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能登半島地震 石川県能登町で最も倒壊が多かった鵜川地区が熱狂 「にわか」が夜の町を駆け抜ける“にわか祭”|FNNプライムオンライン
能登半島地震 被災地の今

能登半島地震 石川県能登町で最も倒壊が多かった鵜川地区が熱狂 「にわか」が夜の町を駆け抜ける“にわか祭”

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8月22日(土)石川県能登町鵜川で「にわか祭」が行われた。鵜川は2024年元日発災の能登半島地震で甚大な被害に遭った。あまり知られていないが、能登町で最も建物の損壊が激しかったのが鵜川なのだ。この鵜川に伝わる伝統の「にわか祭」は9町会がそれぞれの趣向を凝らした山車・にわかを作り上げるのだが、震災による人口流出で地元民だけではにわかが作れない町会もある。そんな中、里帰りした人達に加えてボランティアや大学生などが参加してサポートしたことで、全9町会が今回も祭りに参加することができた。「正月ではなく、にわか祭から1年が始まる」という能登人の心意気を伝える。

石川県能登町鵜川の震災被害は大きかった

石川県能登町鵜川
石川県能登町鵜川
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能登町最南端で、穴水町に隣接して海沿いにある町が、こぢんまりとした鵜川。“天然のいけす”と呼ばれ、魚の宝庫である富山湾に面し定置網漁などの水揚げが鵜川の経済を支えてきた。

震災前の鵜川中心部
震災前の鵜川中心部

漁業を中心に栄えてきた鵜川は、比較的小さな集落でありながらも造り酒屋や鮮魚店、理髪店などが立ち並ぶ風情ある商店街があった。しかし…

全壊した建物が多く空き地だらけに
全壊した建物が多く空き地だらけに

2024年元日発災の能登半島地震の影響は大きく、あまり知られていないが、家屋や店舗の倒壊数は能登町で最も多かったのが、実は鵜川なのだ。特に中心部の商店街は古い建物が多く、それが軒並み倒壊し、今や空き地だらけに。震災後の人の流出も多く、“スカスカ”になってしまった。

人々の心と絆を繋ぎ止める鵜川の「にわか祭」

鵜川漁港前で神出組が にわか組み立て
鵜川漁港前で神出組が にわか組み立て

「にわか祭」本番前日の8月21日(金)、鵜川の9町会に色んな人達が集まってきた。能登に数あるキリコ祭りの中でも鵜川にわか祭は特殊で、にわかを彩る武者絵などは毎年作り直す。

にわかは毎年作り変える
にわかは毎年作り変える

竹で編んだ2段の枠組みに、1000枚以上の半紙を貼り合わせ、細いタコ糸をメインの図柄を貼るベースとして縦横に張り巡らせる。こんな作業を毎年行っていることに驚かされる。

(一社)マツリズム・大原学代表
(一社)マツリズム・大原学代表

神出組のにわかを作る片隅に、羨ましそうに見つめる車椅子に乗った男性が。能登など全国の祭りをサポートする一般社団法人マツリズム代表の大原学さんだ。個人参加した8月1日(土)の七尾・石崎奉燈祭で、巨大キリコに右足が接触して骨折してしまったという。これまでに全国で190回ほどの祭りに参加してきたのだが、ケガをしたのは初めだという。

首都圏や東北から参加したマツリズムのメンバー
首都圏や東北から参加したマツリズムのメンバー

マツリズムは震災後、特に能登地区のキリコ祭りを支援。祭りのサポートに首都圏をはじめ全国から積極的に関わる人材を送り込んでいる。今回も子どもを含めて15人が神出組のサポートに参加した。にわかの組み立て方や段取りを責任者がメンバーに伝えた。

神出組の「にわか」が完成!

神出組・にわかが完成
神出組・にわかが完成
武者が龍を退治している
武者が龍を退治している

午後8時過ぎ。約3時間がかりで最も見栄えする「武者絵」が神出組の「にわか」に装着された。勇壮な武者が龍を退治する豪快な武者絵だ。これが8月22日(土)の本番当日、鵜川の町を駆け巡る。

8月22日の本番前に能登伝統の“ヨバレ”

にわか祭り本番は快晴に
にわか祭り本番は快晴に

さて8月22日(土)、能登町鵜川「にわか祭」の本番を迎えた。夜半に雨が降ったようだが9町会すべてが、にわかをビニールシートでカバーしていて無事だった。

神出組の“ヨバレ”
神出組の“ヨバレ”

にわか祭りが始まるのは午後9時前。祭り本番を控えた午後6時、神出組の倒壊家屋の跡地に張ったテントで始まったのは、“ヨバレ”。祭りの日に集まった人々を料理や酒でもてなすのが、能登伝統のヨバレだ。前日から祭りをサポートするマツリズムのメンバーも招かれた。

法被を着ているのが主にマツリズム
法被を着ているのが主にマツリズム
地元の人から祭りの意義や伝承などを聞く
地元の人から祭りの意義や伝承などを聞く

にわか祭は大きな山車を相当なスピードで走らせるので、かなり危険だ。それを責任者達がマツリズムのメンバーに伝える。にわか祭の伝統や山車の動かし方、そんな伝統を次世代に継承していく大切さなども、マツリズムは教わっていた。

そして、にわか祭本番!

「見卸しの浜」と呼ばれる広場に集結
「見卸しの浜」と呼ばれる広場に集結

日が暮れたころ、9町会の山車にわかは、「見卸しの浜」と呼ばれる海沿いの広場に集結していた。ここが出発点となる。

各町会の心意気が込められた武者絵に心を奪われる。
鵜川の震災被害は大きく、住宅の全壊や人口流出によって住民たちだけでは「にわか」を組み立てられない町会もあった。そのため東海大学観光学部からは学生51人がサポートに訪れ、7町会に分かれて「にわか」の組み立てを手伝ったそうだ。

にわか9基の背景に花火が
にわか9基の背景に花火が

午後8時45分ごろ、集まった9町会のにわかの背景に華々しく花火が打ち上げられた。これが鵜川にわか祭のスタートの合図だ。

にわか祭は文化庁・日本遺産に認定されている

鵜川漁港前「海瀬神社」
鵜川漁港前「海瀬神社」

鵜川の町を乱舞する山車・にわかの終着点は、鵜川漁港の前にある小さな海瀬神社。港と神社の間には広場があり、そこに9基のにわかが集結し、神事が執り行われて奉納される。にわか祭は「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」しとて文化庁・日本遺産に認定されている。

にわか祭は文化庁・日本遺産に認定されている
にわか祭は文化庁・日本遺産に認定されている

その歴史は深く、不漁や海難事故が続いたため海瀬神社に豊漁と海上安全を祈願し、勇壮な武者絵を描いた奉燈を奉納したことが始まりと伝えられる。「にわか」の名は、加賀藩13代藩主・前田斉泰公の能登来訪に際し、地元住民が袖キリコを“にわか作り”で組み立てて披露したことが由来といわれる。

かなりのスピードで街を駆ける
かなりのスピードで街を駆ける
にわか9基がそろうと壮観
にわか9基がそろうと壮観

花火が終わると、午後9時頃から9町会のにわかが、次々に夜の鵜川に勢いよく繰り出してゆく。
「ヤッサイ! ヤッサイ!」の掛け声も勇ましく、担ぎ手たちが相当なスピードでにわかを操り、震災の町を駆け巡る。

写真家・吉岡栄一さんと出会った

写真家・吉岡栄一さん
写真家・吉岡栄一さん

熱狂の鵜川にわか祭で、ある人を見つけた。能登を中心とした祭りの映像を撮り続けている写真家・吉岡栄一さんだ。

金沢のみなし仮設住宅で
金沢のみなし仮設住宅で

吉岡さんは輪島市に自宅兼事務所を構えていたが、能登半島地震で被災。地震後は金沢市内のみなし仮設住宅で仕事と祭り撮影の活動を続けている。

能登人の心意気を写真に刻む
能登人の心意気を写真に刻む

能登各地の祭りを撮影し記録すること。それは映像の向こうに能登人達の暮らしと心意気を刻み込むことなのだ。

にわか祭りはクライマックスへ

にわか9基が海瀬神社前に集結
にわか9基が海瀬神社前に集結
子ども達もにわかに乗って
子ども達もにわかに乗って

3時間余りにわたって、にわか9基が今夏も鵜川の町を走り回った。そして鵜川大橋を渡り、いよいよ海瀬神社へ!午後11時40頃にわか9基が神社前の広場に集結。神事が執り行われ、にわかが奉納された。
しかしこれで祭りは終わらない。鵜川の能登人達の魂が炸裂し、にわか9基は神社前の広場で未明まで乱舞したのだった。

(石川テレビ)

石川テレビ
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