北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が約10年越しで完成させた豪華海岸リゾートが、外国人観光客の受け入れ中断など異変に見舞われている。

白い砂浜を“娘”とともに歩く金総書記 2025年6月
白い砂浜を“娘”とともに歩く金総書記 2025年6月
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外貨獲得を狙った一大観光事業のはずが、「観光客は演出では」との報道で実態が露呈した。施設は豪華だが、宿泊能力2万人、1日4万人規模の稼働は困難とみられ、採算性にも疑念がある。金総書記の威信をかけた事業は早くも正念場を迎えている。

金総書記肝入りの豪華リゾート

東部江原道(カンウォンド)の元山葛麻(ウォンサンカルマ)海岸は、美しい白い砂浜が続き古くから海水浴場、保養地として知られてきた。

金総書記はここに「世界に誇る朝鮮式の独特かつ近代的な海岸観光都市」を造成するよう命じ、2014年から本格的な観光地区開発が始まった。

白い砂浜には大量のビーチチェアも
白い砂浜には大量のビーチチェアも

金総書記は最高指導者に就任して以来、外貨獲得を念頭に観光産業に力を入れてきた。

元山地区では2012年末にヨーロッパのスキーリゾートを意識した「馬息嶺スキー場」を開設している。冬はスキー、夏はビーチとばかりに、続いて着手したのが元山葛麻海岸観光地区の建設だった。

当初は2019年の完成を目指していたが、国連の制裁による資材不足や新型コロナウイルスの影響で工事が中断し、完成が大幅に遅れていた。

竣工式では久しぶりの親子3Sが 2025年6月
竣工式では久しぶりの親子3Sが 2025年6月

竣工式が開催された6月24日は、金総書記と「キム・ジュエ」とも呼ばれる娘に加え、妻の李雪主(リ・ソルジュ)氏も1年半ぶりに公式席上に姿を現し内外の注目を集めた。

「人民のために最もやり遂げたかったこと、わが党が長年力を入れてきた宿願事業が壮快な現実として完了した」

「第8回党大会の決定を完結する今年最大の成果の一つに記録される驚異的な実体を建設した」

記念式典では金総書記が涙ぐむ場面もあった 2025年6月
記念式典では金総書記が涙ぐむ場面もあった 2025年6月

金総書記は人民第一主義のもと宿願事業を成し遂げたとして、一大プロジェクトのお披露目に「大きな満足」を示した。

突然の外国人観光客受け入れ中断

北朝鮮メディアによれば、観光地区はホテルや旅館など宿泊能力だけで2万人、海水浴場や各種サービス施設の1日の収容能力は4万人に上るという。

これだけ広大な施設を作ったことからも、北朝鮮住民だけではなく世界各国から観光客を呼び込みたいという強い願望がうかがえる。

豪華施設でくつろぐ金総書記ら 2025年6月
豪華施設でくつろぐ金総書記ら 2025年6月

7月1日に北朝鮮住民向けに営業が開始されると早速、各地から多くの観光客が訪れた。

北朝鮮メディアは海水浴やウォータースライダー、モーターボートなど各種のマリンスポーツを楽しむ人々の様子を連日、大々的に報じた。

北朝鮮メディアは元山のビーチを楽しむ人々の様子を報じているが…
北朝鮮メディアは元山のビーチを楽しむ人々の様子を報じているが…

7日からは外国人観光客の受け入れも始まり、第一陣としてロシアからの団体ツアー客が到着したことも確認された。

だが、外国人観光客の受け入れの方針は直後に転換された。

巨大なウォータースライダーも
巨大なウォータースライダーも

北朝鮮当局が運営する観光情報サイト「朝鮮観光」が、葛麻観光地区について「外国人観光客は暫定的に受け入れていない」と発表したのだ。変更の理由について説明はなく、憶測が広がっている。

ロシア記者“演出”に疑念

北朝鮮はなぜ突然、外国人観光客の受け入れを中断したのか。

考えられる理由としては、想定よりも海外からの観光需要が低調だったことや、外国人観光客によって北朝鮮の現実が外部に伝わることへの懸念があるとみられる。

ロシアメディアの報道も影響しているようだ。

ロシア・ラブロフ外相と元山で会談も… 2025年7月
ロシア・ラブロフ外相と元山で会談も… 2025年7月

金総書記とロシアのラブロフ外相は7月中旬、2回目の露朝戦略対話を元山で開催した。金総書記はラブロフ外相を元山に招き、「開業後初めての外国人のお客様」としてもてなすことで、観光地区の魅力をアピールする狙いがあったと見られる。

しかし、ラブロフ外相に同行したロシアの記者の報道は、北朝鮮側の意図とは異なるものとなった。

竣工式当日には外国人とみられる人の姿も
竣工式当日には外国人とみられる人の姿も

ロシアの経済紙「コメルサント」の記者は、到着当時のビーチには「労働新聞で見たような人波は一切なかった」として、報道内容に疑問を呈した。

また、宿泊したホテルのビリヤード場では、スーツ姿の男女が朝から晩までビリヤードをしていたと指摘。このほかにも海沿いの道を自転車で走ったり、バーのベランダに座りビールグラスを傾ける人の姿も見られた。彼らはロシア語を理解し、話すことさえできたという。記者は、彼らが朝鮮労働党の関係者で、「“観光客役”として配置された演出要員だったのではないか」と推測している。

北朝鮮では自由な国内移動が厳しく制限されている。

人工サーフィン施設も設置されていた
人工サーフィン施設も設置されていた

観光のためにいつ、どこでも好きな場所にいけるのは党幹部や「トンジュ」と呼ばれる新興富裕層などに限られる。

筆者はかつて、馬息嶺スキー場や金剛山など北朝鮮の観光地区を取材した。その際も、リゾート施設を訪れる“観光客”は、党や国家から功績を評価された人物や、職場単位の「選ばれた住民」がほとんどのように見えた。

北朝鮮の金剛山で取材する筆者 2013年撮影
北朝鮮の金剛山で取材する筆者 2013年撮影

ロシア記者の報道により、観光地区のにぎわいが住民動員による「演出」だったことが露呈し、北朝鮮側は外国人観光客対策の戦略練り直しを迫られた形だ。

豪華施設でも中身はスカスカ?

実は、北朝鮮メディアの報道の中にも、ビーチのにぎわいに“演出”が透けて見える写真がある。

この写真では多くの観光客が水遊びに興じている姿が映し出されているが、背景をよく見るとビーチのかなりの部分は空いていることが分かる。

北朝鮮メディアが報じた写真
北朝鮮メディアが報じた写真

真夏のビーチといえば、最盛期には足の踏み場もないほどの人波が押し寄せてもおかしくない。元山のビーチにいる観光客は、そこまで多いとは言えない。

そもそも、1日の収容能力4万人規模の観光地区を満たすには、北朝鮮の住民だけでは無理がある。

海外からの観光客を呼び込むことが目標となるが、果たしてどれだけ集めることができるだろうか?

広大な施設に外国人観光客は来るのか…
広大な施設に外国人観光客は来るのか…

北朝鮮はロシアとの間の鉄道、航空路線を相次いで再開させている。

ハバロフスク―平壌に続いて、6月下旬にはモスクワ―平壌間の直通列車が5年ぶりに運航を再開、今後は月2回の運航を見込んでいる。航空便もウラジオストク―平壌に続き、7月末にはモスクワ―平壌間の航空便が月一回の就航を予定している。

ロシアと北朝鮮は、元山とウラジオストクやハバロフスクを結ぶ直行便の運航についても協議しているという。

とはいえ、ウラジオストク―平壌間の航空便の乗客は1日最大170人といい、ロシア―北朝鮮間の交通手段が拡充されても、ロシアの観光客で元山葛麻観光地区を満たすには無理がありそうだ。

元山のビーチが人で埋まる日は来るのか
元山のビーチが人で埋まる日は来るのか

では、ロシア以外の国から元山葛麻観光区を訪れる可能性はあるのか?

コロナ禍以前は中国からの観光客が最も多かったが、北朝鮮はこれまで中国の団体観光客を受け入れていない。

せっかくの超豪華リゾート施設だが、このままでは到底、採算が取れるとは思えない。

金総書記の威信を高めるために膨大な資金と資源を投入して建設された元山葛麻観光地区が、絵に描いた餅に終わらないことを祈るばかりだ。

(執筆:フジテレビ客員解説委員 鴨下ひろみ)

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。