シリーズ企画「能登人を訪ねて」。104回目の今回は能登半島さいはての珠洲市狼煙町を訪ねた。震災から2年7カ月、大きな被害に遭いながらも、文字通り“復興の狼煙”を上げた狼煙町の今を伝える。また町のシンボルである禄剛埼灯台の歴史にも触れる。
珠洲市狼煙町の能登人と、“復興ののろし”
能登半島最先端の岬に佇む禄剛埼灯台。稲垣真一アナウンサーが会いに来たのは、狼煙町区長の糸矢敏夫さんだ。
実は104回を数えるシリーズ企画「能登人を訪ねて」の第1回に登場したのが糸矢さんだった。糸矢さんは地震発生直後からコミュニティの存続を第一に掲げ、地域の復興に力を尽くしてきた。
糸矢さん:
ここ狼煙でしょ? 『復興ののろし』をここから上げますから!
2024年7月、糸矢さんやボランティア団体、自治体などが協力し、草木を燃やして煙を立ち上げるイベントが開かれた。それは正に「復活への狼煙」だった。
(稲垣)本当にお久しぶりです
(糸矢さん)暑いね…いつもこの時期は暑いから。震災後、狼煙のてっぺんから上げ続けてきた『復興ののろし』を上げる日なんです。
(稲垣)復興3年目、地震から2年7カ月。狼煙町の方として今どうですか?
(糸矢さん)3年目は『海』をPRしようと、『港』をPRしようと考えています。海の町ということでブランドとして。能登の先っちょってことで、一番端っこだから。
(稲垣)今年ののろし上げは、また特別な意味を持つことになりますね。
(糸矢さん)そうですね…。この秋には多分、禄剛埼灯台が重要文化財に指定されます。
珠洲市狼煙町のシンボル・禄剛埼灯台
1883年、明治16年に初点灯となった禄剛埼灯台。日本人の手によって設計・建築された国内初の西洋式灯台と言われる。
その誇りなのだろうか、灯台の壁面には国内で唯一の『菊の紋章』が刻まれている。
以来、禄剛埼灯台は日本海を一望し、航海の難所である能登沖を航行する船舶の「道しるべ」として灯りを届けてきた。
海を照らす光の源が、貴重なフレネルレンズだった。台座部分には当時のフランスのレンズメーカー「バルビエ社」の刻印も刻まれていた。
しかし2024年元日の地震で、貴重なフレネルレンズの上部が大きく破損。レンズは建設当時のフランス・バルビエ社の製造だが、もはや同社は存在せず、現代においては修復も製造も不可能だった。
やむなく最新のLED式投光器に交換し、2026年3月に修復を終えた。この5月には国の文化審議会が文部科学大臣に文化財に指定するよう答申。順調に進めば、この秋にも禄剛埼灯台は国の重要文化財に指定される。
禄剛埼灯台や道の駅狼煙でイベント
今回のイベントが開催されたのは7月20日(月)「海の日」。七尾海上保安部によって特別に灯台内部が一般公開され、付近の住民らが一足先に祝うように喜びの顔を覗かせていた。そして…。
(糸矢区長)「(のろし)上がったよ!これを見て、能登の人頑張って!」
住民の新たな拠り所「狼煙のみんなの家」
イベントは禄剛埼灯台の登り口に位置する「道の駅狼煙」でも開かれた。地元住民を中心に来場者は飲食ブースで食を楽しんだ。
また近くでは「子ども縁日」も開催され、子供たちがゲームで遊んだりと思い思いに楽しい時間を過ごした。
道の駅狼煙の真横にある真新しい建物が「狼煙のみんなの家」。カフェや居酒屋ができる集会所だ。「狼煙のみんなの家」は、NPO法人ホームフォーオールが進めるプロジェクトで、被災地の人々の憩いの場を提供する目的で計画。建設費は復興支援事業として日本財団が助成し、総工費は8563万円余り。2025年7月にオープンした。
稲垣アナは竣工前の2025年3月、計画に奔走する糸矢さんにその思いを聞いていた。
(糸矢さん・2025年3月当時)
屋根でしょ、カウンターでしょ、厨房もあるんですよ。居酒屋も食堂もできるみたいな。
そしてみんな集まれるように畳の間も開放すれば、かなりの人が一斉に集まれると。そして裏に仮設住宅があるから、そのすぐそばに作ろうと。
建物には縁側があって、外と繋がっていて自由に行き来できる。それで皆で色々と集まって絆が深まるという。
2025年7月13日の「狼煙のみんなの家」竣工式には、狼煙町復興の中心的な存在である糸矢区長も出席し、狼煙町民を代表してあいさつ。時々感極まりながら、震災で大変だった暮らしや、「復興の狼煙」をスローガンに取り組んできた歩みに触れ、「狼煙のみんなの家」を住民の心の拠り所とする決意を述べていた。
狼煙の人々が絆をつむぎ、笑顔を取り戻す
(稲垣)改めて1年経って、この狼煙のみんなの家はどうですか?その役割を果たせてますか?
(糸矢さん)建物の力もそうですけれども、例えば「みんなの食堂」を月に2回やっているんです。子どもと高齢者の無料食堂ね。そのおかげで皆さんここに足を運んでくれる。人が集まって、食事をして会話をするということができています。
地元住民:
ちょこちょこっと行っとるんや、食事をしに。そしてみんなの顔を見に行くんや
地元住民:
最終的に狼煙としては、集う場所がなくなってしまった。だからみんなの食堂とか居酒屋とかに皆さん集まって来ます。いろんな年代が集まるし寄り合いでも使うし、今はお祭りのキリコ太鼓とかの練習でも使ったりしてて、楽しいですね
(糸矢さん)何か集まる場所がないと、そういう機会も企画できない。1ヶ月の通計だと食堂だけで約750人ぐらい。最初は『年間800人利用できればいい』という目標で始めたんです。80人の町で、1人が10回ぐらい。食堂だけでね。
全体で外から来た人も含めると3500人超えてますよ。だから1年間で4000人ぐらい来ている。1年目ですからね。外からいろんな人が珍しがって来る場合もありますから。そういう意味では最初の目標800人、住民が1人10回の2倍ぐらいは地元の人に利用してもらっています。

(稲垣)これからの狼煙について、糸矢さんはどのように考えていますか?
(糸矢さん)難しいね、3年間頑張りすぎたから…。後は仮設から復興公営住宅ができれば、ほぼ元に戻ったかなっていう感じになります。
(稲垣)本当に目に見えて進んでる所を、僕も何回もここに伺ううちにいつも感じられてるので…。
(糸矢さん)今度来る時は、きっとまた変わった町の姿をお見せできればいいと思います。また来てください!
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市狼煙町の禄剛埼灯台。貴重なフレネルレンズはLEDに変わってしまったが、能登半島さいはての岬は奥能登観光のシンボルだ。狼煙の人たちはそんな灯台に誇りを持っている。震災だけでなく2024年9月の能登半島豪雨でも狼煙町は被害に遭った。そんな苛酷な日々を乗り越えて、能登人は歩みを前に進めている。
(石川テレビ・8月6日放送)

