2019年10月、首里城が燃えた。

その首里城に対して、沖縄にルーツを持つ沖縄県系4世のエリック和多さんは祈りをささげた。

「首里城の再建は建物だけじゃなく、沖縄の言葉や文化、歴史の作り直し」だと彼は言う。

エリック和多さん
エリック和多さん
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首里城を失い、多くの県民が、若者がその存在と向き合い始めた。遠いハワイの地から、ウチナーンチュが忘れかけていた大事なことを、ハワイのウチナーンチュが教えてくれた。

(全3回、#1#2はこちら)

イオラニ宮殿はハワイのアイデンティティー

2020年3月初旬、ハワイにいるエリックさんのもとを沖縄の若者たちが尋ねていた。

彼らはみな、首里城火災をきっかけに動き始めた大学生たちだ。

首里城の火災をSNSで発信し、若者の心を動かした琉球大学3年(取材当時)の稲福政志さんの姿もあった。彼は火災直後にエリックさんと出会っていた。

「火災直後にハワイのウチナーンチュの方と話して、『あなた達がもっと頑張りなさい』といってもらえて。『凄く悲しいけど、今こうやって動き続けていたらなにか変わるよ』と」

そう彼らに話したエリックさんはどうしても見せたい場所があるという。それはハワイ王国時代の王宮・イオラニ宮殿。エリックさんはこの場所を“ハワイのグスク”だと語る。

「グスクはもともとシークレットな建物の場所でしょう。城やキャッスルは、戦うために作る場所。でも沖縄の場合はそれがメインの意味ではないよね。グスクだったら、ウガンジュ(拝所)がメイン」

1898年、ハワイはアメリカに武力併合された。宮殿は占拠され、同時にハワイ語もフラも禁止になり、ハワイの歴史と文化は消滅の危機にあった。

1970年代、王国時代の言葉と文化を取り戻そうと人々が立ち上がったのが「ハワイアンルネッサンス運動」だ。1978年にはイオラニ宮殿が復元され、同年にハワイ語が州の公用語に制定された。

ハワイの人々は消えそうになった“自らの言葉”と“文化”を自分たちの力で取り戻した。だからこそ、彼らは二度と失うことのないようこの宮殿に足を運び、歴史に触れ、ルーツを見つめ直すのだという。

「ハワイの人たちはイオラニ宮殿を見たら、ハワイの歴史を考える。でも、沖縄の場合は今までのスイグスク(首里城)は観光客が来る場所。地元の人たちは行かないさ。今も本当に沖縄のシンボルだったら、沖縄の力とみんなの考えで作り直さないといけない」

エリックさんは、自分たちのルーツを見つめ直すためのグスクの必要性を訴えた。

不思議と重なりあう琉球王国とハワイ王国の歴史。

首里城を失い、沖縄からやってきた学生たちにとって、目の覚めるような体験となった。

助け合ってきたハワイと沖縄

沖縄からハワイの移民が始まったばかりの頃から芽生えた沖縄出身者同士の小さなコミュニティは、現在までつながっている。

30年前にハワイの沖縄県系人によって設立されたハワイ沖縄センターには、移民一世の当時の生活様式などが展示されている。

ここで働くハワイ沖縄連合会の宮平リン会長やハワイの県系人にとっても、首里城の焼失は衝撃的なことだったと振り返る。

「ショッキングですね。信じられなかった。“何かをしなければいけない”という声がすぐ出たんです」

連合会はハワイで募金を呼びかけ、1000万円を沖縄に預けた。

ハワイの沖縄県系人は故郷が窮地に立たされると、助け合う兄弟のように支援し続けてきた。

沖縄戦直後、食糧不足にあえぐ沖縄で、島の食文化を担ってきた豚が激減した。ハワイの沖縄県系人たちは故郷の食文化を守るため、一斉に寄付を募り、アメリカ本土にまで出向いて550頭の豚を買い付け、船で太平洋を横断して届けたのだ。

大学生たちは、ハワイ大学琉球アイデンティティーサミットにも訪れた。エリックさんが立ちあげたNPO「御冠船(うかんしん)歌劇団」が主催する沖縄文化サミット。3日間にわたり、ハワイ全土から県系人が集う。

ここでも話題に上ったのは首里城のこと。ハワイのウチナーンチュたちは涙ながらに、首里城への思いを口にした。

こうした思いに触れた稲福さんは「沖縄の人だけではなく世界にいる沖縄の人達にとって、これだけ思いの集まる場所なんだと知って。それなのに自分は首里に住んでいながら、全然首里のことを知らなかったという“悔しさ”があって、この“悔しさ”を再建に、自分の気持ちをぶつけていきたい」と前を向いた。

他の学生たちも、ハワイのウチナーンチュの話を聞き、ハワイから沖縄を見たことで、琉球や沖縄、自分たちはウチナーンチュであること、について改めて考えるきっかけになった。

サミットの参加者全員で、紅白の花を糸でつなぐ琉球舞踊で使用される花飾り貫花(ぬちばな)づくりも行った。それぞれの思いを貫花に綴り、次世代へ思いを託した。

サミットの最後は、「国頭サバクイ」で締めた。首里城の建設資材を運ぶ様子を歌った木遣歌で1992年の復元の際も歌われた。

エリックさんは「私たちも同じ思いで、いつもハワイだけじゃなく、南米やアメリカなどどこでもウチナーンチュがいるところを思い、私たちはつながっているという気持ちがあります。寂しくはない。いつでも私たちが空を見て、心を合わせて一つになれる」と、遠く海を眺めた。

そして2020年3月、首里城復元が6年後に決定した。高良倉吉さんはプロジェクトリーダーとして2度目の復元に挑む。

高良さんは「6年後に首里城が再建されている。楽しみは家から正殿を見ること。あの姿を家から見ることが目標」と語る。

稲福さんはハワイから帰国後、首里城ボランティアに参加。焼け残った赤瓦は、次の首里城に再利用される。

「少しでも力になれているんだなと実感できるかなと思って、今できることを一生懸命やろうと思っています」と稲福さんは明かす。

2026年、多くの思いを乗せ、首里城は生まれ変わる。新しい首里城の再建まであとたったの5年だ。

【前編】首里城は焼け落ちたけど“何か”が変わった。ハワイから来たウチナーンチュが教えてくれたこと
【中編】琉球王国の平和と繁栄を守る砦。「首里城」はウチナーンチュのアイデンティティーだった

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『海の向こうの首里城』)

沖縄テレビ
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