「『言わなきゃよかったな』と思うときもありますし、あの言葉で自分自身を苦しめている部分もあったので、今も苦しいと言えば、苦しいです」

絞り出すようにゆっくりと語るのは、現在、東京ヤクルトスワローズの嶋基宏選手。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災から約3週間後に実施された、慈善試合でのスピーチは野球人だけでなく、傷ついた多くの人々を勇気づけた。

このスピーチは、どのような思いで生まれたのか。今でも葛藤するという嶋選手だが、その言葉に救われた人たちがいることも確かだった。

今も復興支援活動を続ける嶋選手が、スピーチの舞台裏を振り返りながら、“スポーツがつなぐ未来”に迫った。

今は野球どころではない

東北楽天ゴールデンイーグルスに所属していた嶋選手は、2010年にレギュラーをつかみ、打率3割を記録。ゴールデングラブ賞やベストナインを獲得した。

当時26歳の嶋選手は、チームの選手会長に就任し、若くしてその重責を担うこととなった。

「年上の選手がほとんどで、何をしていいのか分からない状況で選手会長になったんですけど…」と振り返る。

そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が起こる。

楽天がオープン戦を行っていた兵庫県でも緊急アナウンスが流れた。選手の家族や関係者の安否確認のため、試合はコールドゲームとなった。

「『地震があったから、今日は試合中止で帰るぞ』と、それだけだったので。ホテルに着いてテレビを付けたら震災の映像が流れていて、そこでやっと事の重大さが分かりました」

嶋選手の中に「今は野球どころではない」、そんな思いが脳裏をよぎったという。

僕が謝った方がいい

開幕延期は決まったものの、練習をするため、本拠地である宮城県には帰らず、全国を転々とする日々を送った。

星野仙一監督(当時)も「申し訳ない、野球をさせていただいてという気持ちでいっぱいです」とコメントしている。

当時の嶋選手も「100%、野球に集中できるかといったらそうでもない」と複雑な心境を明かしていた。

何よりも、宮城県に帰れていないという後ろめたさでいっぱいだった。

ホテルで嶋選手はチームメイトに「被災地に帰ったら最初に僕が謝った方がいいと思うんです。『帰って来れなくて申し訳なかった』と」と話している。

当時の嶋選手の葛藤を知る楽天・鉄平一軍打撃コーチは「矢面に立って、かなり重圧を背負って戦ってくれていました」と振り返った。

プロ野球選手としての思いをスピーチに

震災から約3週間後、4月2日に札幌ドームで行われた復興支援試合。

ここで行った嶋選手のスピーチは、人生の分岐点となった。

「あの大災害は本当だったのか、今でも信じられません。
選手たちみんなで『自分たちに何ができるか?』を話し合い、考え抜いてきました。今、スポーツの域を超えて“野球の真価”が問われていると思います。

見せましょう、野球の底力を。
見せましょう、野球選手の底力を。
見せましょう、野球ファンの底力を。
共に頑張ろう東北!支え合おうニッポン」

プロ野球選手としての思いを言葉にした嶋選手のスピーチは、大きな反響を呼び、この年を代表する言葉となった。

そして、4月7日。球団は、震災後に初めて被災地を訪れた。津波ですべてが流された道を通り、言葉が出ない。
目を覆いたくなるような状況でも、被災地の人たちは笑顔で迎えてくれた。

嶋選手は被災者たちを前に、「地震が起きてから1ヵ月間、僕たち楽天イーグルスは、なかなかこちらの方に足を運べなくて、みんな申し訳ない気持ちでいっぱいです。この場を借りてお詫びします。すみませんでした。ぜひ、球場に足を運んで、僕たちから勇気、元気をもらってください」と、謝罪の言葉を口にしながらも、野球でエールを送りたいとした。

「野球の底力で勇気を」

しかし、そう思えば思うほど、成績は低迷していった。嶋選手の打率も2010年は3割台だったが、2011年は2割台へと下がり、チームは5位に。

それでも期待値も注目度も集まっていた。

嶋選手は「あの言葉を発したことで、いつも以上にいいところを見せないといけない」と考えてしまったと明かす。

鉄平一軍打撃コーチは「先頭に立っていろんなことを発信していく立場になり、答えの出ない問いをずっと毎日考え続けているような、そういう状態だった」と話す。

2012年、嶋選手は史上最年少の27歳でプロ野球選手会の会長に就任。そのプレッシャーは増すばかりだった。

「『言わなきゃよかったな』と思うときもありますし、あの言葉で自分自身を苦しめている部分もあったので、今も苦しいと言えば、苦しいです」

センバツで再び“底力”の言葉が響く

嶋選手のスピーチから1年後、2012年3月21日のセンバツ高校野球の選手宣誓で「見せましょう、日本の底力、絆を」と、再び“底力”という言葉が日本中に響いた。

選手宣誓をしたのは、宮城・石巻工業高校の主将、阿部翔人さん。

現在、26歳の彼は震災当時のことを、こう振り返った。

「当時は練習中でした。グラウンドもヘドロでいっぱいで。早く日常を取り戻したいという一心だったと思います」

この震災で多くの犠牲者が出た石巻市。部員こそ全員無事だったが、半数以上の部員の自宅は大きな被害を受けた。

「野球をやれる環境ではなかったので、半分やれないだろうという気持ちと、どうしていいか分からないという気持ちと。やっぱりどこかで『野球をやってもいいのかな』、という気持ちもあったと思う」

当時の嶋選手のように、阿部さんも野球を続けることに複雑な気持ちを抱いていた。

しかし、嶋選手のスピーチを聞いたことで、思いは変わっていったという。

「目の前が真っ暗というか、日常を奪われた中で、嶋選手の言葉を聞いて、当時の僕たちにすごく勇気を与えてくれましたし希望が見えた。やっぱり野球っていいものだな、とすごく感じたので感謝しています」

阿部さんのインタビューを嶋選手に聞いてもらうと、「自分はプレッシャーとか感じていましたが、あの言葉に勇気づけられたとか、印象に残ったと言ってもらえるのは、非常にうれしいです」と笑顔を見せた。

嶋選手の言葉に勇気づけられた石巻工業高校は、初の甲子園出場を果たし、まるで運命に導かれるように、センバツ出場32校の中から選手宣誓を引き当てた。

「嶋選手が言った言葉がすごく僕の中で響いたものがあった」という阿部さんは、選手宣誓で嶋選手がスピーチで繰り返した「底力」という言葉を取り入れた。

「宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。
人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に、必ず、大きな幸せが待っていると信じています。

だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。
見せましょう、日本の底力、絆を」

スポーツがつなぐ未来とは

そして2013年。楽天は球団創設初の日本一に輝く。

被災地に届けることができた野球の底力。

嶋選手は「被災地のテレビの前で応援してくださるファンの方々をテレビで見たときに、本当に優勝して良かったなと改めて思いました」と当時を振り返った。

嶋選手の言葉からつながった「絆」は未来にもつながっていく。

震災10年目となる今年、楽天には田中将大選手が復帰。

さらに、今年のセンバツでは仙台育英高校が選手宣誓を行うことに。

今、石巻高校の野球部でコーチを務める阿部さんも“野球の底力”を子どもたちへと伝えている。

スポーツがつなぐ未来について嶋選手はこう語った。

「スポーツはやっている人が思っている以上に、周りの人に感動を与えたり、生きていく勇気を与えたりする。やっている人たちは、なかなか分からないと思いますが、スポーツにはそうした力があると思うので、その力を信じて、また来年、再来年、それこそ未来につながっていけばいいかなと思います」