熊本地震の発生からまもなく1カ月。震度7の激震に見舞われた熊本県宇城市で、約50匹の犬の飼育を続けるブリーダーが、廃業という苦渋の決断に迫られていた。断水と連日の猛暑が体力を奪い、健全な飼育環境を維持することが困難になったためだ。取材に対し、女性は「もっと自分たちの町を取材してほしい」と語った。同じ被災地でありながら、報道される地域とそうでない地域の間に生まれる“格差”。能登半島地震でも課題となったこの現実に、私たちはどう向き合うべきか。
能登の教訓は生かされたか…避難所の課題と猛暑の現実

熊本地震の発生からまもなく1カ月。最大震度7の揺れは各地に甚大な被害をもたらし、多くの被災者が今も不自由な生活を強いられている。石川テレビはFNN取材団の一員として、8月9日から1週間、系列のテレビ熊本の取材応援のため、記者を派遣した。

能登半島地震の取材経験もある石川テレビの記者が熊本県に入ったのは、地震発生から13日目にあたる8月9日。そこでまず直面したのは、避難所の厳しい現実だった。

震度7を観測した宇城市のある避難所は、段ボールベッド約100台に加え、エアコンも10台設置されるなど、設備が整った環境に見えた。しかし、この避難所が開設されたのは、地震発生から17日目となる8月13日。それまでの2週間以上、別の場所で床での雑魚寝を余儀なくされていた人もいたという。

能登半島地震でも、不衛生なトイレや密集した環境での雑魚寝生活が大きな課題となった。その反省が生かされているとは言いがたい状況に、記者は「避難所の普段の備えなどを見直す必要があるのではないか」と感じたという。

さらに被災者を苦しめていたのが、記録的な暑さだ。取材期間中の1週間は最高気温が35度前後の日が続き、多くの地域で断水も発生。電気は使えても水が使えないため、「風呂に入れないのが辛い」という声が最も多く聞かれた。冬の能登とはまた違う、夏の被災地の過酷さが浮き彫りとなった。

震度7で割れた地面…豆柴50匹と生きるブリーダーの苦悩
こうした中、記者が派遣された取材先の一つ、宇城市で大きな決断を迫られた一人の女性にであった。豆しば専門の飼育施設を営む、ブリーダーの藤本栄子さんだ。元気に走り回る豆柴たちの足元には、震度7の揺れが生々しく残した大きな地割れが走っている。

藤本さんはこの場所で約10年にわたり、犬の飼育に携わってきた。地震発生時の揺れを「動きがとれないくらいでした」と振り返る。被害の大きさに気づいたのは2日ほど経ってからで、「『あぁ、こんなひどかったんだ』って思いましたね。ちょっと呆然としました」と語った。

施設では断水が続き、藤本さんは犬舎を掃除するための水を、毎日施設から離れた場所まで汲みに行く生活を強いられた。「(水を)運ぶのも大変なんですよね。最初はなんとか乗り切ろうと思ったけど、ちょっと疲れてきました」。日々の重労働が、藤本さんの心身を徐々に追い詰めていった。
「体力ももう限界」犬の将来を考えた苦渋の決断

水汲みの負担に加え、年齢的な問題も重くのしかかる。「続けたい気持ちはあるんですけど、私たちも年が年だし、体力ももう限界だなと思って…」。藤本さんの言葉からは、深い葛藤がにじみ出る。

犬たちの将来を考えた時、このままでは健全な飼育環境を保つのは難しい。そう判断した藤本さんは、現在飼育している約50匹の犬を全て手放すという、苦渋の決断を下した。

早速、生後間もない子犬の引き取りをSNSで募集したところ、多くの応募があったという。取材中にも、応募者の一人が子犬を引き取りに訪れた。その人は「私がインスタで(募集を)見つけて。ちょうど犬を迎えようかなって探している時だったので。地震で(藤本さんが)大変なので、お手伝いの気持ちです」と話した。今月中には、全ての犬が施設を去る予定だ。
「幸せになりそう」涙の別れと“廃業”への道

1匹、また1匹と、愛情を注いできた犬たちが新しい家族のもとへ旅立っていく。その姿を見送りながら、今の気持ちを問われた藤本さんは「うれしいですね」と表情を緩ませた。「あの子が幸せになりそう。あんなに大事にされて、可愛がられて。うれしいです」。自身の苦境よりも、犬たちの幸せを願う言葉がこぼれた。

一方で、自身のこれからについては、厳しい現実が待ち受ける。「色々考えても難しいことがいっぱいあって。廃業するんでしょうかね…。ちょっとはっきりわからないけど、廃業の方向には行くでしょうね」。約10年間続けてきたブリーダーとしての道を、諦めざるを得ない状況に追い込まれていた。

「もっと取材して」届かない被災地の叫び
取材の最後に、藤本さんは強いメッセージを口にした。「もっと自分たちの町を取材してほしい」。

これまでの熊本地震に関する報道では、避難者や全壊した建物が最も多かった八代市や、爆発事故のあったイオンモール熊本などがニュースで取り上げられる頻度が高い印象があった。しかし、藤本さんの施設がある宇城市豊野町も震度7を観測し、至る所で地割れや建物の倒壊といった甚大な被害に見舞われている。

藤本さんは「自分たちの状況がメディア(全国放送)に取り上げられることは少なく、被災したことが知られていないのではないか」と、強い不安を語った。同じように被災した地域であっても、報道される場所とそうでない場所がある。その“格差”が、被災者をさらに孤立させている現実がそこにはあった。

この問題は、能登半島地震の際にも指摘されていた。北陸中日新聞の記者も、自身の父の実家がある地域から「報道が少ない」という声を聞いたと明かす。メディアも地域バランスを考え、幅広い声を取り上げようと努めてはいるが、結果として届かない部分があるのが実情だ。

今回の取材を通して、記者は「報道の目が届きにくい場所にこそスポットライトを当てられるような取材を続けていかなければならない」と、改めて決意を語った。報道からこぼれ落ちる声なき声に耳を傾け、光を当て続けること。それが、被災地に寄り添うためにメディアに課せられた、重い宿題である。
(石川テレビ・8月19日放送)
