東北に甚大な被害をもたらした東日本大震災から10年が過ぎた。
復興五輪と名付けられた東京オリパラが行われたものの、震災の記憶や東北復興への想いは徐々に失われつつあるように見える。しかし震災当時まだ幼かった20代の若者達が、いま東北を盛り上げようと様々な取り組みを行っている。宮城と福島で彼らの新たな動きを取材した。
気仙沼だからこそできるビジネスを
宮城県気仙沼市。全国屈指の水揚げを誇ったこのまちは津波で壊滅的な被害を受けた。しかしいま気仙沼では、造船など地元の中小企業経営者らが若い世代の起業家を盛り上げようという動きが広がっている。
加藤広大さん(25)は神奈川県小田原市出身。学生時代に気仙沼を訪れたのをきっかけに、サラリーマン生活を経て移住を決め、気仙沼だからこそ出来るビジネスを起業しようと考えた。そこで加藤さんが目をつけたのが、使用後廃棄されている漁網だ。
そもそも漁網はナイロンの中でも高品質のもので、耐久性に優れ軽量、反発性が高いという特質があった。これに気づいた加藤さんは、漁網を回収してリュックやジャケットの原材料にするビジネスを思い立ち、2021年9月にamu(アム)株式会社を登記した。社員は自分一人だ。
この記事の画像(7枚)気仙沼から世界の課題を解決する
加藤さんはいう。
「遠洋近海マグロ漁では多くの使用済み漁網が、産業廃棄物として処理されています。もともと漁網は再資源化する技術がなかったのですが、環境のためにはアップサイクルが必要だと思いました」
加藤さんはいま気仙沼の漁業関係者を回りながら、事業への協力をお願いしているという。
「『取り組んでいかないといけないよね』と言ってくれる方もいますが、これからが勝負です。漁業を支えている漁具に、未来の資源として命を吹き込みたい。売り上げの一部は気仙沼に還元しながら、5年後をめどに日本の主要漁港で漁網を回収していきたいです。またこの事業には世界の課題解決のポテンシャルがあると思います」
南三陸で農業を自分でやってみよう
同じく津波で大きな被害を受けた南三陸町には、ゼロから新規就農した大沼ほのかさん(23)がいる。大沼さんは2019年春に宮城県の農業大学校を卒業後、出身地である南三陸で大沼農園を始めた。
大沼さんは語る。
「小学校3年生の時に被災しました。家は漁業をやっていましたが、田んぼが一反程度あって農作業が楽しかったのを覚えています。高校三年生の時、南三陸の田園風景を守り続けた農家の方々に何か手伝えないかと考え、自分でやってみようと農業を始めました」
「続けてくれてよかった」と言われたい
大沼さんは南三陸の中でも津波の被害に遭わなかった、農村地区入谷に一目惚れして住み始めた。農地は休耕地を農家から0.9㏊借り受け、農機具も借りて農業を行っている。桃やブルーベリー、栗などの苗木を植え始めたが、「果樹は5年かかるのでその間はクレープの移動販売をしている」という。
「当初は農業をやるというと、農家の方々から『やってもいいことないからやめろ』と言われました。でも2021年10月からは農家の方々がこの地区を活性化する協議会を始めて、私も加わらせてもらっています。農家はスポットライトを浴びる機会があまりありませんが、いろいろな人たちが自由に過ごせる果樹園をつくって『続けてくれてよかった』と言われるようになりたいと思っています」
南相馬はゼロから街づくりできる
津波だけでなく東京電力福島第一原発事故に被災した福島県南相馬市。ここで酒づくりをしているのが埼玉県出身で楽天などを経て2020年に移住した佐藤太亮さん(29)だ。
南相馬市小高区は事故前に1万2千人いた住民が4千人弱まで減っている。
佐藤さんはたまたま出会った南相馬の地域リーダーの一言に衝撃を受けて移住を決めたという。
「その人から『南相馬はゼロからもう一度街作りをできるフロンティアだ』と聞いて面白いなと。学生時代から酒づくりをしたいと思っていたのですが、新しい酒づくりを考えていたところに街づくりが重なりました」
被災地を応援してとは言いたくない
佐藤さんが起業したhaccoba,Inc(はっこうば)は、日本酒とクラフトビールの製法を掛け合わせ、ジャンルを超えた酒づくりを目指した。そして2020年9月からクラウドファンディングを行い、21年2月から製造を開始。いまではネットで販売すると数時間で売り切れるほどの人気だ。
また民家を改造した酒蔵はブリューパブのようで、食事をしながらお酒を楽しめるようにした。
佐藤さんはこう強調する。
「被災地を応援してとは言いたくなくて、純粋に美味しいものを食べに来て欲しいですね」
東北はゼロイチを生み出す場所だ
こうした20代の起業家達を支援してきたのがNPO法人ETIC.(エティック)だ。エティックは2021年、ファミリーマートや米日カウンシルージャパンの支援のもと、仙台の一般社団法人ワカツクとともに約5カ月間の支援プログラムを運営した。
プログラムの事務局として起業家達と接してきた木村静さんはこう語る。
「20代の彼らにとって東北は、ゼロからイチを生み出すポテンシャルの高い魅力的な場所なのです。東北が持続可能であり続けるために、起業家達は自分ができること、したいことを見つけて挑戦しています」
復興の想いは次世代に繋がったのか
震災から10年がたって、復興への想いは次の世代に繋がったのか?筆者の問いに木村さんは「東北には挑戦を応援する風土が生まれている」という。
「東北のそれぞれの場所で挑戦する個人が繋がり、交流しながら互いにエンパワメントする。私たちはこうしたコミュニティづくりの支援を続けていきたいと考えています」
20代の若き起業家にとって、東北はポテンシャル溢れる挑戦の場なのだ。
追記:
この記事には詳しく紹介できなかったが、福島県川内村には詩人草野心平の文学館を管理している志賀風夏さんが、自身の民家を地域おこしの場としてリノベ計画中だ。
また田村市の大島草太さんは「Kokage Kitchen」を起業して、地域のそば粉やたまご、はちみつで「そば粉ワッフル」をつくりキッチンカーで地域PRを行っている。もちろんともに20代だ。
【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】