東北に長く携われる方法を模索…ボランティアでない「持続可能な支援」続ける男性

東日本大震災から10年にわたり、名古屋から東北に支援を続けてきた人がいる。

名古屋で居酒屋を営む宮城県仙台市出身の40歳の男性は、震災直後、地元に戻って災害支援のボランティアをしていた。しかし、収入のないボランティアの継続が困難と感じた男性は、別の方法を模索。今では東北の海産物を現地で仕入れ、名古屋で販売することで支援を続けている。

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名古屋の大須商店街に、「みちのく屋 酒店」はある。宮城県石巻産の牡蠣や岩手県陸前高田産のホヤなど、現地から直接仕入れた東北名物が、約80種類も揃っている。

男性客A:
やっぱり魚がめちゃくちゃおいしいです

男性客B:
日本酒がすごくおいしいって聞いて来ました。最高です

店を営むのは、宮城県仙台市出身の若林隆之さん(40)。

若林さん:
地元に何かしたいって感じ。地元の役に立ちたい。生まれ育ったところに何かができればいいなと

若林さんは震災後、地元に戻り、避難所で物資の運搬や入浴支援などボランティアを務めてきた。しかし、収入がゼロのボランティアでは支援を続けることが難しいと考え、東北に長く携われる他の方法を模索した。

そこで東北の食材を仕入れ販売し貢献する。この10年、若林さんが続けてきた支援のカタチだ。

三陸産の鮮魚の魅力を全国に発信…4年前に店を再建した南三陸町の鮮魚店

若林さんは新たな商品を仕入れるため、定期的に東北を訪れる。2021年3月4日、店の刺身用の魚を仕入れるために、宮城県北部の漁師町の南三陸町へ。

震災後オープンした商店街にある鮮魚店「ロイヤルフィッシュ」は、2020年から若林さんの店に魚を卸している。

ロイヤルフィッシュ店長の遠藤庸光さん:
(店は)結構高い3階建ての建物だったんですけど、全壊。(津波が)かかってしまって、(営業を)やれる状態ではなかったんです

南三陸町は津波で町の6割が倒壊した。市場は津波に流され、遠藤さんの店が入った建物は壊滅的な状態になった。仮設の商店街で営業を再開。4年前に店を再建し、今では全国から注文が入るようになった。

遠藤さん:
自分は復興できたかなという感じではいるんです。本当にいい魚を仕入れているから、来てくださいって気持ちなんですよね

三陸産の鮮魚を全国に。支援に頼らず、自ら東北の魅力を発信している。

建物を造ることはゴールでなく「スタート」…戻らない離れてしまった人々

続いて若林さんが向かったのは、岩手県南部の町、陸前高田市。
町の中心部ではかさ上げ工事が進み、住宅の多くは高台に移設された。

創業95年の「おかし工房・木村屋」は、若林さんの震災直後からの取引先だ。

おかし工房・木村屋代表の木村昌之さん:
震災後1人で来て、いろいろ陸前高田のものを売ってくれた姿が、まだ目に浮かんでる

木村昌之さんは津波で自宅も店も流され、代々受け継いできたレシピも失った。その半年後、プレハブで営業を再開。町のシンボル「奇跡の一本松」をモチーフに考案されたバウムクーヘンは、店の看板商品になった。

店の売れ行きに建物の再建。様々な新しい店ができ、町の復興は進む一方で、ある問題に直面していた。

木村さん:
人が離れてしまっているっていう…。形はできていますけど、そこに魂を入れていかないと…

木村さんは「建物や施設を造ることはゴールではなく、造ってからがスタート」と話す。

新たな提案で更なる広がりを…東北名物の魅力を届けるために

名古屋・大須の「みちのく屋」の三陸産の鮮魚は、お客さんに好評。「被災地支援」ではなく、故郷である東北の魅力を広める。これが若林さんの仕事だ。

若林さん:
純粋に物がいいから、東北のものをまた食べたいね、また行きたいねっていうような関係性になったらいいのかな

「これまで通り、東北から良いものを仕入れ名古屋で販売する以外にも、東北名物の新しい提案の仕方を広げていきたい」と若林さんは未来の支援のカタチに思いを馳せる。

(東海テレビ)

東海テレビ
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