交通事故で生死をさまよいながらも、再び野球で夢を追いかける男性が岡山県倉敷市にいる。
彼は、甲子園出場経験を持つ元高校球児。「障害者野球」で第2の野球人生のプレーボールだ。

甲子園にも出場 「野球一筋」の学生時代
鍛えぬかれた体と俊敏な動きでグラウンドを走る男性、浅野僚也さん(25)。
浅野僚也さん:
ピッチャーとして打たれない自信とか、他の人には負けないくらいの自信は持っていました

自慢のバッグには「KURASHO」の文字。
浅野僚也さん:
甲子園出たら、記念にこれを買ってくれるから。年季の入った。野球行くなら、僕はこれしか考えられないですね

浅野さんは、野球一筋だった。
小学生の時に野球を始め、中学時代には倉敷市の選抜メンバーとして全国3位に輝くなど、めきめきと上達した。

星野仙一さんなど多くのプロ野球選手を輩出した名門、倉敷商業高校野球部に入部。

100人を超える部員の中でもピッチャーとして存在感を放った浅野さんは、高校2年生の時、春夏連続で甲子園に出場し、ベスト8まで進んだ。

19歳で大けが…失意の中で出会った障害者野球
しかし、19歳の時。友人が運転する車に乗っていた浅野さんは、自損事故に巻き込まれ、横転した車から投げ出された。
生きているのが不思議なくらいの大けがだった。

浅野僚也さん:
ここ(二の腕)から先、空気くらいの感覚で。そもそも右腕あるのかなという感じだったけど。退院する時もぶらんぶらんというか…全く動きもせん

利き手の右手では、思うようにボールを投げられなくなった。
浅野僚也さん:
野球はちょっとできなさそうねって言われて、えっ?てなって。絶望というよりかは、本当になんか「終わった」という感じ…
3カ月に及ぶ入院生活。看病を続けた母親が毎日つけていた日記が残っている。
浅野僚也さん:
「きれいに治りますように…」「野球できますようにお願いします」って…

失意の中、インターネットで見つけた「障害者野球」の文字。
走れない人には代走が付き、義手や義足、どんな障害があっても自分にできるプレーを精一杯するもう1つの野球だ。

浅野僚也さん:
すごいなぁと思って。俺よりつらい人はいっぱいいるし、それを「つらいから」とか「動かないから」とかいう理由を理由にせず、野球をしている。俺もまた頑張ろうって

障害者野球に情熱を注ぐ同級生との再会
浅野さんは、岡山県のチーム「岡山桃太郎」に入団。
「岡山桃太郎」では、下は高校生から上は80代まで、さまざまな障害がある選手たちが日本一を目指して練習を続けている。

そこで待っていたのは、同級生との再会だった。高校時代、学校は違っても同じ大会で甲子園を目指して戦った仲間。

早嶋健太さん(25)は、チームのエース。生まれつき左手の指がない。

日本代表として障害者野球の世界大会に出場し、MVPに選ばれるなど活躍していた。
井戸千晴さん(26)も手に障害があるが、ピッチャーからキャッチャーに転向し、気迫のプレーでチームの要となっている。

井戸千晴さん:
すごく運命も感じますし、やっぱり同じ年代でこういうふうに一緒にプレーできるのは、本当にうれしいこと
早嶋健太さん:
悩みを言えばちゃんと答えも返ってくるし。この2人に出会わなかった人生より、出会えた人生で僕は幸せだなと思います
障害者野球に情熱を注ぐかつてのライバルの姿は、浅野さんの心を動かした。
浅野僚也さん:
ピッチャーはもうできないのは、最初から覚悟はしていたので。できない中で自分のできることをしたい
再びボールを握った浅野さん。高校時代の感覚を頼りに外野手として、打撃の中心として、チームの主力となるまで成長した。

この日の練習、浅野さんは利き手ではない左手でもキャッチボールをしていた。
浅野僚也さん:
槙原さんみたいにできたら幅が広がるなって
槙原淳幹さん(31)は「岡山桃太郎」のキャプテン。幼い頃の事故で右手が使えないが、左手でボールをキャッチすると、グローブを投げ捨て瞬時に送球する。

ボールもバットも、左手だけで自由自在に操っている。
浅野僚也さん:
槙原さんができるなら、俺にもできるかなって。(左手で投げられるよう)今、練習中です

家族とともに歩む「第2の野球人生」
浅野さんの自宅の庭には、大きなネットが張ってある。
浅野僚也さん:
利き腕でない腕で投げるので、力いっぱい投げようとしたら、後ろの家にあたるとビビッて投げられないので、それでも思い切り投げられるように

障害者野球を始めて、両親や祖父母が手作りしたものだ。
浅野僚也さん:
励ましてくれたり、涙してくれたり…。僕のことを思ってくれていることに対して、ありがとうって
母・朋子さん:
本人が生きていて良かったと思える人生にしてほしいと思います。頑張っているからね
九死に一生を得た浅野さんは、第2の野球人生をしっかりと歩んでいる。

そんな浅野さんには新たな夢があった。
浅野僚也さん:
もう1回ピッチャーをして、誰にも負けないくらい自信持ったピッチャーになりたいですね

白球を左手に持ちかえ、もう一度あのマウンドへ。高校時代のように、浅野さんは再び障害者野球で夢を追いかける。
(岡山放送)