野田あすかさんは、国際大会で入賞を果たした経験を持つ実力派のピアニストだ。そして、広汎性発達障害というハンディと共に生きている。
フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が、今年で第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第21回(2012年)に大賞を受賞したテレビ宮崎の「こころのおと~あすかのおしゃべりピアノ~」を掲載する。

自分の気持ちをうまく表現することができないあすかさんだが、恩師との出会いや夢だったソロコンサートを通じて成長し、つらい日々を乗り越え、大きな一歩を踏み出した。
前編では、障害を理解してもらえず家族で苦しんだ日々、そして人生を変えた恩師と歩んだ思いに迫った。
(記事内の情報・数字は放送当時のまま掲載しています)
【後編】 恩師は否定しなかった…「私は私」 発達障害のピアニストが夢のリサイタルで届ける思い
理解されない障害…「みんな地獄だった」

あすかさんの持つハンディ「広汎性発達障害」は、社会性やコミュニケーション能力などの発達が遅れてしまう、生まれつきの障害だ。
精神科専門医は広汎性発達障害について次のよう解説する。
「対人関係をどう作っていくかという社会性の問題があります。一人遊びが多かったり、一人行動が多かったり。もしくは、人の中に入っていこうとしても、自分本位な動きのように見え、周囲からは障害というふうに見られません。なので、無神経だったり、周囲との協調性のない子、そういった形でとられます」

母・野田恭子さんは、あすかさんについて「小学校の時の通知表は、音楽とか理科は5なんですけど、通知表の評価に極端な偏りがあった」と振り返る。
また、父・野田福徳さんは、「思春期ぐらいからと言われていますけれども、急にそういった症状が出ると。もっと早く気づいてあげていれば…」と悔やんでいた。

成績優秀だったからこそ障害のことを理解してもらえず、あすかさんはいじめを受けることもあったという。また、多感な時期だったため、ストレスは精神障害を併発させ、あすかさんの症状はさらに悪化した。
頻繁に起こすパニックが大きなけがにつながることもあり、家族にとっても不安の絶えない毎日が続いた。

福徳さんは当時を、「地獄だった」と振り返る。
「見えないものが見えたり、自傷に走ったり…。夜中に徘徊することがあったので、互いの手首をひもで縛って寝ていた。もうその時は、地獄でしたね。家族みんなが地獄だったと思いますね。本人もつらかったと思うんですけどね」
転機は恩師・田中先生との出会い
当時大学生になっていたあすかさんは大学を辞め、周りとの接触を避けるようになっていった。しかしそんな中で彼女の心を支えていたのは、幼い頃から大好きだったピアノだった。

週に一度行われていたレッスンでは、大学教授・田中幸子さんが指導にあたっていた。
この田中先生との出会いが、あすかさんにとって大きな転機となったという。
田中先生は、障害を持つ人にピアノを教えた経験は無い。
「私は初めてです。演奏するときは、あすかさんは全く普通なので。音楽となったら、みんな一緒ですから。障害を持っているんですけど、そういうふうに思って教えたことは、今まで一度もないですね」

そして田中先生は、あすかさんの才能を大きく評価した。
「(あすかさんは)感性が素晴らしいというのと、本当に音楽が好きだなっていう感じが凄くしました。音楽性があるなっていう」
レッスンの取材中、「ふわふわー」と、楽しそうにマイクを触っていたあすかさん。「ふわふわをピアノで表現してみて」とリクエストすると、即興で演奏を始め、感じたことを伝えてくれた。

ある日、田中先生の主宰する定期演奏会に参加したあすかさんは、体調を崩し手足の震えが止まらなくなった。それでもあすかさんは、田中先生の期待に応えようと、ステージに立つことを諦めようとはしない。訴える。
「弾けるよ、頑張れるよ」と震えながら話すあすかさんを心配し、「無理すると体に悪い」と語る田中先生。しかし、あすかさんはステージへと向かう。

ステージに立ったあすかさんは、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を堂々と演奏。客席からは、大きな拍手が鳴り響いた。
演奏をやりきったあすかさんは、田中先生と抱き合い、ステージ裏で涙を流した。田中先生は、すすり泣くあすかさんに「すごく良かった。すごく素晴らしかった」と優しく声をかけていた。
叶えたい夢 自分の思いを音に
田中先生との二人三脚であすかさんのピアノ演奏はみるみる上達し、国内外のコンクールで数々の賞を受賞するようになった。
2009年、カナダで行われた「国際障害者ピアノフェスティバル」では銀賞を受賞し、世界に認められる演奏を披露した。

中でも評価が高かったのは、あすかさんが自分で編曲を手掛けた「ふしぎな森の1日」だ。
カナダの森をイメージして書いたメロディーには、独特の世界観が広がる。

あすかさんに「すごく複雑じゃない?」と尋ねると、指が11本ないと弾けない曲を作ったと教えてくれた。
「弾いてみたら、指が足りなかった。元々のは11本必要だったから、6本にしたところがある」
感性と努力で障害という壁をひとつひとつ乗り越えてきたあすかさんには、どうしても叶えたい夢があるという。

あすかさんから届いた一通のメールには、その夢が綴られていた。
「コンサート、むりかもしれんけどやってみたい」
「超上手なピアニストの人たちの中で練習させてもらっているから、その人たちがコンサートとかを開いてるのを見て、ずっと、いいなって思ってたんだけど。できないから、私には無理ってずっと思っていて。憧れていたよ」

「憧れていたよ」と繰り返すあすかさん。「どれぐらい?」と尋ねると、腕を大きく広げて表現した。
自分の思いを音にして、聴いてくれる人に届けたい。憧れのソロリサイタルに向けて、あすかさんの挑戦が始まった。
後編では、初めてのソロリサイタルを通じて学んだ思い。そして、ピアニストとしての一歩を踏み出したあすかさんの姿を追う。
(【後編】『恩師は否定しなかった…「私は私」 発達障害のピアニストが夢のリサイタルで届ける思い』)
(第21回FNSドキュメンタリー大賞『こころのおと~あすかのおしゃべりピアノ~』テレビ宮崎・2012年)