散ればこそいとど桜はめでたけれ 浮き世になにか久しかるべき

散るからこそ、一層桜は素晴らしい。憂い多きこの世で、永遠に続く事などない。

伊勢物語に登場するこの美しい和歌を口ずさみ、散りゆく桜を眺めれば、新型コロナウイルスで苦しむ今の暮らしが永遠に続く事は無いのだと、未来に希望を抱けるだろう。

古来日本人は桜について様々な思索を巡らせてきたが、コロナ渦の今だからこそ、騒がず静かに桜を愛でたいものだ。だが、そんな安らかな心をささくれ立たせる記事が、韓国から出てきた。

ワシントンDCの桜は韓国原産?

ワシントンDCで咲き誇る桜。公園には石灯籠や石塔なども設置されている
ワシントンDCで咲き誇る桜。公園には石灯籠や石塔なども設置されている
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韓国では春の風物詩のように毎年「ソメイヨシノは韓国起源」という類いの記事が出ていた。だが2018年9月、韓国山林庁の国立樹木園が、韓国の済州島に自生する桜とソメイヨシノは、遺伝的に別物であるとの研究結果を発表して以降、この種の記事はめっきり減っていた。「今年はどんな珍説が出るのか?」と期待している筆者にとってやや寂しい時期が続いたが、2021年は違った。

韓国の大手紙「中央日報」は3月29日「ワシントンで満開の桜、済州島の桜だろうか」という記事を公開したのだ。舞台はタイトル通りアメリカの首都ワシントンDCだ。日本でも非常に有名だが、ワシントンには日本から送られた数千本の桜の木があり、春の開花時期には「桜祭り」が開催されている。コロナ渦のため2021年は人出が少ないだろうが、毎年100万人もの観光客が集まるという。多くのアメリカ人が、美しい桜の花と着物の試着など日本文化を楽しみ、日米同盟の蜜月ぶりを象徴する場にもなっている。

この桜の木が、「実は韓国の済州島から持ち込まれたものだ」というのが問題の記事の結論で、根拠の1つはアメリカ農務省による遺伝子検査だ。記事によると、済州島に自生する桜とワシントンの桜が同じ塩基配列を持っているという事実が確認されたという。そこでアメリカ農務省の資料を見てみたところ、日本のソメイヨシノと韓国に自生する桜のDNAを比較した2007年の研究結果があった。

しかし「結論として、韓国の桜はソメイヨシノの交雑種とは異なると考えられる(In conclusion, it appears that the Korean taxon,P.yedoensis, can be considered different from Yoshino cherry hybrids)」と結論付けられていて、逆に「ソメイヨシノ韓国起源説」を否定するものだった。

短期間で桜を揃えられるはずが無い!

問題の記事はさらに、1910年に日本から送られた桜が害虫により全量廃棄された事を紹介し、その14カ月後に6000本以上(ワシントンに3000本、ニューヨークに3000本)の桜を改めて日本が送った事について「短期間に数千本の桜を再び集めることができたのかが問題」だとして、済州島で採取された桜がアメリカに持ち込まれた説には説得力があるとしている。

では実際にはどうだったのか?その経緯に詳しい兵庫県伊丹市元職員の荒西完治さんに聞いた。荒西さんによると、最初にアメリカに送られた桜は東京で準備されたものだったが、害虫により全滅してしまったという。そのため当時の農商務省がプロジェクトチームを結成し、短期間で大量かつ安全な桜の苗木を準備する方法が検討され、接ぎ木によって一気に桜を増やす案が採用されたのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが、伊丹市だ。伊丹市は当時から柑橘類などを生産するための接ぎ木の土台になる木(台木)の生産が盛んで、なおかつ害虫を駆除するための特殊な消毒小屋を保有していた。そこで農商務省は伊丹市の農家に台木約1万5000本を発注。国の威信をかけた失敗の許されない仕事だったが、伊丹の農家は見事にやり遂げたという。その後荒川の河川敷で採取された桜の枝が接ぎ木され、静岡県にあった農商務省の試験場で1年間養生された結果、ごく短期間で立派な苗をアメリカに送ることが出来たのだ。

荒西さんの元には、「ワシントンの桜は済州島産だ」と主張する韓国人から連絡が来ることがあるという。しかし、1912年当時に朝鮮半島から苗木が取り寄せられたとの情報や資料は全くない。「彼らは接ぎ木で桜を大量生産する技術があることも知らずに、思い込みだけで連絡してくる」と呆れて話していたのが印象的だ。

荒西さんのお話や様々な資料から、当時の日本人が総力を挙げ、全国各地の資産を活用して桜を育て上げたことは間違い無いだろう。何の根拠も無く、単なる思い込みで「短期間で大量生産など出来るはずが無い。こっそり済州島から持ち込んだに違いない」と主張するこの記事は、美しい桜をアメリカの人にも楽しんでもらおうと奮闘した、当時の日本人を侮辱している。

1930年代は日本も「ワシントンの桜は韓国産と認めていた?」

同記事には「日本は1930年代までこのような事実を認めたが、解放(1945年)以後ワシントンと済州の桜が違う種だと立場を変えた」との記述もあった。だが「1930年代まで認めていた」事の根拠は示されていない。

そこで執筆した記者に聞いてみると、「2014年に他社の記者が書いた記事から引用した」との事だった。呆れながらも元ネタの記事を読んでみると、「京都大の植物学者小泉博士は1932年済州島にある漢拏山の標高600m地点で、日本にはない王桜(※韓国でのソメイヨシノの表記)の木の自生地を発見。原産地を済州島に確定発表するに至った」との記述があった。この記述自体は事実だが、前述のようにその後のDNA検査で、済州島の桜とソメイヨシノに遺伝的繋がりは無い事が分かっている。この教授の発表は間違っていたのだ。

また1人の大学教授の主張をもって「日本は1930年代までワシントンの桜と済州島の桜は同じとの事実を認めていた」というのは、読者に「日本は卑怯」とのイメージを植え付ける意図が透けて見え、ねつ造に近い。なお「アメリカ農務省のDNA検査」の件も、元ネタからの引用ということだったが、結局根拠は不明のままだ。

ポトマック公園には桜が日米の友好の証であることを記載した案内板が設置されている
ポトマック公園には桜が日米の友好の証であることを記載した案内板が設置されている
コロナ渦を受け、今年はワシントンでもオンライン花見が呼びかけられている
コロナ渦を受け、今年はワシントンでもオンライン花見が呼びかけられている

最後に受け入れ元のアメリカの資料だが、アメリカ国立公園局のホームページにある「桜の木の歴史(HISTORY OF CHERRY TREES)」によると、1912年に当時の東京市が送った桜の種類について、ソメイヨシノ、有明、普賢象、福禄寿、御衣黄、一葉、上匂、関山、御車返し、白雪、駿河台匂、滝匂の12種類を明記している。朝鮮半島由来の桜の名前は無い。

拡散される嘘

中央日報の記者は「ソメイヨシノ韓国起源説」が破綻している事を知らずに執筆したのかもしれない。また桜をアメリカに輸出した経緯についても全く取材した形跡がない。あまりの杜撰さに言葉も無いが、こうして嘘が繰り返されることで、デマを根拠に日本への敵対心を持つ韓国人が増えていくことになる。

たかが桜と甘く見ていてはいけない。「日本海を東海と呼ぼう」との韓国の執拗なキャンペーンに対し、日本は強い対応を見せてこなかったが、その結果世界中のメディアなどで日本海と東海を併記する動きが出てきているのを忘れてはならないのだ。

冒頭で紹介した和歌は、在原業平が詠んだ、かの有名な「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の返歌である。在原業平は、「桜が無ければ人々は心穏やかに春を過ごす事が出来るのに」と詠むことで、逆説的に桜の素晴らしさを際立たせた。だがこの記事を読むと、とても心穏やかにはならない。

2022年もこんな記事が出るのだろうか?

のどけからまし。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】

渡邊康弘
渡邊康弘

FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。