはつくったでしょうねどこかに。それこそ掘っ立て小屋でも…」(佐々木さん)

ついに完成した“小さな城”

2017年4月。ついに“小さな城”が完成した。8カ月お世話になった、仮設住宅からの引っ越し作業をする佐々木さん。運べるものは自分でコツコツと新居に移していく。

仮設住宅に入居したばかりの頃は一人だったといい、「流石に泣きよったね、人に言わんかったばって、わびしくて」と振り返る。仮設住宅を後にするのも、どこか寂しいようだ。

地震から1年に間に合うように建ててくれた大工さんに、一つだけお願いしたことがある。それは脱出口。何かあってもすぐ逃げられるようにしてもらった。みんな、この土地に戻ってくるだろうか。自宅を建てたことを1等賞に例えると、佐々木さんは「1等賞。いちばん早く逝かなんけん(笑)はっはっはっ。ゴールが見えとるけん」と笑った。

居場所を取り戻した佐々木さん。新居のソファに座ると、最後には晴れ晴れとした表情で、カメラにこう話した。

「人間立ち上がらなんね。だってね、10年生きたって一緒じゃない終わるときは。1日が1年だよ。あと5年生きて50年。終わる瞬間って長生きした、短く生きたで変わるかな。変わらんしょ。一瞬で終わるもん。どぎゃんかなるですよ、わたしがどう死んだか見といて(笑)」

生きることを諦めかけた日から1年。佐々木さんは自分の城に帰ってきた。新しい城はこの地で地震を生き抜いた証し。私は私を全うする。

佐々木君代さん、84歳。自らの生きる意味を問い続ける。

(第26回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品『私は私を全うする ~佐々木ばあちゃんの熊本地震~』テレビ熊本・2017年)

益城町では熊本地震からの復興を進めるとともに、各地区ごとに“まちづくり協議会”の結成を支援。その提案を基に、防災設備を備えた避難地や安全な避難路の整備も進めている。

テレビ熊本
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