古城探検家の今泉慎一さんが、「豊臣兄弟ゆかりの“戦う城”」の歩き方と、秘められた歴史ドラマを紹介する本連載。第5回は名護屋城(佐賀・唐津市)とその周辺の各陣。朝鮮出兵の際に同地に集まった武将達が構えた陣跡を巡ります。
文=西畑紗南・今泉慎一 写真=今泉慎一
朝鮮出兵の「総司令部」名護屋城
秀吉が晩年に築いた城、「名護屋城」。シャチホコで有名な愛知の「名古屋城」とは別物なのでご注意を。もうひとつの「なごやじょう」が、九州にあるのです。
名護屋城は、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、豊臣秀吉が朝鮮へ攻め入るための拠点として築いた巨大城郭です。九州北西端の玄界灘沿岸、現在の佐賀県唐津市に約半年で築かれ、全国から20万人を超える人々が集まる一大拠点の中心に存在しました。
大きさはなんと、大坂城に次ぐ約17万平方メートル。東京ドームのおよそ3~4個分。それほどの広い城郭、まさに天下を獲った男、秀吉の権力の象徴です。
そして総司令部のまわりには、秀吉に従う各国の武将が集い、陣を敷いていました。

