野田あすかさんは、国際大会で入賞を果たした経験を持つ実力派のピアニストだ。そして、広汎性発達障害というハンディと共に生きている。

フジテレビ系列28局が1992年から続けてきた「FNSドキュメンタリー大賞」が、今年で第30回を迎えた。FNS28局がそれぞれの視点で切り取った日本の断面を各局がドキュメンタリー形式で発表。今回は第21回(2012年)に大賞を受賞したテレビ宮崎の「こころのおと~あすかのおしゃべりピアノ~」を掲載する。

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自分の気持ちをうまく表現することができないあすかさんは、恩師と出会い、ピアノの腕を上達させ、夢のソロリサイタルを開催するまでになった。

後編では、初めてのリサイタルを成功させあふれ出した思いと、ピアニストとして新たな目標に向かい歩き出した姿に迫る。

(記事内の情報・数字は放送当時のまま掲載しています)

【前編】障害と共に生きるピアニスト “地獄”の日々を乗り越え…恩師との二人三脚で開花させた才能)

「いつも不安…でも舞台に上がると嬉しい」

広汎性発達障害というハンディもあり大学を辞めたあすかさん。心を支えてくれたのは幼い頃から好きだったピアノだった。

大学教授・田中幸子さんの指導でピアノの腕前は上達し、夢であったソロリサイタルを開くことにした。開催まで2カ月、いよいよ準備が始まった。 

移動中もピアノの練習を行う野田あすかさん

あすかさんはポスターとチケットを作るため、通っている支援センターへ1人で向かう。

人が集まるところが苦手なあすかさんだが、支援センターまでのバスの中では黙々とピアノのイメージトレーニングを行う。

あすかさんが目標にするのは、「手作りの温かいリサイタル」だ。デザインから構成まで、全てあすかさんがプロデュースする。

でき上がったポスターには、

“苦手なこと、できないこと、たくさんあるけれど、私の心には私の音がある”

というまっすぐな思いが綴られた。

「ピアノしかないから。ピアノだったら伝えられるような気がするから…。正しい言葉で伝えられるような気がするから」 

たくさんの人にリサイタルに来てもらおうと、あすかさんは自分の手でポスターを配っていた。
人と話すのが苦手なあすかさんだが、言葉を絞り出すと、皆が温かく受け入れる。

あすかさんがこの日最後にやってきたのは、今回のリサイタルを一番見てもらいたいと考える恩師・田中先生の家だった。 

「凄く素敵なものができたね、凄くいいじゃん」と、嬉しそうにチラシを受け取る田中先生。

「命をかけてと言ったらオーバーかもしれないけど、そのくらい一生懸命、今まで練習をしてきて身を削ってやったところもあるし、そのまとめみたいなものだから。あすかさんにとっては初めてのリサイタルですし、初めてみんなに聴いていただくという感じだし、やっぱり大切なリサイタルだと思います」

そして「今までにずいぶん苦労してきたし、努力してきたしね、その成果を見事に聴いていただけると嬉しいね」と、あすかさんに優しく話しかけた。 

父親の野田福徳さんも、あすかさんの夢の成功を祈る。

「昔から言ってたんです。ソロコンサートをやりたい、やりたいって、ずっと言ってたんですよね。娘の夢だったんです。やるからには成功してほしいと思いますね」

その言葉を聞いたあすかさんは、ずっと憧れだったソロコンサートへの思いを語った。

「不安はいつもだよ。いつもだけど、舞台に上がったらいつも嬉しくなる。今回もそうだといいな」

「ピアノなら誰もが聴いてくれる」

ソロリサイタル1週間前。リサイタル会場での打ち合わせが行われた。
当日のスケジュールも具体的に決まり始め、あすかさんは、「ドキドキする…。10人ぐらい来たらいいかな…」と不安を口にするように、徐々に緊張が高まってきたようだった。 

田中先生のために一番いい席を探すあすかさん

その後、なぜか客席をウロウロし始めたあすかさん。ある場所に座ると、満足げに語った。

「田中先生の席はここ。一番見やすかった。舞台全部がきれいに」 

リサイタル前日には、これまで2人で作り上げてきた音楽の最終チェックを行う。
先生と生徒、時には母のような愛情で支えてくれた田中先生。夢のリサイタルにかける2人の思いは同じだった。

「普通は、1年くらいかけてやるんです。2カ月前に言われた時は凄く反対で、とてもできないと思ったんですけど、すごく頑張り屋さんだし、ここまで曲をまとめてこられたのも凄いなと思っています」 

さらに田中先生は、「ここまで仕上げてたのは、あすかさんだからなせた業」と続ける。

「よく頑張りましたよ。並の努力じゃないのでね。やりたいっていう気持ちがそうさせたのかなと思って。よくここまで、2カ月でやってきたなと。最初1カ月ぐらいは、不安な感じばかりだったんですけど、まあ、さすがだなと思っています」 

田中先生の言葉に、あすかさんも嬉しそうに話す。

「だって聴いてもらえるから。私が言うことは誰も聞いてくれないけど、ピアノは聴いてくれる」

恩師が教えてくれた「私は私でいい」

リサイタル当日を迎えたあすかさんは、落ち着かない様子だ。しかし、ピアノが運ばれてくると顔を寄せ、幸せそうな表情を見せる。

開場の時間になると、続々とお客さんが入り始め、いつもは舞台袖にいる両親や先生も、この日は客席から見守る。

そして、リサイタルが始まった。

あすかさんの心が音に変わり、ヒナステラ「アルゼンチン舞曲~粋な娘の踊り~」など見事な演奏を見せた。 

「私の心には私の音がある」

ピアノの音色はまっすぐな言葉。あすかさんの思いが響き渡る。 

演奏をやりきって満足した笑顔を見せるあすかさん

演奏を終えた“ピアニスト”に送られた温かな拍手は、いつまでも鳴りやまない。
「楽しかった」と語るあすかさんは、飛びっきりの笑顔だった。

舞台裏で、田中先生に「いつもありがとうございます」と、花束とともに感謝の言葉を伝えたあすかさん。

「成功ですか?」と尋ねると、田中先生は「課題もいっぱい残したけど、1回目にしては上出来です。これからも頑張っていこうね」と返した。

「田中先生にめぐりあえて本当に良かった」と力強く語ったあすかさん。

「自分の音楽も人間も否定されてきて、やっと短大に来て、でも長期履修生ではやっぱりできなくて。音楽の勉強をするために音楽の大学に入ったのに、音楽を否定されて、人間も否定されて、学校を変わってもまた否定されて。

みんな私のこと否定したけど、田中先生は否定しなかったから。私は私でいいんだって、初めて先生が音楽で言ってくれたから。だから私は、凄く嬉しくて」 

泣きながら思いを伝えるあすかさん。「いろいろあったけど、頑張っていこう」と話す田中先生に、あすかさんは「先生、ありがとう」と、あらためて感謝の言葉を伝えた。

あすかさんの思いを聞いた父・福徳さんが語る。

「障害があるということ自体を隠そう隠そうとしていたんですけど。それはそれとして、現実的にどうなるものでもないわけですから、それを乗り越えていかないと。こんなことはできないけど、こんなことはできるということをわかってもらえたら、それが一番なんです」

この日、あすかさんは大きな一歩を踏み出した。

みんな元気に…「ピアノはなんて素晴らしいんだろう」 

プロのピアニストのレッスンを受けるあすかさん

リサイタルから1年後。
世界的に活躍する音楽家が講師を務めるミュージックアカデミーの会場に、あすかさんの姿があった。

初対面の人と接することが苦手なあすかさんにとって、会ったこともない先生のレッスンを受けることは簡単ではない。 

しかし、レッスン当日のブログに、あすかさんの決意が記されていた。

“私は、今まで会ったことのない人と話をすることは無理です。逃げたくなくても逃げます。でも…、「ピアノでみんなに伝えられるようになりたい」。その思いがとても強かったから、逃げませんでした”

プロのピアニストからレッスンを受けるあすかさんは、また少し前に進んでいた。 

子どもたちへの指導にも熱が入る

人の集まる場所が苦手なあすかさんだったが、ショッピングモールの中にあるカルチャーセンターで月に2回、講師として子どもたちにピアノを教え始めた。
レッスンのための準備もすべて一人で行い、笑顔の練習にも余念がない。

子どもたち相手のレッスンでは、全く予想していなかったことが起きることもしばしばあり、パニックを起こしそうな時もあるが、決してそれを見せなかった。

ピアニストとして歩み続けるあすかさんは、常に新しい目標に向かってチャレンジするようになった。 

入所者を前に楽しそうに演奏するあすかさん

ある日、慰問コンサートで特別養護老人ホームを訪れたあすかさんは、美空ひばりさんの「川の流れのように」を披露。その時の様子について「手拍子をしないと聞いていたのに、されたのでビックリして…」と楽しそうに語った。

「ピアノを聴いて元気になって、手を動かす気になってくれたのなら、ピアノって、なんて素晴らしいんだろうと思って。ピアノが私の間に入って、おばあちゃん、おじいちゃんに手を叩くだけの元気が伝わったんだったら、すごいなって思って。みんな元気になってハッピーだった」

「私は私」。苦手なこともあるが、あすかさんは、ピアノを支えにゆっくり前に進んでいく。

(【前編】『障害と共に生きるピアニスト “地獄”の日々を乗り越え…恩師との二人三脚で開花させた才能』)

(第21回FNSドキュメンタリー大賞『こころのおと~あすかのおしゃべりピアノ~』テレビ宮崎・2012年)

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