なでしこJAPANとして出場した、2011年FIFA女子ワールドカップの優勝メンバーの鮫島彩選手。

左サイドバックとして全試合にスタメン出場し、東日本大震災によって落ち込んだ日本に感動を届けた。

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震災当時、東京電力女子サッカー部マリーゼに所属し、福島第一原発で職員としても働いていた鮫島選手にインタビューしたのは、元日本代表で同じサイドバックの内田篤人さん。

「現役の時は質問に答えるだけだったけど、聞き出さなきゃいけないのは緊張する…」と笑いながら、自身初のインタビュアーとして、同世代の鮫島選手と“あの時”を振り返った。

2人が感じた“スポーツがつなぐ未来”とは。
 

「羨ましかったな。格好良かったもん」

2011年7月17日。日本で史上初の女子ワールドカップ優勝という快挙を成し遂げた、なでしこJAPAN。彼女たちは、震災で落ち込む日本に差した希望の光だった。

準々決勝では開催国ドイツを延長戦の末破ると、決勝では過去一度も勝ったことのない世界ランキング1位のアメリカと対戦。強大な相手に立ち向かい優勝した彼女たちの姿は、多くの国民を勇気づけた。

当時、ドイツで彼女たちの戦いを見ていたという内田さん。

「本当に申し訳ないけど、勝つとは思ってなかった」と明かすと、鮫島選手も「多くの人がそう思っていた」と笑う。

ワールドカップ優勝という快挙を成し遂げた彼女たちの姿に、内田さんは「世界一って凄いよね。羨ましかったな。格好良かったもん。勝っていく姿が」と振り返った。

そんな中、鮫島選手は特別な思いでこのW杯を迎えていたという。

今、自分にできることがサッカーだった

高校を卒業後、2006年から2011年まで東京電力女子サッカー部マリーゼに所属し、福島第一原発で職員としても働いていた鮫島選手。

仕事が終わるとサッカー場に通い、充実した日々を送っていた。

しかし、2011年3月11日。

あの日を境に、普段使っていた練習場は原発事故対応拠点となり、駐車場に。マリーゼのホームグラウンドであるJヴィレッジのピッチには、仮設住宅が建てられた。

「家には帰れなかった?」と内田さんが聞くと、鮫島選手は「一度も戻っていない」と明かす。

「今も?」と内田さんが尋ねると、鮫島選手は頷き、「高校卒業して社会人になって初めてのチームだったから、その分、思い入れが強くて」と話した。

福島第一原発の事故の影響もあり、チームは活動休止に。

一緒に働き、そしてピッチで戦っていた仲間も行き場を失う中、代表で合宿中だった鮫島選手は、周囲の尽力により2011年6月アメリカ女子リーグに移籍。スーツケース一つで飛び立ったという。

「サッカーを続けていいのかという葛藤よりは、ワールドカップに向けて本当に色々な人が『鮫島をどうにかサッカーをできるところに連れて行こう』と動いてくれた。私が今できることがサッカーで、それをやらなきゃいけない。けど、気持ちの整理がつかなかった」

こう当時を振り返った鮫島選手。

24歳だった彼女は、ただ目の前のボールを全力で追いかけるということが、今の自分にできることだと考え、W杯へと向かった。

試合前に被災地の映像を見たという鮫島選手は「ワールドカップ期間中は、日本の現状や、日本の皆さんが頑張っている姿を見て、大事な試合に臨んだので、自然と湧いてくるものがあった」と振り返る。

その言葉を聞いた内田さんも「日の丸を背負うってそういうことだからね」と力強く頷いた。

悩んだ末の内田篤人のメッセージ

2011年3月12日。

当時海外でプレーしていた内田さんは、震災翌日も変わらずピッチに立ち続けていた。

その日は「負けられない、今日は勝たなくてはいけない」と感じていたと振り返る。

試合に勝ったら、日本へメッセージを送ること心に決め勝利した内田選手は、試合後、キャプテンのGK・ノイヤーに背中を押され、日本にメッセージを届けた。

「少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう!」

鮫島選手は、世界中で話題になったこのシーンについて、内田さんがどんな気持ちだったのか、思いを聞いてみたかったという。

「あの時は、日本の状況がはっきり分かっていなかったので、メッセージを出すこと自体が、良いことなのか悪いことなのか自分の中で考えた。でも今まで応援してもらって、助けてもらったのに、ここで行動に移さないのは違うな、と思って。

これを見せることでドイツの人が助けてくれるかもしれない。見てくれている人が何かを感じて『ちょっと今大変だけど、もう少し頑張ってみよう』と思ってくれるかもしれない、というのはありました。

やっぱり難しかった。これをしたとしても、被災地の方と同じ気持ちにはなれないよね。理解できるとは思ってなくて、それは今もそうだけど。鮫ちゃんはどう感じました?」

こう問われた鮫島選手は「色々な考えというか、思いがぐるぐる巡っている感じ。本当に一言では、今も表現できないし…」と複雑な胸の内を明かし、涙をこぼした。

内田さんは「鮫ちゃんを応援している人は、被災地の方を含め絶対いる。こういうことを考えながらサッカーを続けているということが、そういう思いを抱えて戦うことがどれだけ辛いか…」と今も震災を背負い続けている鮫島選手の思いを受け止める。

「自分たちがサッカーできないことなんて、なんて言ったらサッカーに失礼ですけど。みんなが生きるかどうかという境目にいる中で、サッカーは本当に取るに足らないことだった。でも、続けさせてもらった以上は、自分のやれることをとにかく、必死でやる。そこに尽きます」

姿を取り戻しつつあるJヴィレッジ

正解なんて誰にも分からない。そんな中でも、選手たちはサッカーをすることで、誰かに何かが届くと信じて、この10年間をつないできた。

練習場は駐車場に © J-VILLAGE
駐車場からグラウンドに © J-VILLAGE

鮫島選手がプレーしていた福島のJヴィレッジは、かつての姿を取り戻しつつある。

かつて駐車場だった場所にはピッチの緑が戻り、仮設住宅が建てられていたスタジアムには、再びファンの声援が戻ってきた。

スタジアムは仮設住宅に © J-VILLAGE
スタジアムにはファンの声援も聞こえるように © J-VILLAGE

そして、女子サッカーは今年9月、日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」の開幕が予定されている。

現在大宮アルディージャVENTUSに所属する鮫島選手も、新たな道を歩み始めた。

最後に、内田さんが「スポーツがつなぐ未来」について鮫島選手に聞いた。

「ピッチ上では自分たちは勝つことに必死で、自分たちよりも速くて大きい選手に立ち向かっていく姿を見て、感情が動いて、日々のエネルギーにつながっていく。スポーツにはそんな力があるんじゃないかな」

内田さんも「スポーツをするアスリートは、そういう責任も全部背負っている。使命かもしれないですね」と共感した。

スポーツがつなぐ未来は、きっと誰かの心を動かしている。