東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市。被災した米沢商会ビルを個人で保存しながら、15年以上にわたり語り部活動を続けてきた米沢祐一さんがいる。その姿を幼い頃から見てきた娘の多恵さん(15)は今、父の体験を未来へ伝えるため、自らも語り部として歩み始めた。震災を知らない世代が受け継ぐ「命を守る教訓」とは何か。その挑戦を追った。
被災ビルに立つ高校生の語り部
陸前高田市の更地が広がる一角に、東日本大震災の津波被害を受けた米沢商会ビルが残されている。
2026年8月、このビルで語り部の練習に励む高校生の姿があった。米沢多恵さん(15)だ。
近く東京から大学生が訪れる予定で、多恵さんは父であり語り部の先輩でもある祐一さんから助言を受けていた。
「別に俺も台本があって話しているわけじゃない。思い出したことを言えばいいと思うよ」と、父の祐一さんは緊張する娘を気遣うように優しく声をかけた。
多恵さんが語り部を始めてから半年余り。震災を経験していない自分に何が伝えられるのか。毎回試行錯誤を重ねながら活動を続けてきた。だからこそ、一度一度の案内は真剣勝負だ。
「津波は怖いものだし、油断してはいけないということ、防災への意識を高めてほしいということを伝えたい」――その思いを胸に、多恵さんは来訪者を迎えている。
父が守り続けた遺構
東日本大震災で陸前高田市では岩手県内で最多となる1807人が犠牲になった。(2026年7月末時点)
海岸から1キロ以上離れた米沢商会ビルにも津波は到達した。当時建物内にいた祐一さんは、屋上の煙突に避難しながら迫る津波の様子を撮影していた。
祐一さんは「この建物に自分は助けられた」と当時を振り返る。
震災後、包装資材を扱う会社はかさ上げされた土地へ移転した。
それでも祐一さんは、被災したビルを保存する決断を下した。維持管理にかかる費用も個人で負担しながら、震災の教訓を伝える場として守り続けている。
語り部活動を始めたのは震災から半年後。これまで1万人以上に自身の体験を語ってきた。
「忘れてほしくない。津波は怖いんだと、とにかく教えたい(2018年2月)」祐一さんのその思いは長年変わっていない。
父の背中を見て育つ
祐一さんの活動を幼い頃から見てきたのが、多恵さんだった。震災発生のわずか1カ月前に生まれたため、震災当時の記憶はない。
しかし、父から繰り返し聞いた体験談は心に深く刻まれた。
当時7歳だった多恵さんは、父の語り部活動に付き添いながら津波の恐ろしさを学んだ。「津波は怖いんだなと思った。津波が来たら山など高い場所に逃げればいいんだなと思った」と話していた。
その後、防災への関心を深め、小学3年生の時には陸前高田市から「キッズ防災マイスター」に認定されるなど、幼い頃から防災について積極的に学んできた。
高校生になった今、語り部として活動する理由について多恵さんはこう話す。
「父が年齢とかで話せなくなる日がいつか絶対来ると思う。(父の体験を)誰も知らなくなっちゃうのが悲しい。私が伝えていけば、震災を知らない人たちにも伝えられると思った」
初めて任された核心部
この日、多恵さんには特別な役割が与えられていた。
これまで父と二人三脚で案内してきたが、初めて父・祐一さんの震災当日の体験という核心部分を自ら語ることになったのだ。
多恵さん:
初めて話す部分もあるので、少し不安だけど頑張りたい。
父も「期待もあるし不安もある。多恵なりの言葉で話してほしい」と、複雑な心境をのぞかせる。
訪れたのは早稲田大学の学生6人。
緊張した表情を見せながらも、多恵さんは参加者にこう呼びかけた。
「昔の話としてではなく、自分だったらどうしていたか、自分事として聞いてほしい」
そして震災直後の状況を伝えていく。
多恵さん:
震災が起きた時はこの高さぐらいまで全部がれきと砂と泥で埋まっていて、ボランティアの方々と1カ月かけてここまできれいにしました。
命を守る教訓を伝える
特に力を込めて語ったのは、父が地震直後にすぐ避難しなかったことだった。
祐一さんは地震発生後、「お客さんは大丈夫か」「店を片付けなければ」と目の前のことに気を取られていた。
多恵さん:
「気仙川を津波が超えました、市民の皆さんは至急避難してください」と防災無線は言っていた。そこで初めて父の頭の中に“津波”っていうワードが出てきて「え?津波来てるの?」みたいな感じになった。
多恵さんは地震の後、すぐ避難することの重要性を訴えた。参加した学生たちは熱心にメモを取りながら耳を傾けていた。
早稲田大学2年生の学生は、「映像だけなのではなく、本人からの話を聞けたのはとても貴重な体験となった」と語る。
また、4年生の学生は、「その土地に生まれた若い人が語り継いでいくことは、人々の心に深く刺さるものではないか」と話した。
震災を知らない世代が受け継ぐ言葉だからこそ、学生たちの心にも強く残ったようだった。
未来の命を守るために
案内を終えた多恵さんは、安堵の表情を浮かべ、「私の拙い説明でもメモを取ってくれてうれしかった」と振り返った。
その様子を見守っていた祐一さんも、「自分が当時感じていたことを、まさにその通りに話してくれた」と娘の成長を実感していた。
多恵さんにはまだ先に目指す姿がある。
多恵さん:
高校2年生になる頃には全部話せるようになっていたい。もっと分かりやすく伝えられるようになりたい。
震災の記憶を風化させないために。そして未来の命を守るためにーー。
父から娘へ受け継がれた語り部の思いは世代を超えて語り継がれていく。
15歳の挑戦は続く。

