原発事故から10年経っても、福島県で唯一、住むことができない町、双葉町。2022年春の居住開始に向け、新しい町が作られようとしている。
「復興」した町に何が残るのか?町民が帰れる場所として故郷の音を残し続ける男性がいる。
復興進む町…故郷の“音”を残し続ける男性
ーー町って何だと思いますか?
横山久勝さん:
私のイメージでは、人のつながりだと思いますね。それができて初めて町になると思いますね
横山久勝さん、66歳。
故郷の福島・双葉町では、2022年春の居住開始に向け、新しい町が作られようとしている。
横山久勝さん:
双葉が復興する過程だと思えばいいんでしょうけど、昔の思い出がなくなるっていうのも寂しいですね
「復興」した町に何が残るのか?横山さんは、町民が帰れる場所として故郷の音を残し続けている。
原発事故後、福島・本宮市に避難した横山さん。
平成4年に結成した「標葉せんだん太鼓保存会」のメンバーの1人。


横山さんが奏でる太鼓の音は、町民に愛されてきた「双葉の音」でもある。
表現されているのは、双葉の波の音…。町民にとって今も心に残る“故郷”そのものだ。
横山さんたちは毎年、初日の出の瞬間に海岸で「せんだん太鼓」を披露していた。

数百人の町民が集うほど、双葉の年の初めは太鼓の音が欠かせなかった。
原発事故後、初めて双葉町内での演奏を果たしたのは2020年。
JR常磐線が全線再開したその日、線路にせんだん太鼓の音が響いた。
横山久勝さん:
欲を言えば、ぜひ双葉の海で、太鼓をいっぱい並べて演奏してみたいと思っています

“原発事故”“住めない町”双葉町が背負うもの
しかし、その海は…
福島テレビ・豊嶋啓亮アナウンサー:
福島市から双葉町に来るまでには、フレコンバックほとんど見なかったんですけれども、ほとんど全てがこの中間貯蔵施設に集まっているわけですよね。何かこう、双葉町が背負っているといった印象の方が強いですね

双葉の海は今、中間貯蔵施設の敷地内にあたるため、立ち入ることができない。
横山久勝さん:
やっぱり私、何があっても海だったもんですから。本当ですと、海の近くまで行って、波打ち際まで行って、海とお話したいんですけどね

原発事故から10年経っても、福島県で唯一、住むことができない双葉町。
被災した横山さんの自宅は、3年前に解体…帰る場所はない。
福島テレビ・豊嶋啓亮アナウンサー:
とっても双葉のことを思ってらっしゃるじゃないですか。なぜそこまで思っているのに、この場所に住まないんですか?
横山久勝さん:
あまりにも長すぎたっていうことですね。向こう(本宮市)で新しい生活を始めるしか方法はなかったんですよね
バラバラになっても…故郷と心をつなぐ音
この日は、原発事故後2度目となる双葉町での演奏。
双葉町民の6割以上が町に戻らないと決めている中、「心の拠り所は残したい」という思いは、町民同士を引き合わせている。

双葉町民:
震災後バラバラになっていても、みんなの「一致団結」、それをずっと維持してくれたっていうことに感謝ですし。久しぶりに聞いて感動でしたね

横山久勝さん:
なんだかんだ言いながら、双葉の音になってたんだな。双葉の色になってたのかなって思うんですよね。双葉町ってどういう町だっていう、顔かたちの一部分になると思うんですね
双葉が双葉であるために、太鼓が顔の一部になる。
標葉せんだん太鼓が、町民を心の故郷へとつないでいる。
(福島テレビ)