長崎県の五島列島。若者の流出で人口が減る中、ここにはふるさとを愛し、“トラさん”の愛称で親しまれた男がいた。親子の葛藤、喜び。別れ。9人家族の22年間に密着した。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を、各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第24回(2015年)に大賞を受賞したテレビ長崎の「五島のトラさん~父親と家族の22年~」を掲載する。

五島列島の北にある新上五島町で暮らす、“トラさん”こと犬塚虎夫さんは、うどんの製麺所を一家で営んでいる。前編では、家業と子育ての両立に奮闘するトラさんの姿、進路でさまざまな選択をした子どもたちとの葛藤に迫った。

(※記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

一家で営むうどん製麺所

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日本の西に浮かぶ、長崎県の五島列島。ここで、犬塚虎夫さんとその家族に出会ったのは、1993年(平成5年)のこと。一家は9人で家族構成は3男4女の大家族。

犬塚虎夫さんとその家族

【1993年当時の家族構成】
父・犬塚虎夫(40)。母・益代(40)。長男・拓郎(高3)。長女・こころ(中3)。次女・はなえ(中2)。三女・さくら(小5)。四女・こはる(小2)。二男・竜之介(5)。三男・世文(3)。

新上五島町は漁業のほか、五島うどんの産地としても知られている。ここにある似首港という港の一角にうどんの製麺所「虎屋」がある。トラさん一家が営む小さな製麺所だ。

虎屋の朝は早く、トラさんは午前2時に起きてうどんの仕込みを始める。

午前4時、さくらちゃんが起きてきた。麺を小さくして油を塗っていく作業、トラさん1人ではできない工程を手伝う。仕事は1時間だけだ。

5時になると他のきょうだいが仕事を始める。工場の2階はうどん干場で、拓郎さんと竜之介くんが干したうどんを切って箱に詰めている。長女のこころさんは、台所の当番だ。

トラさん一家では、午前6時過ぎから朝ご飯を食べる。早く起こして「朝ごはんがおいしいと」思う時間に食べさせるのが目的だという。

虎夫さん

一仕事をしてから、学校に行く子どもたち。

益代さんは「大人が仕事に就いて、いろいろ経験していることを今やっていると思っているんですよね」、トラさんは「大きくなってみないとわかりませんけれども。私くらいの歳になったときに『ああよかったなあ』と思えるだろうと思っています」と話した。

トラさんは五人兄弟の四番目で長男。1953年(昭和28年)8月3日に上五島で生まれた。中学から野球部の投手として活躍し、高校では国体で優勝。野球の名門、愛知工業大学に進んだ。

益代さんとは高校の同級生で、高校1年生の時に知り合ったという。トラさんに聞くと「廊下ですれ違って、私の方がひとめぼれしたというやつです」とはにかんだ。

益代さんは短大を卒業して島に戻り、小学校の先生に。トラさんは父親が倒れ、島に戻った。23歳で結婚した翌年、拓郎くんが生まれた。その後も子どもに恵まれ、気づけば7人。

仕事に子育てに奮闘するトラさん

トラさんが自宅の前にうどん工場を建てたのは32歳の時。知り合いの製麺所を見て思いついたという。名物・五島うどんの製造は家族みんなでできる仕事だ。子どもたちのお手伝いは家計も助かる。それに教育にも役立つ。

「私の方針で親が子どもに教えたいことを、こういったもの(うどん作り)を通して教えているだけで。(学校の)成績がいいだけではなくて、人の気持ちを考えているとか。お金はこんな思いをしないと稼げないとか…そういったことがわかっていると思います」(トラさん)

うどん作りは年齢に応じて持ち場を決め、優しい仕事からだんだん難しい工程へ。手伝った分はタイムカードに記録、給料としてお小遣いをあげる。年齢に応じて時給を決めている。

トラさんは休みの日、子どもたちと一緒によく海に出かける。一緒に仕事をして一緒に遊ぶ。仕掛けておいたカゴを見て、喜ぶ子どもたち。獲物は夕食のおかずになる。

「五島が好きだし、環境のいいとこで人は暮らすべきだと思うんですよ。空気がいい、水がいい、自然が自分の体に合っているっていうところで」(トラさん)

島に残るか、出るか…親子の葛藤

拓郎さん

1994年(平成6年)。高校を卒業するとほとんどの生徒が島を出ていくが、拓郎さんは迷った末、父親の勧めもあって島に残ると決め、定置網の漁船に乗った。乗組員に若者はいない。うどんの手伝いもしながら漁に励んだ。お金を貯めて旅行に行きたいという。

こころさん

地元の高校に通うこころさんは、本当は大学に進んで先生になりたいと思っていた。しかし両親から家業を手伝ってほしいと言われ、進学を断念した。

はなえさん

はなえさんは、きょうだいの中でも絵や工作が得意で、違う高校に進んだ。卒業まで4年かかる通信制高校で、うどんの製造や事務を手伝いながら自宅で学習し、月2回学校へ通った。本当は家を出て高校に通いたかったのだが、トラさんが許してくれなかった。

それから4年後の1999年(平成11年)。19歳になったはなえさんは目標通り、通信制の高校を4年間で卒業。ボーイフレンドがいて、一緒に京都で働きたいとトラさんに告げた。

トラさんはカメラに向かって、はなえさんの卒業には「偉いと思いますよ」としつつ、ボーイフレンドについては「許されんですよ、絶対。ここに来てからまともに挨拶できないような人間と付き合ってほしくない」と話し、複雑な表情を見せた。

はなえさんの受賞作品。被写体は世文くん

はなえさんはプロのカメラマンになりたいと思っていた。きっかけは1枚の写真。世文くんの涙を捉えた、17歳の時の作品が全国規模のコンクールで奨励賞を受賞したのだ。

旅立ちの朝、はなえさんはいつもと同じようにうどん作りを手伝う。弟たちと一緒に働くのも今日が最後だ。父親の反対を押し切って出ていく、覚悟の旅立ちだ。

はなえさんが去った後、トラさんは泣いていた

自宅の玄関で「お父さん、行ってきます」と伝えたはなえさん。トラさんは、座ったまま見送ろうとせずに「もう帰ってこんでええって」という言葉を投げかけた。

はなえさんに涙はなかった。しかし、はなえさんが出ていくと、トラさんは泣いていた。

疲労困憊…家族を必死で支えるトラさん

2年後の2001年(平成13年)。はなえさんに続き、妹2人が佐世保の高校に通うために家を出た。うどん作りの主戦力は弟たちに変わっていた。竜之介くんは中学1年。2歳から始めた末っ子の世文くんも小学4年生となり、立派な働き手になっていた。

トラさんも49歳になった。仕事を手伝わせる思いを聞くと「子どもが大きくなっているのがよくわかる。例えば、一番下(世文くん)があれぐらいできるようになったし。やっぱり、物を作る喜びを知っていると思う」と満足気だった。

佐世保の高校へ進んだ娘2人への仕送りもあり、家計は楽ではない。食事もできるだけ節約して、残ったうどんを食べる。1997年からは五島のきれいな海水を利用できないかと考え、天然塩の製造の仕事も始めた。自宅から5キロほど離れた海岸の近くの漁師小屋を借り、塩工房を作った。

工程はくみ上げた海水を風にあて、塩分濃度を高め、煮詰めるというもので、塩ができるまでに約2日。手間と体力がいる仕事だ。トラさんは疲労困憊した様子で「ただ眠たい。寝る時間がないですよ」とこぼした。

トラさんは竜之介くんが通う中学の野球部のコーチも引き受けていた。高校時代は国体でピッチャーとして優勝したトラさん。放置されたグローブが雨に打たれた姿を見て、子どもたちに「もっと道具は大事にしないと」と呼び掛けていた。

世文くんを叱るトラさん

間違ったことをすると、自分の子も人の子も容赦はない。ある時は世文くんに「あんたはお母さんがおらんと生まれてきていない。ちゃんとそれを考えて、親に対して自分から動かんばいかん」と叱っていた。

トラさんの印象を語る世文くん

でも、その後にはちゃんと声もかけるトラさん。世文くんにトラさんの印象を聞いてみると「怖いけど、普段は優しい人」と笑顔を見せた。

後編では、トラさんを襲った病と最後に残した言葉。子どもたちのそれぞれの人生を追った。

(第24回FNSドキュメンタリー大賞『五島のトラさん~父親と家族の22年~」テレビ長崎・2015年」

記事 414 テレビ長崎

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