2024年元日の能登半島地震で大きな被害を受けた輪島市門前町黒島地区。日本海に面した黒島地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、海を背景に黒瓦が重なり合う美しい町並みが一望できたのだが、あの震災で町全体が壊滅的な被害を受けてしまった。
その黒島地区で8月17日と18日に海の安全や五穀豊穣を祈願する「黒島天領祭」の模様を伝える。さらに黒島地区から約1km北の鹿磯あたりは、震災で約4mも海底地盤が隆起したエリアで、その生々しい姿も紹介する。
江戸幕府の天領であり北前船で栄華を極めた門前町黒島伝統の祭礼
輪島市門前町の黒島地区で、海上の安全や五穀豊穣を願う「黒島天領祭」が8月17日に行われた。
「黒島天領祭」は黒島地区が、幕府の直轄地だった江戸時代から伝わる伝統の祭りだ。
黒島地区は能登半島地震で、大きな被害を受け、祭りの中心である神輿も大破した。しかし兵庫県の宮大工がバラバラになった部品を組み直し、2025年から再び神輿が担がれることになった。
今年は、関西の大学生など約100人のボランティアが応援に駆けつけ、大阪城と名古屋城をかたどった高さ約8メートルの2基の曳山が、神輿と共に町を練り歩いた。
参加した大学生は「こういう海と山に囲まれた祭りっていうのは、参加したことがなかったので、すごく珍しくて貴重な体験をさせて貰っているなって思います」と満足気に語った。

祭りは8月18日まで行われた。
震災前の門前町黒島地区
江戸時代幕府の天領だった門前町黒島地区は、日本海と黒瓦の重なる伝統的な船主集落の街並みが美しく、2009年6月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
旧角海家住宅は門前町黒島を代表する廻船問屋で、地区にあって一際目立つ大きな屋敷だった。しかし2007年3月の最大震度6強の能登半島地震で、建物の柱が折れたり壁が剥がれるなど半壊する被害を受けたが、後に修復が行われて2011年7月に復元。2016年には国指定重要文化財となった。
2024年の震災で旧角海家は全壊した
旧角海家は北前船で栄えた門前町黒島を象徴する船主屋敷だったが、2024年元日の最大深度7の能登半島地震で母屋や土蔵5棟が全壊。あの重厚で優雅な屋敷の面影は残っていない。
倒壊した建物に取り残された輪島市指定文化財の伝統工芸品など歴史的資料を救出する取り組みがなされたが、建物自体の復元はほぼ不可能と見られる。
地震による門前町の海底地盤隆起は能登半島最大
最大震度7の能登半島地震で激しい揺れに襲われた輪島市門前町黒島地区。無残な姿になった街並みは無論だが、その凄まじさを実感できるのが「海」だ。一般社団法人・日本水路協会の調査によると、黒島海岸は約2m〜3mの海底地盤隆起があり、“存在しなかった陸地”が広がっている。
砂浜の沖合にあった消波ブロックは隆起によって陸上に姿を現している。辺り一帯の隆起量は約3mで、黒島漁港からは出漁できなくなってしまった。
震災前後に能登半島の浅海域の航空レーザ測量を実施した一般社団法人・日本水路協会が作成した可視化CGデータでその変化が解る。そのデータによると、黒島の海岸線は最大250mも沖に後退したという。
さらに激しい隆起に苛まれたのが、黒島町の約1km北にある鹿磯(かいそ)漁港一帯。ここも4m前後の海底隆起によって港の景観は一変し、甚大な被害に遭った。
実は堤防外側の磯には岩ノリ畑があった。門前町の海辺に広がる日本海で、冬の海の幸である岩ノリが付着するのが岩ノリ畑なのだが、ここも約4mもの隆起によって大きく損壊している。
冬の荒波を被り、美味しい岩ノリが採れていた鹿磯の岩ノリ畑も4mもの隆起によって、波が被らない岩場となってしまった。鹿磯だけではなく門前町の海岸の岩ノリ畑は、軒並み壊れてしまった。
実は日本水路協会の航空レーザー調査によると、能登半島地震で最も地盤が隆起したのが輪島市門前町の猿山岬で、その隆起量は何と5.2m。黒島からは北に4km、鹿磯からは北に3kmしか離れていない。この辺りの震災被害が大きかったのが良く解る。
江戸時代から明治時代にかけて北前船貿易で栄えた輪島市門前町黒島。震災によって町の姿は一変してしまったが、奥能登にあって栄華を誇った歴史や美しい街並みを、胸に刻んでおきたい。
(石川テレビ・8月18日放送)

