冬季五輪史上最多18個のメダルを獲得し、日本選手の活躍で盛り上がった北京オリンピック。北海道からも多くのメダリストが誕生し、多くの力をもらった。

札幌市では2030年の冬季オリンピック招致を目指す動きがあるが、ちょうど50年前に札幌冬季オリンピックの開会式が2月3日に行われた。

大会を機に大きな変貌をとげた札幌市の街並み。オリンピックがもたらしたものと、今後の可能性を考える。

札幌五輪から50年…夏冬7回出場の橋本氏も思い出が

 
 
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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の橋本聖子会長は、スピードスケートと自転車競技で夏・冬あわせて7回オリンピックに出場した。
アルベールビル大会では銅メダルを獲得している。
1972年の札幌のオリンピックには、どのような思い出があるか尋ねた。

東京大会組織委員会・橋本聖子会長:
小学校1年生の冬だった。父はその聖火をどうしても見せたかった。ずっと燃えていた聖火を遠くから見せられて、『あの聖火の字を取って聖子になったのだから、この大会に出ろ』と言われ、オリンピックからもらった名前。1972年に父がわざわざ遠い山奥の牧場から連れてきてくれて、聖火を見せたその思い。私自身はそれがなかったら多分スケーターとして、オリンピックの選手になるというスイッチが入らなかった

"日の丸飛行隊"の活躍に沸いた札幌市

1972年の札幌オリンピックから50年。当時、運営に携わった和田 明さんだ。最も日本中が沸いた瞬間を聞いた。

 
 

札幌スキー連盟・和田明さん:
これは笠谷幸生選手が金メダルを取ったときのゼッケン番号です。“日の丸飛行隊”と呼ばれるくらいの世界的なできごとでした

スキージャンプで日本勢が金・銀・銅メダルを獲得し、表彰台を独占した。大会は35の国と地域から、選手と関係者1665人が来日。

 
 

11日間にわたり、6競技35種目が行われた。

札幌スキー連盟・和田明さん:
これは50年前の記念品です

当時、運営者に配られた「大会必携」、マニュアルだ。オリンピック憲章や競技ルールが1冊にまとめられ、運営者の名簿もあった。
和田さんはクロスカントリーで、選手がコースを通過したかを確認する関門主任を務めた。

今だから話せる当時のエピソードが。

札幌スキー連盟・和田明さん:
競技が終わって集計したときに、通過していない選手がいて失格ではないかと。実は現場の関門係がみんなで写真を撮っていて、その間に1人通過して行ったことがわかった。強いノルウェーの選手だった

アジアで初めて開催された冬季オリンピック。札幌の街が世界に向けて大きく発信された。

札幌スキー連盟・和田明さん:
いよいよ札幌が国際都市になると感じた。札幌大会がなければ、地下鉄も造れなかったかもしれない

 
 

国際都市への一歩となった冬季五輪

オリンピックの開催で街が大きく変わった。当時を知る札幌市民は…

札幌市民(80代):
当時はきらきら明るくて、衝撃的な街だと思ったのを覚えている

札幌市民(70代):
地下鉄ができるし、地下街もできてくるし、わくわくする街に変わっていった

札幌の街はどう変わったのだろうか。建造物の移り変わりから地域の歴史を研究している、札幌建築鑑賞会の杉浦 正人 代表だ。

 
 

札幌建築鑑賞会・杉浦正人代表:
札幌市南区の真駒内地区がオリンピックのメイン会場になったので、それに合わせて間に合わせるように造られたのが札幌市営地下鉄です

地下鉄&住宅&競技場…どんどん変わっていった街並み

開幕の2カ月前に札幌市営地下鉄 南北線が開業。

 
 

北24条駅と真駒内駅の間のわずか12.1kmだったが、初日はたいへんな混雑となった。

札幌建築鑑賞会・杉浦正人代表:
ここがいわゆる選手村。こちらが男子の宿泊施設。高層の方の、今は分譲マンションになっているのが女子選手村

かつての選手村は団地として活用され、今も多くの人が住んでいる。当時、札幌市の人口は急増していて、北海道内全体に占める割合も右肩上がりとなっている。

 
 

高度経済成長を背景に人口が集中し、交通インフラと住環境の整備が求められていた。開会式が行われた屋外競技場には、時代を先取りした工夫もされていた。

札幌建築鑑賞会・杉浦正人代表:
一言でいうと、目立たなくなっている

緩やかな斜面に穴を掘り、そこに競技場を作ったのだ。

札幌建築鑑賞会・杉浦正人代表:
自然の地形を生かしつつ、競技に適するように考えた配置。今でこそ自然と調和することは当たり前のように言われているが、それを50年前に先取りした、文字通りレガシーだと思う

札幌市中心部でも大きな開発が行われた。

札幌建築鑑賞会・杉浦正人代表:
それまでは2階建てや3階建ての建物が多かった街並みが、新たに高層のビルが建設されていったのもこの時期

1月末で閉館した札幌市中央区の「4丁目プラザ」をはじめ、多くの商業ビルが建設され地下街も整備された。

オリンピックの開催に合わせて、札幌の街は急激に発展していった。そのシンボルともいえる、当時流行した歌がある。

札幌市民(80代):
地下鉄で音楽が流れる

札幌市民(70代):
トワ・エ・モワの音楽。懐かしい

札幌市営地下鉄の到着時のメロディにもなっている大会のテーマソング、「虹と雪のバラード」だ。この曲が流れると、当時を知る人はオリンピックの興奮と、思い出が呼び起こされるという。

あれから50年、再び冬季オリンピックの招致が進められている。2月3日、機運向上を図るため札幌市中央区の大通公園に、モニュメントが設置された。

あれから50年…再び”冬季大会”招致なるか

開催地決定の大きな山場となるのは…

東京大会組織委員会・橋本聖子会長:
2022年秋だと思う。7年前決定というのが撤廃された。IOCは早く決めたいと思っている

 
 

招致に向けて重要なポイントとなるのは…

東京大会組織委員会・橋本聖子会長:
札幌市民・北海道民、みなさんの理解だと思う。そういった状況をみて国がどういう支援をしていくのか。非常に手応えはいいと思う。ただ、確実に招致活動を展開していき勝ち取るには、まだまだ困難だと思います

私たちの暮らしにも大きな影響を及ぼすオリンピックの招致。札幌市は3月、北海道民への意向調査を行う予定だ。

(北海道文化放送)

北海道文化放送
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