長崎県の五島列島。若者の流出で人口が減る中、ここにはふるさとを愛し、“トラさん”の愛称で親しまれた男がいた。9人家族の22年間の軌跡に密着した。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を、各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第24回(2015年)に大賞を受賞したテレビ長崎の「五島のトラさん~父親と家族の22年~」を掲載する。

五島列島の北にある新上五島町で暮らす、“トラさん”こと犬塚虎夫さんは、うどんの製麺所を一家総勢で営んでいる。前編では、家業と子育ての両立に奮闘するトラさんの姿、進路でさまざまな選択をした子どもたちとの葛藤に迫った。後編では、トラさんを襲った病と最後に残した言葉。子どもたちのそれぞれの人生を追った。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま記載しています)

おじいちゃんになったトラさん

こころさんの結婚を祝うトラさん
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2001年(平成13年)11月。トラさんにうれしいことがあった。長女・こころさんが結婚したのだ。相手はこころさんより一つ年下、地元で大工をしている南慎太郎(22)さん。

あいさつしたトラさんは「どうも今日はみんな集まってもらってありがとうございました。もうほんとに、娘を嫁がせるというのを味わって、もう泣きたい気分です」と涙を流した。

はなえさん

3年前、反対を押し切って出ていた次女・はなえさんは、京都の写真店で働いていた。朝5時、仕事の前にお寺に通い、修行僧の日常をカメラに収めていた。厳しい修行に耐え、夢を貫く姿を写真にしたいと撮り始めたといい、「なんか昔を思い出します。犬塚家の昔を」と笑みを浮かべた。

孫と入浴するトラさん

島では、佐世保の高校を卒業した三女・さくらさんが島に帰ってきていた。長男・拓郎さんは定置網の合間に家事を手伝う。船に乗って十年が経ち、定置網の責任者・船長に抜擢されていた。拓郎さんは長野県で知り合った看護師と結婚し、実家の近くで暮らしている。子どもの湊平くんも生まれた。

こころさんの長女・こうみちゃんとお風呂に入るトラさんは、すっかりおじいちゃんだ。

子どもたちの成長の裏で糖尿病に苦しむ

はなえさんが出版した写真集

2007年(平成19年)、トラさんが入院した。50歳を過ぎたころから体の不調を感じていて、診断の結果は糖尿病。うどん作りと塩作りで睡眠不足、長年の無理がたたった。

この年、トラさんは54歳になっていた。毎日自分で血糖値を測り、食事も自由に取れず、体がだるい。元気がなくなっていた。そんな時、6月の父の日を前に、京都のはなえさんから荷物が届いた。そこには「作務衣のある風景」という一冊の写真集があった。はなえさんが出したものだ。

無言で食い入るように写真を見るトラさん。益代さんが「皆さんが応援してくれているから、ここまで来れた」と話すと、トラさんの目には思わず涙があふれた。

写真店で働きながら、5年間撮り続けた集大成だ。現代の若者の1つの生き方を捉えた意欲作だと、地元の新聞でも紹介された。

「ちょっとでも写真集を出したことが、お父さんの元気を出す手助けになれていたらうれしいですね」(はなえさん)

トラさんはすぐに、はなえさんに電話をかけた。

「もしもし。送ればいい?代金を。どれくらい売れるか、わからんけど。100冊買いたいけれど。それとお母さんが、なるべく早く五島に帰ってきてと言ってたよ」(トラさん)

トラさんは100冊購入した。親戚や友人にあげたり、うどんの広告に載せて売るのだ。親は年を取り、子は巣立つ。三女に続き、四女・こはるさんが地元の青年の元へ嫁いだ。

卒業を迎えた世文くん

2010年(平成22年)3月。末っ子・世文くんの高校の卒業式の朝だ。世文くんは陸上部の8種競技で活躍していて、将来は教員になりたいと熊本大学に進むことになった。

子育てもやっと一段落。世文くんが巣立ち、近くに嫁いだ娘たちは家業を手伝ってくれた。

トラさんは57歳になっても糖尿病に苦しんでいた。インシュリンの注射は日課で、カメラの前で「きつかったですよ本当に。朝起きてみないと…」と苦悶の表情を浮かべた。

体に悪いからやめてと家族は言うが、焼酎を飲むトラさん。体が言うことを聞かず、酒で気を紛らわせているのだろうか。拓郎さんも「今もう悪いとこしか見えません。いいとこない感じです。お酒に飲まれてる感じですね。病気を理由に」と心配する。

還暦を迎えたトラさん、益代さん夫婦

2012年(平成24年)正月。トラさん夫婦は数え年で60歳になり。還暦を祝う会が自宅で開かれた。子どもたちが全員集まっていて、末っ子の世文さんも大学2年になった。主役のトラさんだが、顔の傷が痛々しい。酒に酔って転んだという。

子どもたちを育て上げた安堵とは裏腹に、役目を終えた寂しい気持ちが酒を呼ぶのかもしれない。

はなえさんは京都でお坊さんと結婚した。トラさんは糖尿病が悪化し、式に出ることはできなかった。

塩の仕事は、妻・益代さんがしていて、トラさんの状態には「精神的な面で落ち込んでいるみたいだし、また回復するのを待つよりないかな。いつまでもこのままじゃないと思うので、あの人のことだから。そのつなぎをやっとこうかなと思っている」と語った。

トラさんはどう思っているのか。益代さんについて聞くと「答えようがないかな。子どもを7人産んでくれたし、どうもありがとうしか。そう思うな。出しゃばらんし、何かいつも立ててくれるしね」と涙を流しながら感謝の言葉を口にした。

トラさんが病床から伝えた最後の言葉

病床で益代さんの手を握るトラさん

2014年(平成26年)1月。61歳のトラさんは糖尿病が悪化し入院していた。糖尿病がもとで体力が急激に低下、厳しい状態だった。この時、トラさんに話を聞く機会があった。

Q.家族でうどんを作っていたころを思い出しますか?
「うん。あれは、あれでよかった。色々分かったし…。やっぱり世文のことを一番思い出す」

Q.どうして、厳しく言って育てたのですか?
「私は親から言われて鍛えられたから」

Q.子どもたちに幸せになってほしいからですか?
「みんな、そうですよ。それなしには話にならないです」

Q.子どもたちに言いたいことはありますか?
「好きなこと、自由に、やることだろうな」

入院してひと月後、家族に見守られながら逝ってしまった。

最後に駆けつけたのは熊本に住む、世文さん。トラさんは一瞬カッと目を開けて世文さんの顔を見るとうなずき、しばらくして息を引き取ったという。着くのを待っていたのだ。

自宅での葬儀では孫たちが弔辞を読み、皆が涙を浮かべた。

益代さんはトラさんの仏壇を前にし、「ここに寄るのはつらい。今まで、子どもたちを育ててくれてありがとう。つらかったことよりも楽しい思い出たくさんあったし」と話した。

魚をとり、塩を作り、海の恵みで生きてきたトラさん。死んだら海に帰りたい、散骨してくれとトラさんは家族に遺言していた。この年の4月、家族の手により海に帰った。

虎屋は長女・こころさんが継いだ

拓郎さんは定置網の船長に

2人の親となった拓郎さんは、定置網の船長として船団を引っ張っている。うどん作りより海の恵みで生きていく道を選んだ。

「どっち(定置網も家業)も大事ですが、定置網は自分が辞めたら後にする人がいなくなるかと思って。妹のこころが(家業を)継いでくれて助かりました。好きなことをさせてもらって」(拓郎さん)

虎屋はこころさんが継いだ

虎屋の社長を継いだのはこころさん。母親の益代さんも感謝しているという。

「兄も自分がしたいことを責任もってやっていると思うので、私がやるのが一番、うちの家族にとってはいいのかなと思ったので」(こころさん)

トラさんが始めた塩づくりは、こころさんの夫・慎太郎さんが継いだ。もともと海が好きで海の仕事をしたいと思い、作り方は以前トラさんに教えてもらっていた。塩作りもうどん作りも家族でできる。慎太郎さんは大工を辞めて妻を手伝うことにした。

こころさんと慎太郎さん一家は隣の集落に住み、時間があれば娘3人にも仕事を手伝わせている。昔トラさんがしていたことを、母親になったこころさんが再び実践している。

「(小さい頃は)自分が毎朝起こされて仕事をするのが、苦痛だったんですよ。でも私は兄が仕事をしている、妹や弟がしてるで、自分もしないといけないって思って。それぞれの役割があって生活をしていたんですけど。人間関係というか、そういうのを私は家族で学んだんじゃないかなと思います」(こころさん)

一周忌に集まった子どもたち…それぞれの人生

2015年(平成27年)2月。トラさんが亡くなって1年が過ぎ、一周忌に子どもたちや親戚が集まった。二男・竜之介さんは佐賀県で会社員となり、2人の子の親となった。

その途中、玄関に誰か来た。大学を卒業し、島原で臨時教員をする世文さんだ。長崎から出る朝一便の船に乗り遅れ、法要に間に合わなかった。トラさんが生きていたら何と言うだろう。叱られて、きょうだいみんなに頭を下げる世文さん。

トラさんへの感謝を述べる世文さん

それでもトラさんへ涙ながらに感謝を述べた。

「お父さん、ありがとう。ほんとうに、ありがとう。いい先生になります」

世文さんが初めての給料日、母に宛てた手紙にはトラさんへの気持ちがつづられている。

世文さんの手紙

【手紙の内容から一部抜粋】
嫌だと思うことは数えきれないくらいあったけど、今の自分があるのは、お父さんがいてくれたおかげだと思っています。嫌いだけど、世界一尊敬しています。あんなに破天荒な生き方はできないと思うし、誰もやらないことをやろうとする所、お母さんをちゃんと愛している所、家族を愛している所、良い所は全部見習って生きていこうと思います。

最後に1つ、お父さんには言いそびれたけど素敵な名前をありがとう。

世文さんはこの春、臨時教員から本採用となり、熊本の高校で教鞭を執っている。

トラさん一家に出会って22年。9人が並ぶ、1993年の家族の肖像。

そして、2015年の9人が並ぶ家族の肖像。子ども7人のうち4人が五島で暮らしている。孫は12人。

トラさんはあまりに早逝ではなかったかという問いかけに、竜之介さんは「一生懸命生きたんだろうなって今思うので、全然そういうのは思わないですね。僕たちのために一生懸命生きてくれたんだろうなって思った」と答えた。はなえさんにトラさんのことを聞くと「やさしかったなあって思いますね」とし、涙を浮かべた。

益代さんは「(トラさんが)そばで見てくれてる」と話す

「遠いところに行ってるんだけど、何かいつもそばで見てくれてる感じがする。いつも身近にいるという感じですね」(益代さん)

大事なことは十分伝えた。好きなことを自由にやることだ。トラさんはみんなの幸せを、海の中からずっと見守っている。

(第24回FNSドキュメンタリー大賞「五島のトラさん~父親と家族の22年~」テレビ長崎・2015年」

トラさん一家の映像は2016年に映画化され、テレビ番組の国際コンクール・上海テレビ祭のドキュメンタリー部門で最高賞を受賞するなど、各方面で高い評価を得ている。虎屋はこころさんと慎太郎さんが中心となり、うどんや塩製品などを今も製造・販売している。

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